第10話

 まさか最寄りの駅が一緒だとはうかつだった。川沿いを外れ、途切れがちで、どこかぎこちない会話のやり取りを繰り返す。

 道中、重苦しい沈黙が、訪れるたびに俺の肩に重くのしかかり、時折吹く風で、ささやく木々の音が、唯一ゆいいつの救いか。

 公園から地面にボールをつく音が聞こえてきて、自然に足が止まった。野々原も同じタイミングだった。

 さらに、ボールの音が辺りに響いて、また何とも言えない不快感に襲われる。

 不思議と、野々原も同じ気持ちを抱いているような気がした。


「懐かしいね」


 声は、静かな夜に響くボールの音の隙間をぬって耳に届いた。

 微笑みながらも、その野々原の笑顔にはどこか影が差していた。それはまるで、ボールの音が過去の思い出を呼び起こしているかのようだった。


「鳴海君。またここに戻って来てたんだね」


 気がつくと、ただ話を合わせるように、ああ、と空気みたいな返事をしていた。

 そして、また、理解できないことが起こる。重苦しい空気は依然として消えない中、少しずつ距離を縮めながら、野々原は口を開く。

 心の中にはまだ整理しきれない感情が渦巻いているようだった。



 ——いけない。


 否が応でも、思い出してしまう。

 鳴海君とのLINEが、途絶えた日のことを。


 私は、この公園で、彼に告白された。


 それは、二人で日課にしていた朝練の最中のことだった。

 その記憶は、一度たりとも薄れることなく、今でも鮮明に焼き付いている。


 はにかんだ笑顔に、あの初々しい表情。



---



 ボールがネットに吸い込まれる。

 シュートを放った鳴海君は、ボールを拾いに行き、地面にボールをつきながら、ゆっくりとこっちに戻って来る。

 そして、立ち止まり、照れくさく頬を緩ませると、ちょっとだけ目をそらし、ぽっかりとこぼした声が、私の耳の底に響いた。

 

『野々原。全国行けたら、俺たち、付き合おっか?』



---



「どうして、突然、いなくなったの……?」 


 声を震わせる野々原の頬には涙が伝っている。

 本当に、何が何だか意味がわからなかった。

 俺はどうしていいかわからず、ただ立ち尽くしてしまう。心の中には、言葉にできない感情が渦巻いていた。


「野々原……」


 何とか言葉を絞り出そうとしたが、うまく言葉が見つからない。

 俺は、野々原に何をしたんだ?


「ごめん……」


 と、ようやく言葉がこぼれ落ちたときには、もう遅かった。

 野々原の唇が震え、滝のように涙がこぼれ落ちる。それと同時に、せきを切ったように言葉があふれ出てきた。


「私はずっと待ってた……。どこにいたのっ? どうして連絡してくれなかったのっ⁈」


 野々原は涙を拭いながら顔を見上げる。


「何も言わずにいなくなるなんて……」


 何も言えなかった。

 涙に圧倒されるように、俺は鞄の中を探り、以前、野々原から借りたハンドタオルを手に持った。


「これ……」


 驚いたようにタオルを見つめる野々原は、再び俺の顔を見上げ、涙を拭きながら、ありがとう、と言っている。


 俺はただ静かに頷いた。

 できることはそれしかなかった。

 このときはまだわからなかった。


 ……一粒の涙が、自分の頬を伝っていたことは。



 家に帰ると、玄関先で母さんの靴が目に入った。海外から近々、やって来るとは訊いていたが、一瞬立ち止まった。

 今日は散々な出来事が続いていたから、誰とも話したくない気持ちだった。


「ただいま」


 と小さな声で言いながら、ダイニングキッチンに入ると、母さんが、ばーちゃんと話しているのが見えた。母親の、ぱっと明るくなった笑みに、ひとまず、微笑みかけたけど、今はとても愛想をつく気力がなかった。

 とりあえず、母さんの機嫌を損ねても、誰の得にもならないから、おかえり、とだけ伝える。


「純っ。元気そうねっ。お祭りどうだったっ?」

「大したことないって」


 相変わらず、空気の読めない人だ。表情を見て機嫌を察せられないものだろうか。

 俺は、たこ焼きを手に持ち、

「これ、ばーちゃんが言ってた、たこ焼き。食べて」

 と言い、すぐに部屋へ戻ろうとした。

 だけども、空気の読めない母親に止められる。


「ちょっと待ってよ、純っ。どうなの? 新しい友達は?」


 でも、そこはさすが、ばーちゃんだった。

たこ焼きを受け取りながら、「まあ、今日は純君も疲れてるから」と優しく間に入ってくれたその一言で、俺はそのまま部屋へ向かうことができた。


 ドアを閉めると、深いため息が出て、床に倒れ込んだ。

 今日は本当に疲れた。誰とも話したくない。そう思いながら、目を閉じた。



---



 翌日の練習試合は、上々の出来だった。私のプレーは、監督の期待とは程遠い内容だったけれど、チームとしてはまずまずの結果を出せたといえる。

 結衣を中心にボールが回り、最後は接戦を制した。チームメイトは皆んな笑顔で、達成感が漂っていた。


 帰り支度が終わってから体育館の外に出て、ほっと一息ついていると、突然聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。


「桃子っ!」


 振り向くと、中学時代の友達が手を振りながらこちらに向かって来るのが見えた。


「桃っー! みんな行くってよー?」


 連なるようにして結衣にも呼ばれる。

 このあとチームメイトと一緒に打ち上げに行こうと誘われていた。私は少し悩んでから「ごめんっ、ちょっと用事できちゃったっ」と伝え、中学時代の友達と駅前のファストフード店で話をすることにした。



 店内は昼時の時間をとうに過ぎていたけど混雑で、カウンター席しか空いていなかった。二人でハンバーガーとポテトのセットを注文してから、窓際の席に座った。


「めっちゃ、久しぶりだよね? 中学生ぶりじゃない?」


 あんとは中学時代、同じバスケ部だった。星ヶ丘学園に進学してからは、部活は一年で辞めたと、私は風の噂で聞いていた。強豪校のレギュラー争いに疲れ果てたのだとか。


「杏こそどうしたの? バスケ辞めたんでしょ?」


 杏は、まあね、と、別に気に留めるようなこともなく、注文した物を口にしながら、話し始める。


「たまたま学校の近く通ったら、桃子の学校が来てるって聞いて、ちょっと覗いてみただけ。着いたら、すでに終わってて試合見れなかったけどね」


 あまり気に障るようなことは言いたくなかったから、ふーん、と相槌をするだけにしたけど、何だかやっぱり懐かしい気持ちが湧いてきた。


「どう? 三年から代替わりして、高校でもキャプテンやってるの?」

「いや、やってない」


 中学のとき、私はキャプテンで、杏は副キャプテンをしていた。

 杏は少し笑って、「まさか桃子がバスケ続けるとは思わなかったよ」と言った。杏は昔から思ったことを口にする。

 その言葉に悪気はない。わかっているのに、胸の奥がチクリと痛んだ。

 中学最後の大会——私のミスで負けた試合の記憶が、不意に蘇る。

 最後の大会、そう……鳴海君から連絡が途絶えた翌日の試合だ。全国行きがかかっていた大事な試合。勝てば出場が決まっていた。

 なのに、私のシュートは大乱調で、後半からはベンチに下がった。

 今日の練習試合も似たようなものだった。


「え? もしかして、まだスランプのまんまなの?」


 ずっと一緒にやってきた仲だ。私の今の状況も大体は、察しがついたと思う。

 押し黙る私を見かねたのか、杏は話を続けた。


「毎試合、三十点取ってた青幸中学のスターも落ちたもんだね~」


 ぜんぜん慰めになってない。杏に期待した自分がバカだった。諦めて、ハンバーガーを食べることにした。


「せっかく、うちの高校からも推薦きてたのにね」


 あの中学最後の試合のせいで、私の星ヶ丘学園への推薦は、取り消しになった経緯がある。


「でも、あれじゃない? 今日、うちの学校に勝ったんでしょ? 祐天寺って強いんじゃん」

「まあ、星ヶ丘はベストメンバーじゃなかったのもあるかも」

「そうなの? でも、うちと試合組めるだけでもすごいんじゃん?」


 星ヶ丘学園は、過去十年で全国優勝を何度も成し遂げている強豪だ。今年の夏のインターハイは準優勝。


「何か、新しく来たコーチのコネとか言ってたかな」


 この話にはさほど興味がないのか、杏は、そなんだ、とだけ言い、ハンバーガーとポテトを続けて口にする。

 そしてお互い食べながら、他愛たわいもない過去話に花を咲かせ、そろそろ食べ終わることだった。私の口が止まった。


「てか、もう一人の青幸中のスターとは、あれっきりのまま?」



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