第45話 気がついた「私」
「デデデデデ……デートって、なんだよ」
「何もされないけど、彼女でしょ? デートくらいするでしょう」
「いや、でもいつも一緒に出かけてるのに、デ、デートって言わなくてもいいだろ」
「じゃあお出かけって言う」
「いや、デートで。デートでいい、デートがいい」
圭吾は頭をガシガシと掻きながら言った。
サッカー部は夏休みに毎日練習があるけど、今日は水曜日なので少し早く練習が終わる。土曜日も日曜日も練習の選手たちは、この水曜日にみんな気分転換をしている。
その日、私は圭吾をデートに誘った。今日この日を、圭吾と初デートの日にしたかった。
部活が終わり、いつもならそのままジャージで末長くんや私と遊びにいく圭吾も、今日は制服に着替えた。
私が朝デートに誘った時点で「うええええ?!?!」とずっと叫んで「じゃあ……家に帰ってから着替えていく?」と聞かれたけど、もう勢いのまま行きたかった。少しでも迷いたくない、もう終わらせたかった。
私と圭吾は自転車に乗り駅に向かい、電車に乗り、圭吾の隣の席に座る。
なんだか久しぶりに圭吾と一緒に電車に乗る。
サッカーの合宿や移動はすべてバスなので、こうしてふたりで電車に乗るのは……、
「ひょっとして……小学校以来……なの……?」
「げー、そうかも知れない。え……ちょっと待てよ、小学校の時の……あれか、卒業式の後みんなで夢ランド行ったのがラストじゃね?」
「そうかも。そうだよ、だって電車全然乗らないもんね、本数も少ないし。圭吾はずっとサッカーしてるからあの無料バスで全部済むもんね」
「神だよ、神。あのバスで学校もFCカレッソも河川敷も全部回れる」
「確かに」
私たちは電車の中で笑った。
それに自転車があれば、何の問題もない。琴子ちゃんや桃とは、よくお出かけするので電車に乗っている気がする。
目の前に私が最初桃と行こうと思っていた池田高校が見えていた。そしてイオンモール。私はそれを見ながら、
「……池田に行かなくて良かった。圭吾を近くで応援できて、すごく楽しい」
「!! マジか……。いや……俺、FCカレッソの試合で負けて、美穂に『来い』って大騒ぎして、それで小田高来てくれたからさ。悪いことしたかなーって思ってた」
「……ううん。良かった。すごく楽しい。それにわりとサッカー見てて、知識付いてるって気がついた」
「それな。マジで美穂と一緒に振り返りシートするの勉強になる。末長も慣れてきてさ、最近俺とふたりでやってるんだよ」
「提出期限守って偉いなあって思ってるよ」
話しているとすぐに目的の駅についてしまった。
電車から降りるとふわりと磯の香りがする。海が近い。私は心臓がばくりと大きな音を立てはじめて俯いた。
それを見て圭吾が私の顔をのぞき込む。
「……大丈夫か? 顔色悪いけど」
「平気。ね、手を繋ごう?」
「はあああああ?!?! 俺は、何もしない彼氏だぞ!!」
「試合前にパチンとかしてたじゃない。いやなら良いけど」
「いやいやいや、そんなこと言ってない、ちょっと待て、マジで、ちょっと待てよ」
圭吾はカバンの中から練習用のタオルを引っ張り出して首にかけて、それで手をふいた。そのタオルいつ洗濯したやつ?! そのほうが手が汚くなってる気がするんだけど。それに制服に首にタオルまいて歩くって、何なのもう……と思うけど、緊張が解けた。
圭吾は私の目の前で、手をふわふわと踊らせたまま、手を握ってこない。
でもこれはなんとなく圭吾から来てほしくて、私は近くで手を出したまま待つ。
なんだか圭吾に向かって「金よこせ」としているみたいで、変な女子高生になってる気がする。
圭吾は私の手の前でふにゃふにゃと手を動かしていて、私の指先に触れようとして、またタオルで手を拭いた。
これこのまま一時間待たされるやつ? 私は思わず笑ってしまう。
圭吾は「……うっし」と声を出して、指先を私の指先にツン……と触れさせた。
「……!!」
こんなの今まで何度だってあったのに、恋人って意識してからしたことなくて、予想よりドキドキした。
圭吾は指先を、私の指に触れさせて、そのまま引っ張るみたいに私を引き寄せて、手を包み込むように繋いだ。
圭吾の手はいつの間にかびっくりするほど大きくなっていて、なにより分厚くて。
こんな手だったのかと驚いてしまう。圭吾は私の手をクッ……と握ったまま、
「……ちいさ。こんなに小さい手で、ひとりで歩いてたら危ない」
「え?」
「細い、手が。骨が細い。トレーニングしてカルシウム取ったほうがいい。駅のホームも、階段も、こんな小さな手で歩いてたら危ない、折れる。なるべく手を繋ごう、ダメだ」
「何を突然言ってるのよ!」
「すげー手が小さい。やべえ、すげえ……頭痛てえ……」
「なんなの?! 脱水症状じゃないの? お茶……」
といって手を離そうとしたら、圭吾はグッと私の手を握って、
「危ないから」
「さっきまで繋いでなかったんだから!」
「だから知らなかったんだ。美穂がこんなに手が小さいなんて。すげー大切な気がする」
「!! そういうことを平然と言うの辞めて!!」
「んで、どこに行くんだ」
「もお……」
私は自分から言い出したのに、自分から罠にハマったみたいに圭吾に右手を奪われて、ぶーたれた。
それから工場のほうに歩くまでの間、圭吾は私の手を優しく、それでも全てから守るように引き寄せて歩いて、それが今から伝えることへの恐怖にも、安心感にもなった。
私たちは工場横の道をゆっくり歩いた。暑すぎる太陽と潮風、そして工場の方から匂ってくる油の匂いとガソリン臭さ。
そして前に千颯さんと桃が連れてきてくれたカフェに到着した。
心臓がバクバクと音を立てる。周りにお客さんがいないテラス席に座り、私たちは飲み物を頼んだ。
この前と同じアイスティー。圭吾はいつの間にそんなものを飲むようになったのか……アイスカフェオレを頼んでいた。
私は双眼鏡を圭吾に渡した。そして、
「目の前の店……。車屋さん、分かるかな。これで見てみて」
「ん? 双眼鏡? 試合用の? なんで?」
「いいから、前のお店」
「ん?」
不思議そうに、それでも圭吾は私から双眼鏡を受け取って、店内を見た。
そして数秒……いや数分間、ずっとのぞき込んでいた。そして私のほうを見て、
「母さん」
「そう。神戸の子会社はすぐに辞めたんだって。それで、この車屋さんで働いてる。三喜屋の配達車、全部ここの店の車だったんだけど、それで引き抜かれたみたい」
「美穂が……どうして、母さんがここで働いてること……知ってるんだ?」
圭吾はまっすぐに私を見る。
心臓が痛い、心臓がバクバクと、今までの人生で一番大きな音を立てて動いている。私は溢れてきそうになる涙をグッと瞬きで飲み込み、
「……桃と千颯さんに、教えてもらった」
「どうしてあのふたりがそれを知ってるんだ」
「……圭吾のお母さんは、千颯さんのお父さんと不倫して、それで離婚したの。私は……圭吾のお母さんが転勤決まった時に……知ったの」
「……マジかよ……性格の不一致って……嘘だったのかよ……不倫って……なんだよ……なあそれ……マジかよ……」
圭吾は頭を抱えて目を閉じた。
言いたくなかった。言わずに済むなら、それで良いと思った。
でも……と私が圭吾を見ていると、圭吾は目を開いて、私のほうを見た。そして私の手をグッと握り、
「ごめん、美穂。美穂はそれを知ってたから、小田高に来てくれたんだな」
「!!」
「ずっと、ずっと疑問だった。だって美穂は俺と離れたいと思っていたはずだ。でもあの直後に進路を変えて、小田高に来てくれるって言った。これを知って、俺がひとりになるから、俺が落ち込むから、俺と一緒にいるために小田高来てくれたんだな。こんなこと知って、ずっと抱えて、つらかったのは、美穂じゃないか。俺は美穂が傷つくのが一番嫌いなのに、ただ守られてたことにも気がついて無かったのか」
「圭吾……」
「ごめん、ごめん美穂。悪かった、こんなこと抱えさせて。本当に最低な母親だ。俺が弱かったから、俺に言えなかったから、だから今まで言わなかったのか、いや、俺が悪い。俺が弱かったから……ごめん、美穂。俺自分が一番つらいと思ってた。辛くて苦しくて悲しくて……寝込んだ時のこと、今も覚えてる。もう全部イヤになってたんだ」
「……圭吾がダメになっちゃうと思ったの。すごく頑張ってきた圭吾が、こんなことで引退試合ダメになるの、私イヤで、私……」
「ごめん美穂。俺があまりに頼りがい無かったからだ。あの時なら……わからない……転勤って聞かされてたから……なんとかなかったけど、分からない、美穂ごめん、ごめん美穂。苦しめた。今の俺には、母親がクソなことより、大好きで大切な美穂が傷ついていた事のが辛い。だから母親がどうでも良いって思える。そうじゃなかったら、あの時だったらダメだったかも知れない。美穂、ごめん、ありがとう」
そう言って圭吾は椅子ごと私を引き寄せて腰に手を回して、泣いている私を抱き寄せた。
ずっとずっと考えていた。
私は正宗さんが里奈さんの気を引きたくて両耳を傷付けた気持ちがどこか分かる。
痛みを持ったら、同じなんじゃないかって。
同じ立場になれるんじゃないかって、そう思ったんじゃないかって。
私が痛みを持つことで、圭吾を守りたいと思った。
泣いている私を圭吾はひたすら抱き寄せて、ずっと頭を撫でてくれている。
その力はすごく強くて、真ん中に抱きしめられていると、どうしようもなく安心した。
やっと私は痛みを圭吾に渡せたんだ。
心のどこかで、この痛みを分かってほしいと願っていた。
そんなの耳を突いて愛されると思っていた正宗さんと、変わらない気がして。
痛い箱の中にはいって、痛い痛い、ねえ痛いよってただ泣いて待ってるなんて、そんなのイヤだから、やっと吐き出せた。
これは私が持ってるべきじゃない痛みだ。
圭吾を信じて、圭吾に渡すべき、圭吾が持つべき痛みだとやっと気がついた。
泣いて泣いて日が暮れるころ、やっと落ち着いて圭吾をチラリと見た。
圭吾は今までと全然違う、ものすごく優しい表情で私のことを見ていた。
そして私の身体をクッ……と引き寄せて、
「なあ、ひとつだけ聞かせてくれ。俺の彼女になってくれたのも、これが関係してるのか?」
「……きっかけではあったけど……受け入れたのは、上野先輩に誘われた時に……圭吾の事しか思い出せなくて……」
私が小さな声で言うと、圭吾はさらに私の頭を優しく抱き寄せて、
「そうか、ガチ嬉しい。……帰ろう、家に」
「うん」
もう水になっていたアイスティーとアイスカフェオレを飲んで私たちは店を出た。
圭吾はお母さんが働いている店には目をくれず、私のカバンを持って駅に向かって歩き始めた。
そして当然のように手を出してきた。私はさっき抱き寄せてくれた身体があまりにしっかりしてて、私を見る目が来た時とは全然違ってドキドキする。視線だけですごく大切だって伝えてくる。
もうどうしたら良いのか分からなくてあまり触れたくない。目を逸らして、
「……ここにくるから、緊張して、だから手を繋ごうって言っただけで、そんな……ずっと手を繋ぐのは違う」
「俺が繋ぎたい。美穂と。頼む。緊張してるんだ」
「何に?!」
「帰ろう。手を繋ぎたい」
「……もお」
私が手を差し出すと、圭吾はとても大切なものを包むように優しく私と手を繋いだ。
その甘さが、引っ張る強さが、なんだかドキドキして息ができない。
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