第6話 シシュンキ

 熱が下がったスティアニーは、すっかりいつもどおりに戻っていた。魔術師の弟子としてジルネフィを手伝いながら、料理や掃除など日常のことも手際よくこなしている。

 よく見せる笑顔も元気に動き回る姿も、熱を出す前と何ら変わりない。ところが夜になると少しだけ様子が違ってくる。もちろんジルネフィもそのことには気づいていた。


(これもシシュンキというものの影響なのかな)


 弟いわく、シシュンキの気持ちは本人にもどうにもならないらしい。話を聞いたときは「人間とは厄介な生き物だな」と、半分人間であることを棚に上げてそんな感想を抱いた。

 しかし、スティアニーがシシュンキだとすると話は別だ。初めて見る現象に興味を引かれるのはもちろん、それがスティアニーを苦しめているなら取り除いてやりたいとも思う。師として、養い親としてそう考えるものの、人間のことを理解し切れていないジルネフィにできることは何もない。


(そうなると、ただ見守ることしかできないわけだけど)


 スティアニーが助けを求めているならまだしも、そうではない現状であれこれ尋ねてよいのかもよくわからない。「成人したのだし、余計なことは言わないほうがいいかな」と考えたジルネフィは、熱があったときのことも尋ねないままでいた。


「スティ、そろそろ湯を浴びておいで」

「はーい」

「長湯はまた熱を出すかもしれないから駄目だよ」

「わかってまーす」


 浴室から元気な声が返ってくる。返事はいつもどおりなのに、この後なぜかスティアニーの様子が少しだけ変わる。

 湯から上がると、先に湯を使ったジルネフィの銀髪を手入れするのがスティアニーの日課だった。いい香りの香油を髪に伸ばし、それを丁寧に櫛で馴染ませる。このときはまだ日中の出来事や翌日の予定などを普通に話す。

 ところが、スティアニーが髪の手入れをされる側になると途端に口数が減った。ジルネフィが話しかければ答えるものの、自分からあれこれ話すことはない。そうしてベッドに入る頃にはすっかりおとなしくなってしまう。


(やっぱり一緒に寝るのが嫌なのかもしれない)


 人間は成人すると家族と一緒に寝ることがなくなるのは知っている。スティアニーも成人したのだから、子どものように扱われることを内心不満に思っているのかもしれない。


(それなのにわたしに気を遣って言い出せない……あり得るな)


 それならと、ジルネフィは自分から切り出すことにした。


「スティ、一つ確認したいことがあるんだけど」


 スティアニーがベッドの傍らにある灯りを点けたのを確認し、部屋全体を照らす大きな灯りに手を伸ばす。魔力供給で光を放つ灯りを消しながら「もしかして一人で寝たいんじゃないかい?」と問いかけた。


「きみももう十八歳、人間の世界では立派な大人だ。成人の儀式はまだしていないけど、わたしも独り立ちした大人として扱わなくてはと思ってる。そろそろ一人で寝たいだろうし、自分の部屋を持つのもいいかなと思っているんだけど」


「どうする?」と尋ねながらベッドに腰掛けるスティアニーを見る。すると小さな灯りに照らされた菫色の瞳が潤んでいることに気がついた。

 まさか泣くほど一人がよかったのだろうか。そう受け取ったジルネフィが「気づいてあげられなくてごめんね」と言うと、小さな声で「僕が……邪魔ですか?」と返ってきた。その声はかすかに震え、菫色の瞳もますます潤んでいく。


「まさか、そんなことを思ったことは一度もないよ。どうしてそんなことを?」

「だって、急に一人で寝ろだなんて」

「人間は大人になると独り立ちするだから」

「人間の世界で育った人間ならそうかもしれないですけど、僕はここで育ったんです」


 やけに強い口調にジルネフィは少し驚いた。興奮しているらしいスティアニーに首を傾げながら、それでも言葉を続ける。


「そうだけど、成人の儀式をすれば魔術師としても一人前になるわけだし」

「僕は魔術師じゃありません」

「あぁ、うん。スティがどういう道に進むのかはきみの自由だ」


 いまにも涙がこぼれ落ちそうな菫色の瞳にジルネフィは困惑していた。

 スティアニーは聞き分けのよい子だ。我が儘も言わなければ師を困らせるようなこともない。怪我をしても心配をかけないように隠してしまうほどで、もっと自分の願いや欲を口に出せばいいのにと思っていたくらいだ。

 そう考えていたジルネフィだが、いざそうなるとどう返事をすればいいのかわからなくなる。「僕が邪魔ですか?」と口にする理由もわからない。師として、養い親として何か答えようと思うものの、スティアニーが何を考えているかわからないため答えようがなかった。

 わからないなら、一つずつ確認するしかない。


「部屋の話をしたのは、一緒に寝るのが嫌なんじゃないかと思ったからだよ」

「え……?」

「熱を出す前からきちんと眠れていなかった。そうだろう?」

「それは……」

「もしかしたら、そのせいで高熱が続いたのかもしれない。それなら一人で寝るほうがいいんじゃないかと思ったんだ。それに、本当は一緒に寝たくないのに我慢しているんじゃないかと思ってね」

「そんなことないです!」


 強く否定する声にジルネフィは驚いた。ここまではっきり否定されたのは初めてで、潤んだ菫色の瞳が睨むようにジルネフィを見ている。


「わたしはただ、スティが寝不足のままでいることが見過ごせないだけなんだ」


 そう告げながら近づき、見上げているスティアニーの頬を撫でた。そうして「ごめんね」と謝る。


「決してきみを嫌ってこんな話をしているわけじゃない」


 スティアニーがキュッと唇を引き締めた。何かを我慢するような表情に「やっぱり無理をしているんじゃないだろうか」と考える。それとも気を遣っているだけなのだろうか。優しい弟子ならあり得ると思い、もう一度確認することにした。


「スティ、わたしに気を遣う必要はないんだよ? 一緒に寝るのは嫌じゃない?」

「違います。そうじゃなくて……あの……」

「うん?」


 菫色の瞳がゆらゆらと揺れている。泣きそうというよりも口にするのをためらっているような雰囲気だ。


「何を言ってもわたしはスティを嫌ったりしないよ」


 隣に腰掛けながらそう告げると、スティアニーの顔が一瞬ホッとしたような表情を浮かべた。唇を一度キュッと真一文字に結び、それからゆっくりと開く。


「……お師さまに、寝るときにぎゅっとされると……その、」

「うん」


 優しく続きを促すジルネフィを、ゆらゆらと揺れる菫色の瞳がじっと見つめる。


「……体が、何て言うか……おかしく、なって……」

「体?」


 再びスティアニーが唇を噛み締めた。よく見れば目元や耳が赤くなっている。また熱がぶり返したのかと心配したジルネフィだが、何か言いたげな様子にひとまず続きを待つことにした。


「……その、体が……」


 うまく言葉にできないのか結局口ごもってしまう。


「体がおかしいって、どんなふうに? 痛いとか痺れるとか、そういったこと?」


 もしかして何かの病気だろうか。スティアニーを拾ってから人間がかかる病気の類いは大方調べてある。成長過程で起きる身体的な変化や関節の痛みといったものも理解していた。それでも見落としがあったのだろうかと、ジルネフィの頭に様々な病名や症状が浮かぶ。


「そう、じゃなくて……」


 段々とスティアニーの声が小さくなっていく。同時に顔もすっかり俯いてしまった。

 もしかして重篤な何かを見落としているのかもしれない。そう思い、愛らしい養い子の顔をそっと覗き込んだ。そして「何を話しても大丈夫だよ」と声をかける。


「いろいろ……ドキドキして、その……」


 細い指が寝間着の裾をギュッと握り締めた。視線を落としたままの瞳に涙が浮かんでいることに気づいたジルネフィは、これ以上問い詰めるのはよくないと判断した。


「スティ、もういいよ。無理をさせたみたいでごめんね」


 ストロベリーブロンドの頭を優しく撫でる。こうした行為も成人した大人にはやらないのだろうが、ジルネフィにはほかの触れ合い方がわからなかった。

 頭を二度撫でたところでスティアニーがふるふると頭を横に振った。それから「自分の部屋は、いらないです」と小さくもはっきりと口にする。


「うん、それならいつもどおり一緒に寝よう」


 子どもの頃のように手を握ると、一瞬ビクッと震えたのがわかった。それでもゆっくり握り返す様子にジルネフィの頬が緩む。


(そういえば、こうして手を繋ぐことも最近はしなかったな)


 こうしたことも成人したらしないに違いない。だが、スティアニーの手はしっかりとジルネフィの手を握っていた。


(スティはここで育ったから人間の世界の人間とは違うのかもしれない)


 そんなことを考えながらベッドに入り「寝ようか」と声をかける。すると珍しくスティアニーのほうから身を寄せてきた。そのまま胸元に顔を寄せ「おやすみなさい」と囁く。

 スティアニーの温かな熱にプレイオブカラーの瞳がクルクルと色を変えた。そうして一瞬だけ黄金色に輝く。


(よくわからないけど、スティがいいと言うならこのままでいいかな)


 片手を伸ばし枕元の灯りを消す。そうして自分よりも温かい体を抱きしめながら、再びプレイオブカラーに戻った目を閉じた。

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