第37話 導き出された気持ちは

 家に帰りながら、どうやって圭吾に伝えたら良いのか考える。

 突然話せる内容じゃない……そもそもどこから話すの……?

 ぐるぐるぐるぐる。答えが出ないまま、家に到着した。


「ただいま」


 玄関を開けて絶句した。

 靴の数が多すぎて、靴を脱ぐスペースがない。

 何足か動かして空間を作っていると台所からお母さんが飛び出してきて、


「美穂おかえり! 助けて! どれだけ作ってもご飯が消えていくの!」

「お客さん?」

「美穂おかえり! 末長と押味コーチ!」


 騒がしいリビングから圭吾が顔を出した。

 ずっと圭吾のことを考えてきたから、心臓がドキリとする。

 でもぐるぐる考えてたのに、本人の顔を見るとなぜか心が安心して、


「……それでこんなに靴があるんだ」

「久米さん、すいませんお邪魔してます」

「末長くん。お茶碗置いて歩いたほうがいいよ」

「美穂ちゃん、ごめんね、お邪魔しちゃって」

「押味コーチもお茶碗置いてください、変ですよ!」


 二人とも手にお茶碗持ってて笑ってしまう。

 今日は四時間授業で部活がなかったから圭吾と末長くんはFCカレッソに行って練習していたようだ。

 そしてそのまま押味コーチと共になぜか我が家に来たみたい。

 私のお父さんもいて、リビングがでっかい男ばかりいて、密度がヤバい!

 私はすぐに着替えてお母さんと一緒にどんどんご飯を作った。お肉を焼いて出すとか、何か揚げるとか、適当に炒めて出す……とかスピード料理をふたりでガンガンしても、四人はすごい速度で食べて行く。

 ご飯を作ってると頭の中がすっきりしてくるのが分かる。料理は私の精神安定剤だ。

 秘技お母さんの油淋鶏が出たころには四人ともお腹が膨れたようで、この前の試合を見ながら振り返りシート作業をはじめた。うちには圭吾とお父さんが話すために巨大な学校みたいなホワイトボードもある。

 それを持って来て押味コーチが試合を見ながら話をして、圭吾と末長くんは頷きながら振り返りシートを書いていく。

 うちはご飯が出てくるミーティングルームだったのかもしれない。


「さて、美穂お腹空いてる? ご飯食べましょうか」

「うん。食べる。ていうか、残り物だけでたくさんありそうだね」

「すごいわ、本当に。でも末長くんも押味コーチと仲が良さそうで嬉しいわ」


 お母さんはご飯を机の上に並べながら言った。

 私はリビングの扉と、台所の扉を二重にしめた。こうするとあっちの声も、こっちの声も聞こえなくなる。

 そしてお箸を持って少しだけ小さな声で、


「仲よさそうで良かった。ほら、押味コーチの娘さん……ほら、お母さんも会ったことあるでしょ、押味先輩」

「曜子ちゃんね、そうね。ひとつ上はちょっと難しいみたいね」

「それに修二くんもいて」

「あー……末長くん弟くん居たわね。来年だっけ小田高に入ってくるの」

「そう今中三。あ、FCカレッソの引退試合見に行こうね」

「もうその時期ね。みんな同年だから、やっぱり大変よね。だからってうちに逃げて来てたら、末長くんのママが可哀想よ。気軽に来てほしいと思うけど、女心としては複雑でしょうね。私は空気が読めるママなので、ちゃんと末長くんのママの美紀さんにLINEしておいたけど。今度は美紀さんも一緒に来てって。順番にひとりずつ、馴染んでいくのがいいわ。ゆっくりでいいの」

「……お母さんのそういう所、すごいと思う」


 私が素直にいうと、お母さんは油淋鶏を食べて笑顔になり、


「あらやだ。清水屋のプリンに気がついちゃったの?」

「なにそれ、清水屋プリン出したの?」

「実は発売するって聞いて一ヶ月前に予約してたのよ~。あとで食べましょう。ふたつしかないの」

「まさかお母さん、また完コピ狙ってます?」

「当然よ!! 目指せジェネリック清水屋!!」


 お母さんはビールを飲みながら油淋鶏を食べて、笑顔を見せた。

 私は本当にお母さんが大好きで、尊敬してるし、料理が好きなので、延々話せる。

 私は我慢できなくなって、どうしても気になっていたことを口にする。


「あの、さ、お母さん。お母さんは圭吾のお母さんのこと、どこまで知ってるの?」

「え……ああ……、そうなの。離婚理由が不倫のこと、美穂は知ってるのね」

「……うん」

「勝手な親の都合で人生を振り回すなんて親失格よ、情けないわね」


 その一言で、全部お母さんは知っていたんだと思って、涙が出て来た。

 私はグズグズ泣きながら、


「車の会社に、転職したの、今日見て」

「えっ?! それは知らなかったわ。え? どこの」

「造船所近くの車屋」

「えー……あらまあ。でももう、私は一生会わないわ。親友だったからこそ、もう会わない。圭吾くんは?」

「何も知らない。でも私は知ってたの。だから私が、言うよ。偶然会う前に、私言う。でも言いたくなくて。でも言うよ。私が言ったほうがいいと思う」

「言うって、離婚理由は不倫だったと言うの? 私はわざわざ伝えなくて良いと思うけど。離婚してあそこで働いている。それ以上の経緯を言う必要はないと思うわ。どうしてそれを伝える必要があるのか、私には分からない」


 言われてみると確かに……私は全部知ってるから「ショックを受ける前に伝えなきゃ」と思ってるけど、事実だけみたら「転勤後に転職。離婚後にあそこで働いている」だけだ。

 私が知りすぎていて、ショックを受けてるから「早く伝えなきゃ」と思っていた事に気がついた。お母さんは続ける。


「美穂なりに考えがあるなら、私は何も言わない。でももう離婚したのよ。親のエゴにふたりが巻き込まれ続ける必要なんてないの。みんな必要以上に不幸に顔を突っ込むけど、不必要なものは無視が一番よ。腐って捨てた食材の変化を追う必要はないでしょう。美穂と圭吾くんはピカピカな果実。ほら、笑って」

「うん、お母さん、ありがとう」


 お母さんは泣いている私の頭を何度も撫でてくれた。

 そしてサッカー談義はいつまで経っても終わらず、みんなが帰ってからふたりで味わおうと思っていた清水屋のプリンを取り出して食べた。もうよくわかんないトロトロぶりとハリハリぶりで、あげくキャラメルが意味わかんないくらい香ばしい。

 お母さんは「ほう……やってやりますよ……」と意味が分からない闘志を見せていた。何と戦ってるの?

 21時になる前に、四人は「ヤバいヤバい」と皿を洗って部屋の掃除をはじめた。

 これは我が家で大騒ぎするときのルールだ。騒いだあとは、自分たちで片付ける!

 そしてお母さんはもうお風呂に入って寝てしまった。はや……。


 押味コーチは私を見て、

「遅くまでごめんね。龍星りゅうせいを寮まで送って帰るよ」

 それを聞いて前は「末長」と言っていたのに、名前で呼んでるんだなあと嬉しくなる。末長くんは、

「ごめん、これでキレイになったと思うけど」

 私は部屋を確認して、

「前より綺麗なくらい。末長くんお片付け本当に上手だね、ロッカーも一番キレイだもん」

 そこに圭吾がなぜかドヤ顔で入ってくる。

「俺はタオルを常にストックしてるから」

「圭吾……もうほんと持って帰ってこないと臭くてヤバいよ」

「持ってくるよ!」

 

 夜にうるさいから……と押味コーチは末長くんを車に乗せて帰って行った。

 圭吾も家に帰るんだろうな……と鍵を閉めようとしたら、圭吾が私を見て、


「……アイス奢る」

「え~~~? この時間から? やだ太る」

「少し話したい。少しだけ」


 そう言って圭吾は私の自転車を動かして道路に出した。

 今日のことがまだ頭の中でまとまってなくて。

 でも今日桃と千颯さんと話していて、私は自分の気持ちに気がついた。

 だから少し圭吾と話したいな……と思って自転車の後に座った。

 「ういーす」と自転車はふらふらと走り出す。私は圭吾のお腹に腕を回す。

 すぐそこに夏が来ているこの道は、ゲコゲコゲコゲコ人間よりカエルの数のほうが多い。夜中に自転車で走ってるとカエルがみょこみょこ出てくるのは日常だ。

 もう主のように水路に住んでるヒキガエル、今年も元気にゲーロゲーロと鳴いている。

 いつものコンビニに到着、圭吾はパルムを持って車止めに座った。

 私は受け取ったアイスを開けて食べながら、


「末長くん、良かったね。聞いた? 龍星って。なんか嬉しかったなあ」

「俺もすげー楽しかった。今度はお母さんも連れてくるってさ。美穂たちのほうに居てもらうことになるかも知れないけど」

「お母さんが仲良しだから大丈夫だよ。あ、でも事前に言ってくれないとご飯厳しいな」

「ごめん、盛り上がって」

「いいよ。押味コーチと末長くんが楽しそうなの見れて嬉しかったから。圭吾が声かけたの? 偉い」

「っ……、そう、なんだ」

「そっかー! 偉いなあ、すごく良いアイデアだと思うよ」


 私は素直に圭吾を褒めた。そういう所気が使えるの、すごく偉い。

 やっぱり圭吾のそういうところ良いと思う。

 圭吾はアイスを食べながら、


「……末長から今日、感謝祭の話されて」

「うん?」

「上野先輩に誘われたの、断ってたって話」

「あ~、うん。いや、パティシエになりたいわけじゃないから休日潰して行く必要ないかなって」

「俺、さ。マジで駄目なんだ。美穂にその気が無いって聞いてても、マジで駄目で。でもさ、俺マジで今が幸せで。サッカーの調子もよくて、身体も調子よくて、全部調子よくて」

「うん。良い感じだよね、最近。ここまで風邪引いてないの久しぶりだよね。まあまあ熱出してたのに」


 圭吾は身体が強そうに見えて、三ヶ月に一回くらい発熱してた。

 だけどうちで朝ご飯を食べるようになってから体調を全く崩さない。

 朝ご飯ってスポーツ選手にとって思った以上に大切な気がする。

 圭吾は、


「……このままがいいけど、どうしても美穂に近づく男全員にムカつく。本当に無理なんだ、許せない。だからごめん、俺絶対、絶対に何もしない、何も変わらない、俺も変えたくない、だから俺を……何もしない彼氏って枠にしてくれないか」

「何もしない彼氏?! なにそれ」

「俺も変えたくないんだ、でも美穂に近づく男全員に『俺の美穂だから』って言って遠ざけたい。というか……」


 圭吾は腕を組んだ状態で顔をつっこんで叫んでいたけど、そこから少しだけ顔を上げて私のほうを見て、


「……美穂が好きなんだ、どうしても」

「……!」

「何もしない、今までと変わらない、絶対何も変えない、だって美穂の家がないと俺はサッカーを続けられない、お母さんやお父さんに恩を仇で返すようなことは絶対にしない。でも……美穂に誰も近づけたくないから、頼む、何も変えないから、何もされない彼女になってくれ」


 何もされない彼女?!

 なにそれ、そんなの意味わからない……と思うけれど……。

 今日やっと気がついた。

 私はあの不倫現場を見て「私だけがこれを知ってるんだから、私が圭吾を守らなきゃ」って強く思ってたことに。

 つまり、私だけが圭吾の特別でいたいって、思ってるんじゃないかって。

 圭吾の秘密は私の特別だったんじゃないかって。

 自覚してなかっただけで、幼馴染みだよ、家族だよって言いながら、圭吾のこと、ものすごく大切に、特別に思ってるんじゃないかって。

 そう思ったら、顔から火が出るくらい恥ずかしくなった。

 圭吾さんのお母さんとは別のこと。

 くっ付いてグチャグチャになってたものを今解こう。

 私の気持ち。認めて、私も前に進もう。

 私は膝を抱えて丸まって、そこの腕に頭を乗せてたんだけど、圭吾のほうを見て、


「……いいよ。何も変わらないけど、私、圭吾の何もされない彼女で」

「?!?!?! マ、じで?!?!?!?!」

「いいよ。みんなそう思ってるみたいだし。別に。じゃあそうしよう。それでいいよ。じゃあ私帰るね」

 

 私はそう言って自転車に跨がって動かし始めた。

 認めようって思ったけど、言ってみたら顔が熱すぎて、これが恥ずかしさなのか、何なのか、もうわけがわからない。

 そもそも面と向かって告白されたのは人生ではじめてだ。仲良しの幼馴染み。それが当たり前でやってきたのに、こんなのなんだか、もうちょっとやっぱり無理!! 夜のコンビニの駐車場で良かった、顔が熱くて火が出そう!!

 一瞬でもはやくここから逃げ出したい!! 私の自転車の後ろを圭吾が走ってついてくる。


「マジで?!」

「ちょっと! 足が速すぎる、もうやだ、なんで付いてくるの!」

「マジで?!」

「こっち見たまま自転車の速度に並ばないで、怖い、足が速すぎる!!」


 圭吾は私の自転車の横を飛んでもない速度で爆走して付いて来てて、ずっと私のほうを見ている。

 マジで怖い、マジで面白い。ずっと爆笑しながら私と圭吾は家まで帰った。

 私も過去から一歩踏み出したい。

 そしてずっとこの秘密を持って「特別」だって思ってきたんだから、私がちゃんと伝える。

 でも今は……やっと自覚した気持ちと一緒にいたいの。

 どうしてかな。あんなにグルグルしてたのに、今はすっきりしてるの。


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