第5話 毒霧.1


 え、何で⁈

 見間違い?

 何でこの学校に?


 だめだ。考えれば考えるほど、頭の中が混乱してくる。

 私は全速力で、校舎の玄関口へと飛び込んだ。


「大丈夫? 桃っ。突然どうした?」


 せっかく心配をして追いかけて来てくれた、結衣ゆいの言葉が上手く聞き取れない。自分の心臓と荒ぶる呼吸の音だけが耳の奥の方で鳴り響く。

 昇降口から廊下に足を踏み込んだとき、もう一度、声がして立ち止まった。


「桃! 待ち、待ち! 靴、靴っ」


 私は慌てて内履きに履き替える。そして、そのまま教室へ向かおうと足を進めると、再び呼び止められる。


「桃! ちょっと待ってよっ。急に走り出すから喉乾いちゃった」


 結衣はすぐに私を追い越し、自販機で買ったミネラルウォーターを、ほれ、と言って手渡してくれた。

 気づけば最初に手で持っていたペットボトルの中身は空になっていた。キャップ閉めずに全速力で駆けたせいだ。


「ほんと、桃はバスケ以外はおっちょこちょいだよねー。制服、平気? めっちゃ濡れてるけど」


 スカートがびしょ濡れなのも、指摘されて気づいた。私はしょんぼりと項垂れて答えた。


「あー、あとで体操服に着替えてくる……」


 結衣の、どんまい的な笑い声が、私の羞恥心をより傷つけ情けなく思う。悪気はないのは百も承知だけど。

 そのまま二人で教室へと向かった。

 結衣とは、一年生の頃から同じクラスとバスケ部というのもあってか一番仲良くしていて、昼食もいつも二人で食べていた。


「少しは落ち着いた?」


 結衣の澄んだ瞳には、いつも吸い込まれそうになる。何というか、前向きな光を宿していると思う。それに加えて、笑顔は春の陽だまりのように温かく、誰もが彼女の周りに集まってくる。バスケでは、ボールを手にすると、その瞬間に全てが輝き出すのだ。


「結衣、ありがと」


 少しだけ弾ませるように口にした。これ以上、心配をかけさせないよう配慮をした。……ドッドッドと、私の期待と不安が入り混じった心臓の鼓動は、今もなお不恰好に時を刻むばかりだけれども。

 中庭でくつろいでいた彼の面影が、頭の中を走り去って、思った。

 ああ、やっとこの日が来たのだと。私はずっと待っていたんだと。一日たりとも忘れることができなかった私の記憶。何か霧かかった暗闇の中に、一筋の光明こうみょうが差したような気がしたと言っても過言ではない。

 このあとの結衣の問いかけで、それは確信めいたものとなる。


「転校生の鳴海君のこと知ってるの?」

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