第32話 青幸中のスター

 喉につかえたものを、飲みもので流し込む。当然、杏は過去の私と鳴海君の、色恋沙汰を知っている。

 杏は、飲み物を一口飲んでから、少し目を細めるようにしてこちらを見た。


「そういえばさ、最近聞いたんだけど……鳴海君、地元に戻ってきてるって」


 今度は思わず手が止まった。杏の言葉は、私の中の何かをざわつかせる。昨日、鳴海君の前で号泣してしまったことも影響している。私は何で、あんなことを言ってしまったのだろう。


「そうなんだ」


 詳しいことは私もわからないため、とりあえずそう答えた。私のせいで、間違った情報が広がって、鳴海君に迷惑をかけるわけにもいかないし。

 私の心がわずかに揺れているのを、きっと見透かしていた。杏とは、ミニバスの頃から続いている仲だ。


 杏は、

「そっか」

 と、だけしか言わなかった。



 帰る頃、勢いよく立ち上がった際に、あたかも予期していたかのように、杏が倒れそうになる私の椅子を支えてくれる。


「ごめんっ。杏、ありがと」


 私の曖昧な表情を見て、杏の口元が少しだけ柔らかくなったような気がした。


「あいかわらず、おっちょこちょい」


 杏は、にこりと笑うと、まあ、と少しだけ間を空けてから笑い、

「昔のまんまの桃子で、少し安心した。いろいろとあるみたいだけど頑張れ。バスケ応援してるから」

 と言ってくれた。


 そのあと、杏とは、駅の改札の前で一言二言、言葉を交わしてから別れた。



 目が覚めて、重い体を引きずるようにしてベッドから起き上がる。昨日の疲れがまだ体に残っているようで、頭がふわついていた。

 吸い付くようなまぶたを擦りながら、壁に掛けた、昨日少年からもらったお面をぼんやりと眺めた。

 昨日のことが夢であったのなら良かったのに、と大きく伸びをして、ため息を一つつくと、ゆっくりと部屋を出た。

 ダイニングキッチンでは、ばーちゃんがテーブルの上で新聞を広げながらお茶をすすっていた。窓から差し込む光が、静かな部屋を明るく照らしている。


「純君、おはよう。ゆっくり寝れた?」


 新聞の上から目をあげ、ばーちゃんは、にこりと微笑んでいる。うっすらと笑いながら「おはよう」と返したが、すぐに部屋を見渡し、母さんの姿がないことに気づいた。


「あれ、母さんは?」


 テーブルに近づきながら訊ねると、ばーちゃんは「ああ」と軽く頷き、カップを置いた。


「何だか朝早くから仕事の打ち合わせに行ったみたい。なんでも急な話だって」


 相変わらずだな。

 まあ、俺にとっては好都合だけど。

 しかし、バタバタと動き回って、まるでどっかの小動物と一緒みたいだな。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る