第57話 いっそ私が⋯.2
驚いた表情でこっちを見つめたかと思うと、お姉ちゃんは少し間を置いてから、「ひょっとして鳴海純?」と、何かを察したように尋ねてきた。
「なんで分かるの?」
と訊き返すと、「あんたの悩みなんて、ずっとそれでしょ」と、呆れたように笑われた。
そのあと少し考え込むように、表情を曇らせてから、お姉ちゃんは、私も専門じゃないけど、と一つ前置きをしてから言葉を選ぶように話し始めた。
「視覚的な記憶は残りやすいかな。例えば……ただ『ケーキがあるよ』って伝えるのと、そのケーキを実際に見せて、一緒に冷蔵庫に入れるまでだと、視覚と動作がある分、断然記憶に残るでしょ? しかもケーキなら、匂いもある」
私は、一つ一つ言葉をかみしめるように耳を傾ける。
「……だから、五感に訴える。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。こういった感覚は、意識してなくても記憶に残ることがある。たとえ思い出せなくても、香りや音を感じたときに、何かが引き出されることがあるだろうし。例えば、桃子だって、ある香りを嗅ぐと特定の場所を思い出すこともあるでしょ? そんなふうに五感が記憶を呼び起こすきっかけになることもある」
そう言ったあと、お姉ちゃんの表情がふと曇った。
「あの子、突然いなくなったと思ったら、そんなことになってたんだ……」
と、目を伏せるその横顔には、どこか寂しさがにじんでいた。
それにつられるようにして思わず「いっそ私が……」と口をつきかけたけれど、「滅多なことを言わない!」とお姉ちゃんに、けっこう真剣に怒られた。
部屋に戻り、ベッドに寝転がってからも、お姉ちゃんの言葉が頭から離れない。
……もし、私が鳴海君の立場だったら——
ぼんやりと天井を見つめながら考えた。
仮に、もし私が記憶を失っていたとしたら、きっと鳴海君は私のために必死になってくれる。
そう思うと、何だか気持ちが引き締まるような気がした。
それに、「これにも間に合った」そう呟き、スマホの画面に視線を落とすと、そこには『ベルツリー品川アクアマリンパーク』のサイトが映し出されている。期間限定の『クジラのデジタル展示』のページ。
このイベントは特設ブースでクジラの姿が空間に投影され、まるで本物がそこにいるかのような幻想的な体験ができるものだ。明日が最終日、と表示された文字を確認して、ひとまずほっととした。
スマホを手から離し、再び静かに考え込む。
昨日、学校の帰り道でLINEの交換もできた。
あとは、私にできることをやるだけ——少しでも力になれるように。そう心に決意をする。
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