第39話 建築家

 鎌倉にやってきた。目の前には、海と、建物全体をガラスで張り巡らせた大きな水族館が見える。


「あ~やっと着いた~。純、ここよっ」


 母さんは自慢げに、レンタカーの運転席から俺を振り返った。

 大きな帽子を深々とかぶり、サングラスとマスクで顔の大半を隠しているが、どう見ても目立っている。これで気づかれない方が奇跡だろう。

 案の定、駐車場入り、車から降りた瞬間に、周囲の関係者がすぐに、「あ、鳴海先生じゃないですか!」と駆け寄ってきたのを見て、俺はやれやれと肩をすくめるのだった。

 母さんは有名な建築家だ。俺にとってはただの『母親』だけど、業界ではかなり名の知れた人らしい。もっとも、派手な格好をしているのもそのせいだと思う。

 いつもはそういったところが少し鬱陶しいと思うこともあるが、今日は仕方がない。俺は帽子を目深にかぶった母さんを見つめながら、息をつく。



 少し話を遡ること、——二時間くらい前。


「純、今日は出かけるわよ!」


 突然、母さんが声をかけてきた。俺は制服に袖を通しながら、驚きと困惑が交じった顔で振り返った。ばーちゃんは、朝早くから出かけていていない。


「は? 俺は今日、学校なんだけど」

「デートに行こっ! 予定してた仕事キャンセルになって時間空いたから。久しぶりでしょ?」


 とニッコリ笑う母さん。そんな急に言われても、そもそもの学校を平気で休めと言う母親は、いかがなものかと、思いながらも、俺は渋々ながら制服を脱ぎ、普段着に着替えていた。

 いいかげん、自分の押しの弱さに嫌になる。


「というか、行き先は?」


 と、俺が訊くと、母さんは上機嫌で「そりゃあ、ショッピングでしょ! やっぱり日本よねっ。それにそろそろ、純も秋冬の服、必要でしょ?」と答えた。でもその矢先、母さんの携帯電話が鳴った。

 何だか、重苦しい空気に変わっていく。

 そしてどうやら急遽、別の仕事が入ったようだ。


「純、ごめん」


 まあ、いつものことだ。俺はずっとこうやって母さんに振り回されて生きてきた。

 一応、訊いてみた。


「仕事はどこ行くの?」


 いまさら学校へ行くのも面倒だとも思った。

 母さんは慌ただしく身なりを整え始め、「鎌倉の水族館」と言った。

 次から次へと母さんの準備は、忙しなく進んでいく。


「ごめんね、また今度行こっ」


 申し訳なさそうに言いながら、母さんは微笑んだ。

 そして俺は、そんな母さんを眺めながら鎌倉行きを決定した。一瞬どうするか迷ったが、どうせ準備してたんだし——「まあ、せっかくだから一緒に行くよ」と返事をした。

 そんなわけで、鎌倉に向かうことになった。

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