第44話 真実
「こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
ロング丈のスカートがふわりと揺れて踊る。
足にまとわりついて歩きにくい……とか、全然ない! すごい、スカートが踊る!
私は桃の腕にしがみ付き、
「桃、すごい、このワンピースすごいね」
「そうね、歩きやすいわ」
そう言って桃は微笑んだ。
今日は北見竜之介さんにホテル源川に呼ばれたので、ドレスアップしてきた。
このドレスは千颯さんのお母さん、ニコさんが私のために作ってくれたものだ。
採寸はブラジャーを剥ぎ取られて(パンツは死守した)本当に30分かかった!
もう私の全て……なんなら爪の長さまで測ってるんじゃないの?! ってくらい全身を測られた。
でもそのおかげで、超身体にフィットするワンピースを作ってくれて、もう最高にお姫さま。
これはドレスの試作品? らしく、シンプルなワンピースなんだけど、肩とか脇とか、そういう所が全然苦しくない。
着ていることを忘れるようなワンピースなのに黒くてシンプルで、どこにでも着ていけそうな素敵な服だ。
ニコさんに「すごいすごい、最高ですー!」と伝えたら、本当にうれしそうにしていた。
それに前はあんなにニコさんに冷たくしていた桃が「やるわね」とニコさんを褒めていた。
同じシンプルなワンピースを桃もニコさんにオーダーして、私と桃は今日お揃いのワンピースを着ている。
もうこのなんだか恐ろしそうな会が終わったら、撮影会をするのだ!
桃は私を見て目を細めて、
「美穂、可愛い。こっちに来て?」
「桃ーー! 桃のが可愛い、すごく可愛い。わああ~~。私と桃が同じワンピースなの、最高に楽しいよー!」
「ん~、もう少しメイクが派手でも良かったかも。美穂は化粧がよく乗るわ」
「えへへ。素材がシンプルだからね!」
「シンプルなのが一番良い。そのまま食べられて、俺の大好物だけど?」
と横からきた千颯さんは、私の肩を抱き寄せた。
桃は呆れながら「バカ男にキレられるわよ」という。ここで桃がいう「バカ男」は圭吾のことだ。
圭吾は私が何もされない彼女になってから、桃に対してもすごく強く出るようになった。
日曜日に桃の家に泊まろうとすると、自転車で迎えにきたりする。私も最近はなんだか妙に嬉しくて、あまり強く言えない。千颯さんは私を見て、
「俺思うんだけど、美穂ちゃんは俺たちの子にしたほうがいい。俺と桃は基本的に意見が合うのに仲良くないんだよ。真ん中に美穂ちゃんがいるから会話もするし、成り立ってる。美穂ちゃんがいなくなったら簡単に崩壊するぞ」
「同意見よ。だから少しでも筋道立てたいのよね」
「今日が足がかりになると良いけど」
そういって千颯さんは前を歩き始めた。
千颯さんは今日はおばあさまが仕上げたサマースーツを着ていて、ものすごくカッコイイ~~!
あまりにカッコ良くて桃の家でパシャパシャ写真撮ったくらいカッコイイ。
係の人に促されて三人でホテル源川の離れに向かう。
ホテル源川は北見病院の次男、北見竜之介さんの奥さま……北見聡子さんの父親が経営しているホテルだ。
桃と千颯さんはこのホテル源川を三喜屋の味方に付けると、ここから先の三喜屋の発展に繋がると考えているようで、今回のイベントで積極的に絡んでいた。
「こちらへどうぞ」
通された離れはホテルから美しい庭園を歩いた先にある小さな建物だった。
おおお~~。時代劇とかで見たことある離れみたいなの? 私の知能ではその程度。でも秘密の会談とか出来そうな所だ~と思ってしまう。
話をするのは千颯さんと桃で、私はなぜか連れてこられただけなので、わりとただ楽しんでいる。
「来て貰ってごめんね」
「いえ、わざわざ会って頂けて嬉しいです」
部屋にいたのは北見竜之介さんだけだった。竜之介さんに向かって千颯さんが頭を下げる。
私と桃も頭を下げて挨拶した。着席すると、ものすごく香りがよいお茶と和菓子が出て来た。
わあ~~。それに湖が最も美しく見える場所って感じがする。遠くに三喜屋御殿も見える。すごいー。
私が出されたお茶菓子を食べて感動していると、竜之介さんがiPadを机に置いた。
「調査結果が出たんだけどさ、いや驚いたね。店長の仕業だったよ」
「やはりそうですか。23時以降に動いてるのが気になって……良かったです」
「全く気がつかなかったよ。でも冷凍されていたものを検査したら、すべて安価な豚肉に変えられてたんだよ、驚いたね。まだ販売前だったからセーフだったけど、他にもされてた可能性があって、今全部調べてる。助かった、店をひとりに潰される所だった」
そう言って竜之介さんは笑顔を見せた。
イベント終了後に私はロシア人のスタッフ、アンナと仲良くなり、その住居兼作業場に深夜にお邪魔した。
その時に変な車が何台も停まっていて怖かったことを千颯さんに報告したのだ。
それはなんと北見のスタッフが帰ったあと、店長が独自ルートで安く仕入れていた冷凍の豚肉だった。
北見竜之介さんが販売しているピロシキには鹿肉が多く使われている。鹿肉はロシア料理に欠かせないものだけど、かなり高価だ。でもそれを変えるわけにいかず、ちゃんと仕入れていた。それに目をつけた現場の店長が鹿肉を20%に減らして、残り80%は安い豚肉に変更していた。その差額を自分のお金にしていたようだ。
その豚肉を深夜23時に運ばせていたのだ。
竜之介さんは私の目の前にふたつのピロシキを置いた。
「美穂ちゃんなら分かるかな?」
「なるほど。では頂きます」
ふたつのピロシキを食べてみると、なんとな~く、右側のほうが臭みが強い。
でもこれは……、
「これふたつとも鹿肉じゃないですか?」
「!! 正解。すごい。なんで分かったの?」
「これ、ロシアの玉ねぎを右側だけ使ってますよね? これこの前のイベントでアンナに食べさせてもらったから知ってるだけなんです。すごくニンニクみたいな匂いがしますよね」
「そうなんだよ。どうやら店長はこれに目をつけて、鹿肉を減らしてロシアの玉ねぎを入れてたみたいで。これ日本でも安価で買えるんだよね。俺、食べてたのに全然気がつかなかった」
「いえ私もアンナにイベントで玉ねぎを食べさせて貰って無かったら、気がつかなかったです。あの玉ねぎ手に入るんですね。興味があって家で調べたんですけど、出てきませんでした」
「玉ねぎとして売ってないんだよ。別の名前で球根としてホームセンターで売ってる」
「へええ~~~! それを食用に~!」
「向こうでは食用だけど綺麗な花が咲くんだって。食べても無害な球根らしいよ」
「へええ~~~!」
私は北見さんと料理オタクトークで盛り上がってしまった。
桃も千颯さんもピロシキを二つ食べて「分からない」と言っていて少し面白い。
確かに何も考えなかったら、全然気がつかない……なんなら豚肉とロシアの玉ねぎのほうも美味しかった。
店長がクビになり、他の人が入ることに決まり、事なきを得たようだ。
スタッフたちは何も標記がない肉を使っていただけで、誰も罪に問われないと聞いて安堵した。
これで安心してアンナたちに会いにいける。
竜之介さんは姿勢を正して、
「それで……君たちは、どうしてこれを聡子に言わず、俺にだけ伝えたんだい? ロシアのお店を出そうと提案してきた時点で何か考えてるんだろうなと思ってたけど。正直聡子も母も、カタリナたちを追い出したくてたまらないんだ。だから常に目を光らせてる。だから俺もしっかりチェックしてるつもりなんだけど……今回は信用してた日本人店長の裏切りで誤算だった。でもこれを聡子に伝えたほうが三喜屋的には良いだろう? 味方に付けるべきはホテル源川だろうに」
桃は紅茶を飲み、
「ずっと……お話を聞きたいと思ってました。母のことです」
「ああ……なるほど、そっちか」
「竜之介さんは、私の母の最後の主治医だったはずです。その後精神科医を辞めている。だから何か知ってるんじゃないかと思って、ずっと話をしてみたかったんです。私は母と父を信じたい。今のままではふたりのことを信じられなくて辛いんです」
「なるほど。なるほどね……そうだね、俺は里奈さんを最後に精神科医を辞めた。でも俺が精神科医を辞めた理由は里奈さんじゃなくて、千颯くんのお父さん……正宗さんのことがあったからなんだ」
千颯さんは「え?」と顔を上げた。
竜之介さんはお茶を飲み、
「衝撃的な話だから伏せられてて、俺と正宗さん里奈さん、敬一郎さんしか知らない事なんだけど、この真実を伝えることが未来を生きる桃ちゃんを救うと信じて伝えるよ。正宗さんの耳……あれ事故で処理されてるけど……いや、間違いなく精神疾患から発作的に行った行為で事故なんだけど……正宗さんは里奈さんの目の前で自分で両耳を傷付けたんだ。そして聴力を失った」
「え……」
あまりに恐ろしい話に私たちは絶句して言葉が出ない。
竜之介さんは続ける。
「あの時期、里奈さんは脳梗塞の後遺症、高次脳機能障害の兆候が出始めていた。この症状を見ていたのは母だ。でも高次脳機能障害は本当に難しくてね、相談しながら頑張ってたんだけど……。正宗さんは別の人格になっていくと嘆き悲しむ里奈さんの目の前で、自分の両耳を痛めつけたんだ。俺……ずっと精神科医として学んで、それなりにやってきたけど、衝撃的だったんだ。本当に。すごかった。両耳を自分で……しかも迷いなく嬉しそうに。下手したら死ぬのが分かってしたんだ。それでも敬一郎さんは、そんな正宗さんを置いて里奈さんを連れて帰ったんだよ。里奈さんは泣きながら敬一郎さんに抱きついて……耳を怪我しても置き去りにされた正宗さんをみて、俺は精神科医を辞めたんだ。精神科医っていうのはね、誰よりもその人を理解して、偏見を捨てて、その人が理解して貰えるようにするのが仕事だ。でも俺はその時正宗さんを理解できないと思った。いや、敬一郎さんと里奈さんに正宗さんを説明できないと思った。だから精神科医を辞めたんだ」
竜之介さんは一点を見つめて全てを吐き出し、顔を上げて桃を見て、
「桃ちゃんの未来のために、これだけはハッキリ言うよ。里奈さんは、敬一郎さんを愛してた。敬一郎さんも、どんな状態になっても里奈さんを愛してたよ。それだけは言える。愛していたから、後遺症で変わっていく自分が耐えられなかったんだ。正宗さんはその後、敬一郎さんが紹介した信頼できる精神科医に会い、今の状態まで回復したんだ。俺には無理だった。これが全ての真実だよ」
私と桃と千颯さんは絶句してしまって動けない。
それでも竜之介さんがお仕事に行くことになり、私たちは香月さんが運転する車で家に戻った。
スマホをずっと繋いで内容を聞いていた香月さんも、運転しながら何ひとつ話さない。
私は窓の外、暮れゆく湖の景色をずっと見ていた。
里奈さんも敬一郎さんを愛していた。敬一郎さんも里奈さんを愛していた。
ふたりの間には確固たる愛があり、自殺はそれゆえにおこった。
正宗さんの生命をかけた行動も、何もかも届かぬほど、強い愛の末に里奈さんは死んだのだ。
それでも百合子さんの車で死んだのは、死んだあとに百合子さんに取られたくないという最後のメッセージだったのかも知れない。
あまりに強い愛憎。
でも私は車の中で思っていた。
両耳を、好きな人の前で傷つける。
1ミリも、全く理解できないことのはずなのに、どこかそう思えなくて、少し驚いていた。
家に到着して香月さんが出してくれた紅茶を飲んでそういうと、桃が顔を上げた。
「え? 叔父の信じられない行動が理解できるってこと?」
私はアイスティーの氷をカラカラと回しながら、
「同じになれると思ったんじゃないかな」
「え……?」
「……桃のお母さんが狂っていくことに、違う自分になることが耐えられないなら、正宗さんは自分を自分で傷付けて、同じになりたかったんじゃないかな。そしたら愛して貰えると思ったんじゃないかな。むしろ最後のチャンスだと思ったんじゃないかな。どうしても諦めきれないから、同じように傷つこうと思ったんじゃないかな。その傷は桃のお父さんである敬一郎さんには無いものだから、それを得たかった。同じように障がいを自ら得て、心も得ようとした、同士になれると思った。メチャクチャな話だって分かるけど……でもなんか……分かるの……」
私がそう呟くと、桃と千颯さんは絶句した。
それが分かってしまうのは、きっと……。
私はワンピースから着替えて家に帰ることにした。
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