Ⅱ『血の討論会』

 再び広場へ視線を戻す。

 駅前の広場は夕刻という事もあり、帰宅途中のリーマンで溢れかえっていた。

 帰路に急ぐ彼らの足を止めるのは至難の業だろう。気合を入れ直すように抱いていたビラを一層強く抱き直した。

 「ん……」

 他にビラ配りをしている活動家の一人に目が止まった。

 「お願いします! お願いします! お願いします!」

 貧弱な人族の小娘だ。歳は二十そこら。両親ともに健在で家族仲は良好。何不自由ない彼女がどうして、社会の逸れ者たちの味方をしてくれるのかは定かではない。

 けれど認めてはいる。

 現状に満足せず、疑問に思ったことに対して追及する姿勢。彼女こそが魔族や魔力の高い者たちと他の種族を繋ぐ架け橋になってくれると期待している。

 「あ、あの! 虹の輪です! 是非私たちの活動を知ってください!」

 だが。最近はその行動に焦りを感じる。努力に対して、結果が伴っていないことに不安を感じているのだろうか。

 「……これは良くないな」

 気持ちが先行するあまり道を急ぐリーマンの進行を塞いでしまっている。

 結果は言うまでもなく……。

 「あっ」

 歩調を緩めなかったリーマンにぶつかり、そのままバランスを崩して冷たい地面に倒れ込んだ。ばら撒かれたビラは無情にも通行人に踏みにじられていく。

 「……チッ」

 倒れた少女を見下すリーマンの鋭い視線は魔族などに向けられる嫌悪の目のそれだ。

 「ひっ……!」

 初めて晒された嫌悪の眼差しに少女は硬直してしまう。それも無理はない。普段は温かな家庭で幸せに暮らしているのだ。

 「気を付けろよ」

 リーマンは人族だと気づくと不満げな表情を顔に塗りたくったまま足元に落ちたビラなんて気にも留めず踏み去っていった。

 「ティリス、怪我はない?」

 座り込んだまま動けずにいた少女に駆け寄った。同じ目線に立ち、ティリスの手を取った。

 「……お、オリエント様……申し訳ございません……私……」

 恐怖。後悔。屈辱。それがティリスから読み取れる感情だ。自身の過ちを十分に理解している。これ以上、オリエントがクドクドと説教を垂れる必要もないだろう。

 「怖かったね。あとで温かい物でも飲もうか」

 「是非っ!」

 教祖直々の提案にティリスは目を輝かせている。自身の立場を利用することに若干の後ろめたさはあれど、彼女が立ち直れるなら、それも悪くないと小さく微笑んだ。

 「手伝うよ」

 「いけません! オリエント様のお召し物が汚れてしまいます」

 「大丈夫だよ。まだ替えはあるようだし」

 チラリとメガネの男性に目を移すと不服そうに替えの衣装をチラつかせてきた。つまり問題はないということだ。

 「大丈夫です! すぐに拾っちゃいますから!」

 ティリスは仕事を奪われまいと羽が生えたように素早くビラをかき集めた。

 すぐに散らばったビラは回収されていき、残すところ五枚、四枚、三枚、二枚。

 しかしティリスが最後の一枚を拾い上げようとした時だ。

 「イッ……!」

 伸ばした手の甲に通行人の靴底が容赦なく踏みつけられた。まるでその場にティリスの手が分かっていて、敢えて踏みつけたと感じるほど、あからさまな行動だ。

 「おっと……これはこれは」

 わざとらしく通行人が気が付いた素振りをみせる。しかし一向に彼女の手から足をどけようとはしない。

 趣味の悪い高級志向な黒いコートに身を包み、ハットを被った中年の男だ。見た目と中身は一致しないと言うが、それはどうだろう。この男はまさにそれ相応な男ではないか。

 「痛い……!」

 ティリスは苦悶の表情を浮かべ、身をよじった。

 「まさか下劣にも地を這いつくばるような野蛮な民族がいるかと思えば、くだらない思想を振りまく社会のゴミたちじゃないか。通りで気が付かなかったわけだ。ゴミだから」

 およそ日常生活を送っていて浴びせられるような罵倒ではないと、ティリスは涙を浮かべる。痛いのはもちろんではあったが、それ以上にこの騒ぎの渦中に我が主を巻き込んでしまったことへの、この上ない罪悪感が彼女の心を支配していた。

 「……すまないが、足をどけてもらっても?」

 オリエントは友好的な姿勢を示し、愉悦な顔をぶら下げた中年男性を見上げた。

 先程まで彼女の演説に聞く耳を立てなかった通行人も魔族が面白おかしく弄ばれている様子は是非見物したいと足を止め、いつしか人だかりが出来ていた。

 「はぁ~? 地面に落ちているゴミを踏んで何故いけないんだぁ~? 教祖様ぁ~?」

 男は観衆の前で堂々と魔族に喧嘩を吹っ掛けている。そんな自分に酔いしれているように、大袈裟に両手を広げ疑問を周りの観衆にまで投げかけた。

 「冗談がお上手なようだ。大事な革靴が汚れてしまっては大変だと思うのだが」

 「本来は汚らわしいゴミ共の皮脂が張り付いた靴なんざ、履けたものではないがな! 弁償してもらいたいくらいだね!」

 尚も自己肯定感を押し付けてくる中年男性にオリエントは冷淡に言い放った。


 「いいから。私は退けろと言っているんだ」


 途端。中年男性や周囲の観衆はもちろん、側に居たティリスに至るまで全員の身の毛がよだった。

 これは精神的なものではない。動物的本能が全力で危険信号をあげている。

 オリエントの深紅に染まった『赫眼』が中年男性に向けられる。

 「……ッ!」

 それはまるで草食動物が肉食動物の気配を察知したように。男は反射的にティリスの手から飛び跳ねるように退いた。

 赫眼とは膨大な魔力の根源。勇者ロドニスが宿していたとされる天災級の魔眼の一種だ。普段は魔力制御を行い、その影響を最小限に抑えているが、いざその枷を外せば目が合っただけで相手を屈服させるだけの絶大なプレッシャーを放つ力がある。

 「え、あ…………」

 男は言葉も出ないようだ。両手を上げて猛獣を刺激しないよう態勢はそのままに、ゆっくりと背後に後退していく。

 「謝罪はいらない。すぐに去れ」

 告げると、中年男性は踵を返してこの場を全速力で走り去っていった。ご自慢の革靴が片方脱げていることに気が付かない程、それは見事な逃げっぷりだった。

 男が逃げたことで舞台は終幕を迎えた。観衆も少しずつこの場から離散していく。ぎこちなく歩く観衆の姿はティリスにはとても滑稽に思えた。

 「痛む?」

 オリエントは地面にぐったりと座り込んだままでいた彼女の手を再び取る。靴底が押し当てられていた場所は赤く爛れていた。

 「あ、ありがとうございます。オリエント様が私のような新参者に……」

 「新人とか関係ないよ。今日は切り上げて治療しよう。さすがにこんなところで堂々と魔法を使うわけにもいかないからね」

 現代において魔法の使用は原則禁止とされている。平和な世界に魔法のような危険な技術は不要なもの。争いを生む火種に過ぎないのだ。

 治癒魔法も禁止項目の一つであり、こんな公衆の面前で犯罪を侵すわけにもいかない。

 彼女の手を取って立ち上がると近くで同じくビラを配っていた仲間たちが駆け寄ってきた。

 「だ、大丈夫ですか……」

 バツが悪そうに亜人種の夫婦がこちらの顔色を伺うように尋ねてきた。渦中に飛び込んでくる勇気がなかった自身を悔いているのだ。しかしそんなことを出来る人間なんてほとんどいないことをオリエントは知っている。だから全く腹を立ててはいない。

 「今日の活動は終わりにしよう。他の皆にも撤収するよう伝えてくれ」

 「は、はい……あの……すみませんでした」

 主人が深々と頭を下げると遅れて夫人も頭を下げた。

 「どうして?」

 助けに来られなかった理由はオリエントには手に取るようにわかる。けれど、わざわざ謝ってくる理由がいまいち伝わらない。

 「…………見ていたのに、僕らは何もしませんでした」

 出来なかったのではなく、しなかったと彼は表現した。変にプライドがある者は、自身の保身に走って必ず『出来なかった』と形容する。彼らは己の非力さを認め、助けにいかなったことをそれでも悔いている。

 「そうか」

 変に励ますのはかえって彼らの名誉を傷つけることになると感じたオリエントは、続けてこう話した。

 「自分の身を一番に考えることは悪ではないよ。……まあでも、私が居ないところで同じようなことが起きたら、フォローし合ってもらえると私も安心して仕事に打ち込めるかな」

 信者たちの肩をそれぞれ軽く叩き、オリエントは独り歩き出した。

 「オリエント様……! どちらへ」

 「今日は嫌なこともあったし、酒だ酒。みんないつもの店に集合」

 「は、はい……!」

 水を得た魚の如く。信者たちの瞳に活気が戻った。

 「はぁー……今日は冷えるな」

 白い吐息が薄暮の空に消えていく。炎炎と輝く髪色と同じ夕焼けを眺めながら、教祖様は小さく呟いた。

 この景色の美しさを眺めることは、誰しもに与えられた当然の権利であるべきだ。

 歪んだ社会を正すのは、己であると決意を新たにオリエントは今日も前へ進むのだった。



 それから半年後。

 ガナリア帝国領内で開かれた政治討論会に招待されたオリエントは自らが創設した宗教団体虹の輪の信者たちを洗脳し、政府高官を狙った自爆テロを起こした。

 延べ数千人の死傷者を出した戦後、最悪の事件は後に『血の討論会』と呼ばれるようになり、今も人々の心に禍根を残す形となった。

 彼女は町内の商業施設で包囲され、治安当局による銃撃に遭い、命を落とした。

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