第64話 社長令嬢.2

「そういえば、純君はどうしてバイト始めたの?」


 その問いに、俺は一瞬考え込み、少し間を置くようにして答えた。


「まあ……自分で買いたい物があるっていうのがひとつ。で、あと……」


 少し口ごもっていたら苦笑してしまう。


「あと、将来、社会に適応できるか心配で。俺、滝本と違ってコミュ障なんで……」


 友希さんは小さく首をかしげて微笑んでいる。そのあと、ほんの少し眉を寄せて、

「友也は異常ね」

 と、吐き捨てるように言った。冗談めいてはいるけど。


「……中学のときは、あんなんじゃなかったんだけどね。今は、純君と仲良くしてるのが不思議なくらいだけど」


 まあ、たしかに、滝本のような社交的な性格のやつが、コミュ障の俺にわざわざ親しくするのも、考えてみれば少し不思議だった。

 その思いをふと押し流すように、友希さんの言葉が心に染み込んできた。


「そんなに急がなくてもいいんじゃない? まだ先は長いんだからっ」



 店を出てすぐに考えた。


『そんなに急がなくてもいいんじゃない?』


 何だかその言葉に、ふと心の中で反発が生まれていた。曖昧な違和感が、ちょっとしたため息を押し出す。


 ……ほんとに、そんな時間はあるのか?

 世界は大恐慌へと向かい、終末に向かっている気がするのは……俺だけだろうか?


 外はすでに夕暮れが近づいている。

 顔を上げると、少し離れた場所に人影が浮かんで見えた。鈴木だ。じっと立ち尽くしているのが分かる。

 さっき店にパンを買いに来てから、かなりの時間が経っている。しかも、この冷え込む季節の夕暮れに、一人で待たせてしまっていたのかと思うと、軽い罪悪感が胸の奥に灯った。


「あ、鳴海君、お疲れさまっ」


 それと同時に、その健気けなげに待つ姿には言い表し難い重たさを感じるのも事実だった。昨日の頭痛の件もある。そのせいか、何だか鈴木の視線がいつも以上にのしかかってくるような気がした。


「……鈴木。あのさ……」


 それでも——いや、だからこそなのかもしれない。鈴木が自分に気があることには、さすがの俺も薄々気づいている。

 早くきちんと気持ちを伝えるべきだろう。鈴木のためにも。曖昧に接し続けるのは、お互にとってもよくない。

 以前、友希さんに言われた言葉が、心の中で静かに反響する。


『中途半端な態度は女の子を傷つけるだけだよ』


 何度も頭に浮かんでは消えていくその言葉。

 いっそ口に出して、答えを告げるべきだと分かっていても、唇は動いてはくれずに何も言えずにいる。けれど、不思議と足だけが前に進んでしまう。

 気持ちと体が噛み合わないもどかしさを感じながら、ただ、目の前の景色だけが変わっていく。

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