第61話 一難去ってまた一難.1
駅を出ると、ひんやりと澄んだ空気が肺に染みわたった。品川駅の広々としたコンコースには、夕暮れのほのかな赤みが差し込み、休日の人混みに柔らかな陰影が滲んでいる。楽しそうな家族連れやカップル。どこからともなく笑い声や会話が微笑ましく感じる。
さっきのことは忘れて、気持ちを切り替えよう──そう思っていたとき、ふと視線を向けた先に見覚えのある顔に気づく。
——鈴木さん⁈
突然の遭遇に胸が軽く跳ねた。
え、何でここに?
鈴木さんもこちらに気づいて、すぐに表情が固まっている。
軽く挨拶を交わしはしたものの、鈴木さんの視線は鳴海君に注がれたままで、私に向けられた冷ややかな感情がその目元からじんわりと伝わってくる。
一瞬の沈黙が、何だか長く感じられた。周囲のざわめきが次第に遠ざかり、鈴木さんと私、鳴海君の間だけが切り取られたように静まり返っていくようだった。
私は平静を装って微笑んでみたけど、胸の奥でじんわりと圧迫感が広がっていくのを感じる。鳴海君も落ち着かない様子で視線をさまよわせ、その空気の居心地の悪さを無言で物語っていた。
「じゃあ、また明日」
何事もなかったかのように、そう口にした鈴木さんは、軽く頭を下げてから足早にその場を離れようとした。
張り詰めていた空気がふっと緩んだのがわかる。ああ……また一難去った、という思いが私の胸に広がる。
……でも、その平穏は瞬く間に壊されることになる。
「危ないっ!」
鈴木さんの鋭い声が大きく響いて、反射的に振り向くと、鳴海君が小さな男の子のそばに駆け寄っていた。
自転車が急に男の子のすぐ脇をすり抜けそうになり、鳴海君はその子を間一髪で守っていた。男の子は驚いた顔で鳴海君を見上げ、その腕の中で無事だと気づいた私も、ほっとした息を漏れた。
「本当にありがとうございました」
慌てて駆け寄ってきた男の子のお母さんが深々と頭を下げると、鳴海君は少し照れたように「あー……気にしないでください」と淡々と答える。
その頼もしげな姿に思わず私の胸が温かくなったのがわかった。
でも……何か様子がおかしかった。
ふと見ると鳴海君がわずかに顔をしかめていることに気づく。心配で、私はそっと声をかけた。
「鳴海君、大丈夫?」
微笑んではいるけれど、鳴海君のこめかみを押さえる仕草には、ほんの少し苦しげな影が見え隠れしている。
「わるい……ちょっと頭が痛いかも」
その言葉を聞いて、私の心配はますます強くなるけど、ただ「大丈夫?」と問いかけることしかできない。
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