第39話 そんなの全部、私がいれば
「すごい量の入力が待ってます……」
「これだけじゃなくて、夏休みの合宿の準備も始まるわ。遠征先の準備も私たちの仕事だし、バスのオーダー、宿泊先の準備に食事の確認。やること無限大よ」
「はいっ!」
私はマネージャールームで気合いを入れた。
全国を目指すチームが大変なのは知ってたけど、ここまで色々あるなんて。
先輩たちがいる間にしっかり学ばないと!
マネージャーって何するんだろうと思ってたけど、マネージャーがいないと選手は試合に集中できないんだと気がついて、やり甲斐を感じるようになってきた。
それに私はテキストを打ち込む作業が早いみたいで、主にタイピング作業を任されるようになった。
今日も戦略コーチたちが集まって次の試合に向けて打ち合わせをしていた。
それを横で聞いてリアルタイムで議事録を作り、書き出す。
正直これは家でお父さんと押味コーチがしてたのと同じというか、その上級者がしていることで、何を言ってるのかある程度理解できるから、書けている気がする。
私はタイピングしながら、
「……ここまで自分がサッカーに詳しくなってたことに驚いてます」
「だからお父さんがずっと誘ってたんだよ。美穂ちゃんはサッカーサポートのサラブレッドなんだから。幼稚園の時から一緒に見てて、お父さんは私のお父さんと語れるくらい戦略考えるのが好きで、それをずっと横で聞かされてきたんだから!」
「料理しか取り柄がないと思ってました……」
「その料理も調理師のお母さん譲りだし。それに聞いたわ。城が落ちたって」
「ぐふっ……! 押味先輩までやめてください!」
同じ部室内で先輩マネージャーたちもみんな大笑いする。
押味先輩は立ち上がって、
「美穂を面白おかしくイジるやつは、全員俺の所来い! カッコイイ~~!」
「あの、それだと押味先輩が圭吾に怒られますよ」
「あ、そうだね、ごめん、良く無い。いやカッコ良くて良いなあって思ったの。それに私のお父さんと末長くんのこともありがとうね。お母さんLINEもらって嬉しそうにしてた」
「ぜひ押味先輩も……って家がそこまで広くないですけど」
「私はいいわ。お母さんとお父さんと末長くんがうまく回れば、あとは何とかなる」
「応援してます」
「部員に彼女が出来るとコーチが釘刺しにいったりするけど、圭吾くんは美穂ちゃんが野放しのほうが集中出来て無かったみたいだから、コーチたちも安心してた。良かったわあ、落ちてくれて」
他のマネージャーさんたちも「うん、うん」と頷いていて、こんな風に思われてたなら、もっと早くこうなるべきだったのかも……と思い始めた。
そして今まで彼女が出来てグダグダになった先輩たちの話を聞きながら作業を進めて、今日の部活は終わった。
頭の中心が痺れるくらい疲れた……。自転車置き場にいくと、圭吾が待っていた。
一瞬身構えてしまって、そんな自分に驚くけど、それより先に圭吾が、
「美穂おつかれーー。ダメだ、マジでヤバい、いつもの三倍しごかれた。『調子にのってんじゃねーぞ!』ってさあ。意味わかんねー。久しぶりに膝がカクカクする」
「……もう。騒ぐから」
「美穂に誰も近づけさせないためにしたんだから、最大限に騒ぐべきだろ。もう明日からこんなことしない」
「そりゃそうでしょうよ。ほら帰ろう」
「うえー……マジで身体中が痛てー」
「……あ! じゃあ久しぶりに竜宮ランドいかない?」
「!! いいなそれ。行くか!!」
湖の横に観光客用の健康施設があって、そこには竜宮ランドというちょっとアレな名前なんだけど、ものすごくパワーがあるバブル風呂があって、あそこに10分浮かんでいれば身体の疲れがすっきり取れる。
中学生の頃は、大きな試合が終わるとよく行っていた。
ふたりで家に帰り、まず晩ご飯を食べた。これから竜宮ランドに行くって言ってるのに、そんなに食べたら泡に押されてお腹からご飯出てくるんじゃないの……? ってくらい圭吾は食べて、一緒に適当なジャージを掴んで竜宮ランドに向かった。
竜宮ランドは、土日は混んでて近づきたくないけど、平日のこの時間は地元の人しか居なくて空いてる。
大きな脱衣所にたくさんのお風呂、外には湖が見える露天風呂に、バブル風呂、打たせ風呂、低温サウナに巨大なテレビ。
とにかく楽しい。たっぷり一時間お風呂を満喫して畳の部屋にいくと、圭吾が寝転がって待っていた。
「ういー……マジで最高。疲れすっきり取れた」
「あー……畳ダメ、ねえ、これ横になったら終わるやつ……?」
「終わるやつ……俺さっきから、ガチでヤバい……寝る……」
圭吾は畳に横になってぼんやりと言葉を吐いている。
私も圭吾の横にゴロンとしたら、抗えないレベルの眠気が……。
身体をごろりと動かすとすぐ横に圭吾の身体がある。
ここに一番来てたのは小学生の頃かな。小学生は低学年無料なのもあり、あの頃はふたりでぐーぐーよく寝てた。あっちの棚にあったブラックジャックを全部読んで、真似たのは何年生の頃だったかな。
その頃に比べると、当然だけどすごく大きな背中になったんだな……としみじみ思う。そりゃあれだけサッカーして筋トレしてたらデカくもなる。
こんな風に近くで圭吾を見るのは久しぶりな気がする……ていうか本当に眠い。
私はウトウトしながら、
「……昔さあ、圭吾が露天風呂のベンチで寝ちゃってさあ……」
「そんなことあったなあ……」
「圭吾、乳首の横を蚊に喰われてっ……乳首が増えてっ……!」
「そんなこと言ったら美穂は売店のコーヒー牛乳飲みすぎて腹くだして、トイレから20分出てこなかった」
「それはめっちゃ覚えてる。そのあとお風呂入り直したんだよね」
「俺待ってたもん……覚えてる……」
「帰れや……」
「バカにしようと思って」
「アホか……」
私たちはウトウトしながら、クスクス笑いながら、ダラダラ話した。
なんだか最近こんな風にゆっくり話せるの久しぶりな気がして、やっぱり中学生、高校生ってなるにつれて、圭吾を幼馴染みというより、男の人として無意識に遠ざけていたんだと気がつく。
圭吾も同じ気持ちだったみたいで、
「……美穂が彼女って枠になってくれたのは嬉しいんだけど、なによりこうやって、ダラダラ出来るのが嬉しい」
「正直すんごい分かる。この気楽さ……思い出してきた……最高このまま寝たい……」
「寝たい……ダメだ。俺、家庭科の課題、出せってガチ切れされてる。なあ美穂、俺の母子手帳どこか知らない?」
その言葉を聞いてドキリとして、ウトウトしていた気持ちが消えて目が覚めた。
圭吾のお母さんが働いていた後ろ姿を思い出したからだ。
私は体を起こして、
「母子手帳……大掃除の時に琴子ちゃんと引き出しに移動させた気がする。あ、あの生まれた時の体重とか、身長とか書くやつだ」
「そう。小学校の時もやったし、中学でもやったのに、高校でもやるんだな、あれ」
「圭吾の家の引き出しだよ、じゃあ探そっか。ごめん、移動させたの私と琴子ちゃんだわ」
「だよな。保険証とかもそこだろ?」
「保険証はお母さんかも。とりあえず帰って探そう。ていうか、あの提出期限先週じゃなかった?」
「そうとも言う」
私たちは竜宮ランドから出て自転車に跨がり家に帰り始めた。
湖から抜けてくる風が冷たくて気持ちが良い。完全に乾ききっていない髪の毛を風で乾かすように頭を振る。
すぐ前を走る圭吾は、無駄に立ちこぎをしている。
私は思わず少し笑い、
「ねえ、どうして圭吾っていつも立ちこぎするの? 疲れない?」
「高くなって、低くなるのが面白い。あと身体がエンジンって感じが楽しい」
「せっかく汗流したのに」
ケラケラ笑いながら、圭吾をあのカフェに連れて行ってしまったほうが楽になるのかな……とふと思う。
でも同時に千颯さんに言われたことを思い出す。
『情報は、使わないと前に進めないと思った時のために取っておく物なんだ』
まだ前に進める。だから必要ない。私は自転車で圭吾の横に並び、
「昔、竜宮ランドの帰りに蛍がいてさ。圭吾が『あの蛍、宇宙まで行けるのか?』って聞いたの、すごく覚えてる」
「え。なんだそれ、ファンシーすぎるな。俺は美穂が蛍がキレイだって言うから必死に捕まえたのに、それを渡したら『虫じゃん』ってキレられたのを覚えてる」
「我ながら身勝手すぎる。でもあれ虫じゃん」
「いや、虫なんだけどさ!」
横を走る圭吾のシャツが風に揺れて、欠けた月が美しい。
自転車を圭吾の家に停めて、台所の引き出しをあける。
ここは私と琴子ちゃんが無になって捨てて捨てて捨てまくった棚だ。
使いかけのピルが入っていて、不倫を確信した最悪の棚。
今はほぼカラッポで、母子手帳が無造作に入っていて、私はそれを取り出して圭吾に渡した。
「おお、サンキュー。もうここでメモしとくわ。えっと、体重が3200、身長が……?」
圭吾が開いた母子手帳には、圭吾のお母さんのメモがたくさん書いてあった。
圭吾のお母さんと小さな圭吾が写ってくるプリクラ、小さな圭吾が貼ったのか新幹線のシールも見えた。
どうして今がこんなに楽しくて幸せなのに、こんなことで心がザクザクと傷付けられなきゃいけないのか。
私は圭吾が書き終えた母子手帳を引き出しの中に押し込もうとして……ふと気がついた。
私は財布からさっき行った竜宮ランドのチケットの半券を取り出して、マステで母子手帳の裏に貼り付けた。
圭吾はそれを見て笑いながら、
「スタンプラリーかよ」
「別にまだ子どもだし。楽しかったことで更新しとこ」
「なるほど? まあ捨てるより良いか」
そう言って圭吾は自分の半券も取り出して、横に張った。
別に今からだって上書きできる。だって私が一緒にいるんだし。今から楽しい手帳にしてやる。
「……また竜宮ランド一緒にいこうね」
「行こう行こう。良かった、マジで」
「サウナに塩が追加されてるの見た?」
「あれ何するんだ?」
「身体を揉むんだよ」
話していると台所の奥……玄関のほうから顔を半分だけ出した琴子ちゃんが見えた。
「……マジで付き合いはじめたんか……なにがどうしてこうなったんやワレ……ワシも竜宮行きたかったんじゃが……塩豚になりたいんじゃ……」
「おい琴子、帰ってきたなら声かけろ!!」
「琴子ちゃん。おかえり」
「ま、美穂ちゃんがガチ妹になるなら、多少の事は目をつぶれる……妹よ……愛してるっ!」
「琴子ちゃんBIGLOVEっ!!」
私と琴子ちゃんは強く抱きしめ合った。
実はお母さんが色々察してくれて、琴子ちゃんに琴子ちゃんのお母さんが車屋で働いている事を話してくれたみたいだ。
琴子ちゃんは「了解。近づかないっス」とお母さんに頭を下げたと聞いた。
知ってること、知らなくていいこと、全部抱きしめて前に進むしかない。
圭吾はいつも私と琴子ちゃんがイチャイチャし始めると去って行くのに、今日は台所にいてお茶を飲みながら、
「琴子、お前進路決めたん?」
「美容師になる専門学校行くよ」
「源川北の?」
「そうそう。圭吾の髪の毛で練習させてよ。良い感じにモジャモジャじゃん」
「えー……? 信じていいのか……? 五分刈りにされねーか……?」
「今どき野球部にもいないよ、あははは!」
この空気感がなんだか昔みたいで、それが何だがすごく楽しかった。
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