第1章 嵐へのいざない
1「鋤(スペード)のヒース」
「じっちゃん! これじゃぁいつまで経ってもあいつら倒せねぇよ!」
五歳のヒースは手に握っていた
鋤は、長い柄の先端に幅の広いスコップのような金属がついた、田畑を耕す農耕具の一種だ。
「気が短いのぅ、ヒース。そもそも
ヒースの父親代わりのその男は50代後半ばで、左目は眼帯をしていた。
白髪混じりの頭ではあるがまだ「じっちゃん」と呼ばれるには少しばかり早いだろう。
だが、年寄りくさい言動のせいで、「父ちゃん」とは呼んでもらっていなかった。
「はぁー、やれやれのー。疲れたぁー」
田んぼで田植え仕事を中断し、もんぺを穿いたじっちゃんは腰に手をあてて背中を反らせストレッチをした。
フランス17世紀の環境によく似たブルタニー王国。
その王都オルレオンから少し南へ下るとブルージュの街外れに、誰も立ち寄らない
季節ごとに木々が色を添える美しい場所だ。
遠くに低い山々は見えるが平野の広がるこの国では農耕が盛んだ。
そこに木造平屋のシンプルな家を建て、ヒースはじっちゃんと一頭の馬とで少しばかりの農地を耕し、ほぼ自給自足の質素な暮らしをしていた。
「だってさ、護衛隊だってすぐ来てくれないし。この間だって初めて街に行った帰りの森で怖い
ヒースは、丸い目でじっちゃんに精一杯訴えた。
「おーお、そうじゃったの。じゃが、わしの鎌で充分じゃったろ?」
じっちゃんが
この国では、30年程前に宰相リシューの命で銃剣所持禁止令が公布され、一般民衆は武器を没収されたのだ。
「じっちゃんの赤い刀使っちゃダメなのか?」
「あれはわしが引退する時、働きに免じて特別に免除されたんじゃが使っちゃぁいかんのじゃ。違反になるんじゃよ」
不服そうなヒースを見てじっちゃんはニイッと笑い、ゴツゴツした手でヒースが投げつけた鋤を掴んだ。
その腕は50代とは思えない程、筋骨隆々であった。
ヒースたっての希望で「対
高さはヒースの身の丈と同じ、直径は20センチ程だ。
その棒に近づき、じっちゃんは鋤を振りかぶる。
「ふりゃぁ!」
勢いよく振り下ろして両断すると、木はきれいに斜めの断面を見せた。
「どうじゃ? 『弘法筆を選ばず』じゃよ。はっはっは!」
ヒースは仕方なく、じっちゃんの田植えを手伝いながら暇を見つけては手近な農具で一人武器の
「ああは言うけどな、スコップみたいなモンじゃ切れねぇよー。他に何か使えるの無いかなぁ……」
ヒースは千歯こぎ――稲の実を落とす道具――を見つけ、手に取ってじっくり見た。
「いっぱい並んだこの鋭いトゲがいい感じじゃねぇか?」
独り言を言いながら千歯こぎの板の部分を外してT字型の手持ち用に改造し、振り回す。
すると
「ちぇっ。痛そうだけど、致命傷にはならねぇじゃん。他に何かねぇか……」
役に立たなくなった千歯こぎを投げ捨て、じっちゃんが田植えに集中している間に倉庫へ行く。
「足踏み脱穀機! 足でペダルを踏むと、針金をつけた部分が回転してお米をとります。短い時間でたくさんお米がとれますが、お米が飛び散るので注意が必要です。じゃねーよ!」
脱穀機を蹴りつけた。
「
手の甲で一打、ツッコミを入れた。
「テッテレー、田植え網ーぃ! 網で一網打尽てか? 無理だろ、五才だぜ?」
解いて散らかした。
網を体に巻き付けてしまいヒースのイライラが頂点に達した時、じっちゃんが倉庫に入ってきた。
「くらぁヒース! 誰が農具を壊していいって言った! 農具を粗末にする奴はメシ抜きだ! もとに戻せ!」
そんなよく晴れたある日の午後。
ヒースは農具改造を諦め、鋤を持って素振りをしていた。
じっちゃんは古びた着物を着崩し縁側にふんぞり返って眺めていたがふと、裸足のまま降りてきてヒースの後ろに回り、そっとその幼い手に自分の手を添えて両断する動きを伝えた。
ヒースは小さく頷くと何度も何度も繰り返し、何週間目かでようやく木が真っ二つになった。
刃こぼれした鋤を握ったまま、ぴょんぴょん跳ねるとオレンジ色の柔らかい髪が上下に揺れて、右の額にある火傷の跡が見え隠れしている。
そんな幼いヒースを前に、じっちゃんの険しい顔もめいっぱい緩む。
「じっちゃん! 今度はもっと太い木にするんだろ!? そしたらじっちゃんみたいになって、あの赤い刀くれるよな!?」
未来を見つめたその目はキラキラと輝いていた。
◇ ◇ ◇
それはヒースが八歳の誕生日を迎える夏のことだった。
じっちゃんは久しぶりにヒースを連れて、誕生日のご馳走と秋から植える野菜の種を買いに、荷台に馬を繋いだ簡単な馬車でオルレオン近郊の街へ行った。
その帰りだ。
暗くならないうちに近道をしようと途中、森を抜けることにして急ぎ馬車を走らせていた。
と、風が勢いよくヒースの頭上を吹き抜け、髪が舞う。
俄かに背筋を緊張が走る!
「じっちゃん!」
「わかっとるわい……!」
じっちゃんは荷台の上ですでに斧を握っている。
この国では、ここ数年前から
ヒース達に向かってきた
そして恐るべきは手足と釣り合わないその爪の長さだ。
二、三十センチはあるだろうか、あんな爪に体を
その
「ヒース! 馬の
「オレもやるよ!」
ヒースは
「手を出さんと待っとれ!」
じっちゃんはヒースを制すと
斧が回転して頭部に命中すると奇声をあげ、緑色の血を流して落下した。
一体目を仕留めるとすぐ、もう一体へ狙いを定める。
ところがその時にはもうヒースは荷台から降り、鋤を体の中心で構えていた。
もう一体のタイプ1を前にして、ヒースの鋤を握る手が
(翼の
20センチもある爪をこちらへ向け、恐るべきスピードでヒースに鋭い爪が迫る!
ところが青ざめるじっちゃんの前でヒースはもう一体の足を鋤で両断したのだ。
「ヒース! ……お前はなんと無謀な……」
じっちゃんはヒースが犠牲になったのかと、安堵から膝をついてしまった。
二体目は
しかし犠牲が出るのは意外にもこんな時だ。
ほっとした次の瞬間、ヒースの背後に体長五メートル強の
口の中で唾液が糸を引き、ヒースの額にその
「ヒース!!」
(あんなでかいやつ、どこに潜んどった……!?)
獣系のタイプ2だ。
一見すると熊のようだがタイプ1よりもサイズが大きく攻撃力も高い。
ヒースは恐怖で固まっていたが、じっちゃんの悲痛な叫びで我にかえると、無我夢中で振り向きざま鋤を下から上方へ突き上げた。
しかし鋤はタイプ2の頬を内側から貫通し留まったまま外れない。
暴れるタイプ2を尻目にじっちゃんは一瞬でヒースまで走った。
呆然とする八歳の男児の体を担いで馬車へ引き返す……!
鋭い爪がじっちゃんの腕を引っ
「ヒース! 大丈夫か!?」
顎に鋤が刺さったタイプ2は首を振り、鋭い爪で取り除こうともがいている。
「じっちゃん、ごめんよ。腕、血が……!」
「荷台の下に隠れとけ!」
その時、後方数百メートルから
護衛隊の隊員達がブルーのマントを
「今頃来おったか……ちと遅いぞ。もうわしがやらねばなるまいて」
そう呟くと、じっちゃんはヒースを馬車の影に連れて行き、鎌を握って獣系タイプ2まで走った。
地面を蹴って高く飛んだじっちゃんはタイプ2の胸に鎌を深く差し、鎌をそのまま置き去りにして飛び降りる。
するとグォーとも聞き取れる叫び声と共にタイプ2はその巨体を地面に横たえた。
依然バタバタと暴れているが、しばらくは時間を稼げそうだ。
「ヒース! 今のうちに早く馬車を出すんじゃ!」
まだ三体とも息はあったが、二人は大急ぎで馬車に乗った。
ちょうどその時になってようやく護衛隊が到着したのだった。
「どう、どう……」
馬の
「お勤めご苦労さまです」
じっちゃんは近づいてくる馬上の隊員に軽く一礼した。
「三体も? あなたが一人でやったのですか?」
声を掛けてきた隊員は、相手が中年の百姓というだけで
「いや、一体はこいつじゃ」
そう言ってヒースの頭をクシャッと撫でた。
その時、じっちゃんの眼帯が他の隊員の目に留まり、態度が一変してこちらへ近付いて来る。
「こ、これは! 失礼ですがチョー教官ですか!?」
「いやいや、もう教官は辞めたんじゃがの」
慌てて一礼したその護衛隊をヒースは興味深そうに見ていた。
「まさか、こんなところでお見かけしようとは。私、第三隊副隊長を務めておりますマークと申します。お噂は兼ねがね伺っております、今でも全隊員の憧れです!」
マーク副隊長は背筋を伸ばすと、右拳を左胸で水平に構える敬礼の姿勢をとった。
「
「ああ、クロードですか! 現在我々第三隊の隊員であります! ご存じのとおり隊員は通常ランクCからですが、彼は実力的に見て既に私と同じ副隊長レベルのランクBと同等ですね」
「そうか、あいつも正規の隊員になったか。みな元気でやっとるといいな」
「ありがとうございます。ですが、この森は
そう言いかけた時だ。
動きの鈍くなった
「副隊長! もう一体タイプ1がそっちへ!」
その声とほぼ同時にじっちゃんの
体にスピンをかけて翼竜系タイプ1の胴体に斬りつける……!
着地と同時にタイプ1がドサッと重い音をたてて地面に落ちた。
その一部始終を見たヒースは
「すげぇ……」
目の前で命を救ってくれた護衛隊の姿はヒースの目にしっかりと焼き付いたのだった。
護衛隊員達は手際よく
この国の護衛隊とは国王直下の衛兵のことであるが、もう二百年も他国との戦争がなく、現在は国王も不在のため
護衛隊と言っても、ここ近年は急激に増えた
王宮周辺の他、国の各所に配備された駐屯所を中心に巡回し、要請があれば直ちに駆け付けてはいたが増え続ける
「もう無茶をするなよ」
御者台から手綱を手繰り寄せると、じっちゃんは後ろを振り向いてヒースのオレンジ色の髪をくしゃくしゃにした。
「しかし、思いもよらんかったの。お前もなかなかやりおる」
ヒースの顔がパッと明るくなった。
「だろ、だろ?」
「鋤の使い手としてはもうエース級じゃ! スペードのエースならぬ、
この国では鋤をその形状が似ていることから「スペード」とも呼んだ。もっとも年配用語なのだが。
「なんだよそれ、
「また他のやつらが来てもいかん、急いでこの森を抜けるぞ」
じっちゃんは手綱を少し強めに振り、馬を急がせた。
路面の砂利の振動がいつもより直に伝わり、尻が痛い。
馬車の後方の護衛隊の馬蹄の音が遠ざかって行く。
「やれやれ、もう少し早う来てくれたらの?」
「なんで気付いてくれたんだろう?」
「定期的に巡回してるだけで偶然じゃよ。運がよかったわい」
「じっちゃん、もしじっちゃんにも剣があったらあっと言う間に倒せたよな?」
ヒースは手綱を握るじっちゃんの背中越しに聞いたが、真っ直ぐ前を向いたまま黙っていた。
蹄の音が小さくなった。
名残惜しそうに振り返ると、護衛隊員達はもう拳ほどの大きさだった。
「護衛隊かぁ、かっこいいよな! なあじっちゃん、おれ、護衛隊に入りたい! 強くなってじっちゃんも街も守るんだ!」
真っ直ぐ護衛隊を見つめるヒースに、じっちゃんは何処か複雑な表情をしていた。
帰宅後、じっちゃんはヒースに15センチ四方の箱を手渡していた。
「お誕生日おめでとう、これがわしからのプレゼントじゃ」
ヒースが胸を躍らせ箱の中を確認すると、ブレスレットが入っていた。
「ありがとう! これ何? ドラゴンだ、イカしてるーぅ!」
「ブルタニーで一番腕のいい職人にお願いして特別に
「じっちゃん、ありがとう。大事にするよ」
「ヒース、これは
装着すると龍が手首の周りをぐるっと巻きついているような形状となった。
見た目はとても美しく高価そうだ。
ヒースはキラキラした目で自分の右手首を顔より高く上げ、
まだ八歳のあどけなさが残る顔の右頬に小さなホクロがある。
それがほんの少し大人びた印象を与えていた。
(あれ……? 何だろう、何となく……気のせいかな)
「じっちゃん、なんか疲れたよー、オレもう寝るね」
ブレスレットをつけた瞬間、体がずっしりと重くなった気がした。
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