第4話 風邪
本格的な冬の訪れとともに境界の地も一気に寒さが強くなる。昼間は日差しが降り注ぐポカポカ陽気でも、日が沈むと凍えるような風が吹き抜けて急に雪が舞うこともあった。
ほぼ魔族のジルネフィはそういった気温変化に強く、物心ついたときから病気らしい病気をしたことがなかった。ところが人間であるスティアニーには厳しい環境で、小さい頃は季節の変わり目ごとに風邪を引いていた。少し大きくなってからは風邪を引く頻度も減り程度も軽いものになったが、今回は珍しくこじらせてしまったらしい。
「お師さま、ごめんなさい」
「謝らないで。ほら、おとなしく寝ていないと治らないよ」
「でも、依頼の手伝いとか、それに料理や掃除もしないと……」
「スティを拾う前はわたしだって何でも一人でやっていたんだ。心配しなくて大丈夫だから」
熱で潤んだ菫色の瞳がゆらゆらと揺れている。不甲斐ない自分を責めるようにスティアニーが唇をクッと噛んだ。
(こういうところは本当に人間らしく育った。いや、元々こういう感じだったかな)
昔から風邪を引くたびに申し訳なさそうな顔をした。毎回気にしなくていいと言っているのに、いまも赤い顔のまま眉尻を下げている。額に手を当てると火照っていると言うには熱すぎる体温に、ジルネフィの瞳がくるりと色を変えた。
昨晩、突然熱を出したスティアニーは朝になっても熱が下がらずベッドの主となっている。それが居たたまれないのか、今朝も粥を持って来たジルネフィに何度も謝った。
「いまは体を治すことを考えよう」
優しくそう話すジルネフィに「でも、」とスティアニーが申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「スティもずっとこのままは嫌だよね?」
俯きながらも頷いたスティアニーに粥を食べさせ、人間用に調合した熱冷ましの薬を飲ませた。薬が効いたのか、すぐに眠りに就いた顔をジルネフィが見つめる。
「熱で気弱になっているんだろう」
そうつぶやきながら額を撫で、新しい氷枕を用意した。その後ジルネフィは作業をしたり片付けをしたりして過ごした。そうしてそろそろ昼を食べさせようと部屋へ行くと、またもやスティアニーが申し訳なさそうな顔をする。
「さぁ、昼もしっかり食べて。ちゃんと食べて薬を飲めば熱も下がるからね」
朝は穀物粥だったが、昼は魚の身をほぐしたものを入れてみた。少しでも体力がつけばと思い作ったもので、昔人間の世界のどこかで見たものを真似た粥だ。朝は半分も食べられなかったが、昼は半分と少し食べることができた。食べながら申し訳なさそうな顔をするスティアニーに薬を飲ませ、横になるように促す。
「お師さま、本当にごめんなさい」
「病人が気にすることは何もない。いまのスティが一番にやるべきことは寝ることだよ」
ジルネフィの言葉に菫色の瞳がわずかに揺れる。熱で役に立たない自分を責めているのだろうが、それとは違う気配を少しだけ感じた。だが、それが何なのかジルネフィにはわからない。
少し気になったものの、いまは熱を下げることが先だ。そう思い「さぁ、寝ようか」と微笑みかけると、スティアニーがようやく菫色の瞳を閉じた。
小さい頃を思い出しながら体をトントンと優しく叩く。そのうち小さな寝息が聞こえ始めた。手を止め、起こさないようにそっと触れた枕は随分とぬるくなっている。
(交換しておくか)
小さく砕いた氷を水袋に入れたものを、少し厚めの柔らかな布に来るんで氷枕を作る。そっとスティアニーの頭を持ち上げ、新しいものと交換しもう一度額に触れた。
(なかなか下がらないな)
人間用の薬の効果が遅いのはわかっている。かといって毒になりかねない魔族用の薬を人間であるスティアニーに飲ませるわけにはいかない。薬より手っ取り早いのは魔力を使った治癒だが、体に魔力を流し込むことになるためジルネフィは使うことを渋っていた。
魔力を流し込めば、微量であったとしても魔力を帯びた体になってしまう。人間は本来魔力を持たない生き物で、魔力を帯びた状態が続けば存在が不安定になりかねない。もしスティアニーが人間の世界に戻りたいと願ったときの障害にもなる。
(人間の世界で魔力を帯びた体は異物そのものだ。下手をすればまた排除されかねない)
それはジルネフィの望むところではなかった。「もう少し人間用の薬を調整してみるか」と考えたところで、美しい唇に苦笑のような笑みが浮かぶ。
(やれやれ、まさかわたしがこれほど人間のことを心配するようになるなんてね)
スティアニーを拾う前は考えられなかった。過去の自分が見たら驚きのあまり大笑いするに違いない。自分でも不思議に思うものの、スティアニーのことになるとついあれこれ考えてしまう。
(スティを拾ってから、わたしも随分変わったということかな)
それまでは欲に忠実な魔族らしく生きていたのに、自分の欲よりスティアニーのことを優先するようになった。すぐに飽きるだろうと思っていた人間の真似事も飽きずにいまだに続けている。「ま、わたしは凝り性だし」と苦笑しつつ、もう一度スティアニーの額に触れた。薬が効いて少し落ち着いたのか寝息は穏やかなままだ。
(さて、いまのうちに片付けでも……ん?)
立ち上がろうとしたジルネフィは、服に重みを感じて視線を落とした。見れば白く細い指がお腹の辺りの布をギュッと握り締めている。
(こういうところは小さい頃のままだ)
それとも病とはそういうものなのだろうか。どうしようか少し考え、結局もう一度椅子に腰かける。
スティアニーには熱を出すとジルネフィの服のどこかを握りしめる癖があった。どこか調子が悪いと、寝るときに縋りつくようにぴたりと体を寄せる癖もある。不安な気持ちがそういった行動に出るのだろう。
(そういえば、寝るときにくっついてこなくなったのはいつからだろう)
小さい頃はいつもぴたりと身を寄せて寝ていた。ところが、いつの頃からか同じベッドで寝ているのに遠慮して体を少し離そうとする。だからといってくっつくのが嫌なわけではないようで、抱き寄せればおとなしく腕の中で眠る。
(それだけ成長したということかな)
先日覗いた人間の世界で、成人すると親から離れたがる者が多いということを知った。ということは過度に触れ合うのはよくないのかもしれない。それなのにいつもどおりジルネフィが触れるせいで顔を赤くしたり眠れなくなったりするのだろう。
スティアニーは人間らしく育った。それなら成人後も人間らしく扱うのがいいはずだ。そう考えながら、少しだけ寂しさのようなものをジルネフィは感じていた。
(距離を取ることが寂しいなんて、どうしたのやら)
やはり自分は変わってしまったに違いない。服を握る手をそっと外し、粥の皿とグラスを手にして部屋を出て行く。
(これを片付けたら、わたしも少し寝るかな)
夕飯までには十分時間がある。急ぎの仕事も入っていない。それならスティアニーを抱きしめながら昼寝をしてもいいだろう。
(いや、抱きしめるのは駄目か)
添い寝ならいいだろうか。ついそんなことを考えてしまう自分にやはり苦笑しながら、ジルネフィは洗い物を済ませるべくキッチンへと向かった。
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