第36話 少女たちの覚悟

「こっち……造船所のほう?」

「そう。本当に駅から近い好立地ね。すごいわ」


 桃は車の中で言った。

 この前選択授業の時に、桃と千颯さんから「時間もらえない?」と言われていた。

 今日は四時間授業で、部活も無かったので今日にした。

 学校に迎えに来てくれた香月さんの車に三人で乗り込み40分……大きな川沿いにある造船所近くまで来た。

 ここには新田重工という、大きな会社が持っている造船所がある。

 川沿いにあって、大きな船がいつも出入りしてる所が駅から見えて、ちょっと楽しい。

 線路も川沿いを走っていて、そこで働いている人たち用の駅がある。

 川沿い全体に工場があって、夕方になると工場上に付いているライトがふわ……ふわ……と生き物の目のように光る。町が生きてるみたいで、それを電車の中から見るのは好き。

 香月さんは造船所近くにあるコインパーキングに車を停めた。

 ここは海から5キロほど川を上った所にあるから、車から出ると、ほんの少しの磯の香りがする。

 もう夕方だけど、夏なので日が長い。四人で歩いて行くと造船所の奥に建物が見えてきた。

 そこは造船所の隣にある広い空間を利用して建てられている車屋さんのように見えた。

 車屋さんと道路を挟んだ所にカフェがあり、桃と千颯さんは私をその店のテラス席に座らせた。

 香月さんは少し離れた席に座った。なんだろう……?

 よく分からないけれど、ふたりは私が好きなアイスティーをオーダーして持って来てくれた。

 千颯さんは「さっさと本題に行こう」と言って双眼鏡を出して、


「あの正面にある車屋の中をこれで見てごらん」


 双眼鏡でお店の中を見る?

 そんな覗き行為みたいなこと……と思いながら受け取って店内を見ると、


「!!」


 そこに見慣れた女の人……白いブラウスを着て髪型はショートカット……圭吾のお母さんの姿が見えた。

 私は双眼鏡を外して桃を見た。


「神戸にいるんじゃないの?!」

「三ヶ月で辞めたの。それでここに再就職したみたい」

「えっ……なんで車屋さんに? えっ……圭吾のお母さんだよね?」

「前に話さなかった? 車椅子に乗ったまま運転できるEV車を三喜屋に持ち込んだのは圭吾くんのお母さんだって」

「言ってた」

「その経歴が認められて、EV車の会社に転職したの。スーパーの3K(スリーケー)ストアと、この車屋が提携を結んで、配達にあのEV車を使うみたい。先日3Kの人が挨拶に来てくれて知ったの。あの車うちの方でも使わせて貰いますって言われて。ピンときたのよね、元うちにいた人が繋いだって。それで調べたらこれ」

「そんな……結構家から近いよね。この駅、結構使うよ。え……嘘……」


 私は呆然とした。

 神戸に転勤になったからもう一生会うことはないと思っていたのに、こんな所にいるなんて。

 千颯さんはコーヒーを飲みながら、


「俺も桃から経緯を聞いたけどさ。全部聞いて俺が思ったのは、圭吾くんって、そんなに駄目なヤツかなってこと」

「え……?」

「俺、桃のライバルがどんな子か知りたくて圭吾くんを遠足の時に煽ったんだよ、『甘えすぎじゃないか』って。そしたら後日わざわざ俺の所来てさ『煽られてるの分かるけど、他からどう見えてるか、冷静に言ってくれるのは助かる。そういうの抜けてるから。俺、美穂の負担かな』って聞きに来たよ。普通に『どうなりたいか考えたら?』ってアドバイスしちゃったよ。煽ってきた相手にアドバイス求める人、はじめて見たよ。彼めちゃくちゃ強いだろ。母親が不倫してたくらいで心折れちゃうタイプには、俺は見えないけど」

「でも圭吾は、不倫だって知らずに離婚が決まった時、一週間寝込んで5キロ痩せたんです」

「でもそれで立ち直ったんだろ」

「そう、ですけど……」

「確かにその時は進路を決めなきゃいけない時期で、知るべき時期じゃなかったかも知れない。それは世に言う『タイミングが悪い』だ。でももう半年以上経ったんだ。圭吾くんがお母さんを3Kで見て問い詰めて、その後美穂ちゃんの所に来た時、どう対応するつもり? それこそ全員傷つく最悪のバッドエンドだ。俺は圭吾くん本人を見て気がついたよ。圭吾くんが甘えすぎなんじゃなくて、美穂ちゃんが圭吾くんを甘く見てる」


 あまりに厳しい言葉に私はぐっ……と唇を噛む。

 黙っていた判断を、私自身は間違っていたと思えない。

 あのままだと圭吾はFCカレッソさえ辞めて、お母さんと一緒に神戸に行っていた可能性もある。

 それくらい追い詰められていた。でも確かに、こんなに近くにいるなら……それに3Kストアは私たちが通っている高校近くにもある。圭吾のお母さんが営業で行くかもしれない。もし見かけたら……私は何を叫んだか想像できない。

 少なくとも絶対に冷静に対処できない。

 私は千颯さんを見て、


「……先に教えてくれたことは、感謝します」

「これは桃が言ったんだ」

「……え?」


 私は桃を見た。桃は紅茶を飲みながら、


「私はこれで一度失敗してるもの。美穂は圭吾くんがピンチになると過剰に気持ちを乗せて壊れちゃうの。それで私の所から離れていった。あそこで不倫現場なんて見せなければ圭吾くんは神戸に行って、私は美穂と一緒に池田高校にふたりで行けたのに。だからあの男がショックを受けるまえに美穂自身が対処しないとダメ」

「なにそれ……そんなこと……あるかも……」


 圭吾が先にこれを知ったら、私はまた取り乱して、圭吾のお母さんに怒ってしまいそうだ。こんな近くで働くな! って。

 不倫した身分なんだから遠くへ行け、こっちに迷惑かけるなって、今も思ってる。

 私はズズーとアイスティーを飲み、


「……あの人、イヤだ……。遠くに行ってほしい」

「経営者視点で言えば、彼女は優秀だ。希望や願望を語っても、現実は覆せない。永遠に蓋が出来れば良かったかもしれないけど、そうじゃないなら、先手を打てる状況に感謝をして最善の策を考えるべきだ」


 私はあまりに冷静な千颯さんの言葉に苛立ち、ストローでガシャガシャとアイスティーをかき回して、


「もーー、さっきから傍観者すぎます。私経営者じゃないんで、どーでもいいです。イヤです。あの人、どっかに飛ばしてほしい……三喜屋の力で飛ばして。北海道とか! なんなら今すぐ川に沈めて消してくださいよ、千颯さんなら出来ますよね? そんなに偉そうに言うのなら!!」

「なるほど。本当に壊れるんだな。桃の言う通りだ」


 私は頭に血が上ってきて言葉が止められない。

 もー嫌い嫌い、大嫌い!! もうあの女車に乗せて沈めてーー!!

 私の手を桃が優しく握る。


「こうなるって分かってた。千颯。香月と車で先に帰ってくれない? 美穂と電車でゆっくり帰るわ」


 私がガルガルしてると、千颯さんと香月さんは店から出て行った。

 私も桃の腕にしがみついて店を出て、車屋を睨んで地団駄踏む。


「なんでこんな近くに? 神戸は? やだやだやだ、桃あれなんとかして!」

「辞めさせるために神戸に転勤にしたら、辞めただけね。あんな小さな営業所に収まるタイプじゃないわ、彼女は」

「そんなに優秀なんだ」

「ここら辺りのスーパーに太いラインを持ってるから助かるのよ。転職して二ヶ月で成績トップ、営業所賞取ってるから、かなりの高給取りでしょうに、会社近くの古いアパートにひとりで住んでるのを香月が見つけたわ。今のところクソ叔父と会ってる姿を香月はみてないみたいだけど」


 なにをどう言われても受け入れられない。今すぐ消えてほしいとしか思えない。

 ずっとずっと文句を言いながら、桃と川沿いの道を桃と手を繋いで歩く。

 ふわりと香る磯野の匂いと、川のドブ臭さ。そして油の匂い。

 電車が川の上を走り、空に逃げて星になっていく。

 水面を撫でるように移動する電車の光をぼんやり見ていると、桃が立ち止まった。


「この造船所ね、7年後に移動するのよ、呉に」

「そうなんだ、知らなかった。へえ~。じゃあ工場の光が無くなっちゃうのか。私結構好きだったんだけど」

「そしてこの場所が空く。血なまぐさい戦いが始まるわ。ここに何を作るのか」

「おお~~。桃が三喜屋の人の顔になった」

「一番あり得るのは、北見病院の移動。北見の長男……ほら選択授業の時に会ったでしょ、あの長男の嫁は新田重工の次女なのよ。それを見越してるわ」

「え……めっちゃ政治結婚じゃん……」


 そんな風に地元の企業同士が繋がるために結婚してるなんて知らなかった。

 なんかドラマみたいですごい。

 でもこの土地は駅から10分なのに駅もあって、川も近くて、すごく良い場所だと思う。

 桃は私の手を柔らかく握って、


「私はここから7年動いて、ここにサッカーのスタジアムを誘致してみせる」

「えっっっ?! はっっ?! サッカー?! スタジアム? なんで桃が」

「FCカレッソをJリーグに加入させるのが祖父の夢だもの」

「あっ……そうか。ごめん、桃と話してるのに、圭吾に圭吾のお母さんのこと話すのが気が重くて、圭吾のこと考えてたから驚いて」

「Jリーグに加入するためには入場可能人員が15,000人が入れるスタジアムが必要なの」

「でっか!! そんなでっかいのここら辺にないよ」

「だから作らなきゃいけないの。そして土地はここがベスト。ここなら15,000人が収容できるスタジアムを作ることができる。それに選択授業で一緒の北見病院の次男……竜之介は昔サッカーの選手だったのよ。そして嫁である聡子さんはホテル源川の三女。スタジアム横にホテルを建てる計画も付ければ嫁側の家もこっちに付けられるはず。次男側が三喜屋に付けば、可能性はゼロじゃない。それに誰より三喜屋の創設者である祖父の夢だから、祖父も父もそう動いてる。私だけのアイデアじゃない」


 桃はベンチに座って工場を見ながら言った。

 中学生の時にJリーグを誘致……って言ってた気がするけど、そんな本当に考えてたと思わなかった。

 ものすごく色々考えてて、ほええ……と私は桃の横顔を見るだけだ。

 桃は私の方をみて、


「源川最大のスポーツと観光の発信地にここをする。もし私が作れたら、そこに美穂に就職してほしい」

「え? そりゃそんな所に就職出来たら最高だけど……え?」

「そしたら美穂がずっと私と一緒にいるでしょう? だって私が社長になるんだもの。美穂がずっと近くにいると思ったら、10年プランも、20年プランも、考えられるわ」

「……そ、壮大すぎる……、桃の考え……壮大すぎるよ……」


 桃は私の手を柔らかく握って、


「ずっとお母さんの死が心から離れなかった。もちろん真実を知るまで追うわ。でもね、美穂と居るようになって、今を考えるようになったのよ。じゃあ未来、私の力で何が出来るのかって真剣に考えたの。それでここに父がスタジアムを誘致する動きをしてることを知った。そこに美穂と私がいる絵が浮かんだの。それを考えたら楽しくて。無限にしたいことがあるわ。私にはそれを叶えられる力も立場もある」

「桃かっこいい……」

「美穂が私に夢をくれたの、生きる理由をありがとう」


 強い風が吹いて、桃のピンク色のメッシュが入った髪の毛がふわりと広がった。

 桃は私の方を見て微笑み、


「現時点では高校生の妄想。でも夢は大きいほうが楽しい。祖父の夢が叶って、私が楽しくて、美穂が手に入る。3WINよ。ううん、私に夢が出来た。4WINね。今私、すごく楽しいの、全部ここからよ」


 そう言って桃はその場で髪の毛を縛った。

 工場の夜景は本当に美しくて、それに負けないくらい、未来を見て歩き出した桃が美しくて。

 過去にしがみ付いていつまでも文句を言ってる私のために言ってくれたんだと分かっていて。

 それがものすごく桃に大切にされてるってことも分かっていて。

 桃と手を繋いでゆっくりと駅まで歩き、電車に乗り込んだ。

 ……未来……。

 家には圭吾がいる。

 言わなきゃいけない、私が。

 どうやって伝えるべきか……電車中で流れる景色を見ながら、自分の中にあった「ひとつの気持ち」に気がついて、心が決まり始めていた。

 

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