第30話 チクチクする心
「はー。朝が早すぎる。起きただけで疲れてます……」
「分かるよ美穂ちゃん。五時だよ、五時。なんで五時から山なの」
私と千颯さんはふたりでため息をついた。
今日は小田高恒例山登りでクラスの交流を深めようの会だ。
うちの班で運動が苦手なのは私と千颯さん。末長くんと伊佐木くんと平野さんはみんな運動部で、朝から元気いっぱいだ。
そもそも圭吾と末長くんは毎朝六時から朝練してるらしく、通常営業らしい。もう体力がすごい。
私と千颯さんはバスの隣同士の席に座り、一緒に酔い止めを飲んだ。
これからまずバスで一時間揺られてロープウェイ乗り場まで連れて行かれるのだ。少しでも睡眠時間が欲しい。
背もたれに身体を預けると、千颯さんも同じようにもたれてきた。
ホルモン治療をしているという千颯さんは頻繁に貧血になるらしく、いつも顔が青白い。元々すごく綺麗な顔なのに、アンニュイな感じがすごくて人気があるのも頷ける。でも私には、どこか桃に似て見えて、それが心を落ち着かせる。
私は椅子にもたれたまま静かな声で、
「……結局あれ以外に何か分かったりしたんですか?」
「百合子さんの話? なにもないよ。そもそも俺たちが小学校四年生の時の話だよ。軽く六年近く前だ。でもまあ本当に不倫してたら、香月が何か見つけてくるよ。俺すっごく怒られたからね。なんで俺があんなに怒られる必要があったのか分からないよ。教えてあげたのに」
「香月さん、本当に里奈さんのことが大切なんですね」
「あそこは前から異常。おばあさまは今も香月のこと良いと思ってないよ。桃のお父さんが再婚しないのは香月のせいだって、今もグチグチ言うんだから」
そう言って千颯さんはため息をついた。
里奈さんが北見病院の医院長、百合子さんの車で死んだという情報を香月さんに伝えると、校門から出た瞬間に香月さんに拘束されて、桃のマンションに閉じ込められて「時間経過と共に人の記憶は薄れていくのに!」と怒られたらしい。
そして香月さんは色々調べているみたいだけど、やはり百合子さんの家に桃のお父さんが行った証拠や証言は見つからず、業を煮やした香月さんが、桃のお父さんに聞いた結果「あの車は4WDだったから、山へ向かう旅行の時に貸したことがある。でも北見先生の物ではなく、自分のものだ。そもそもあの車は会社に停めてあったもので、里奈は会社に置いてあった鍵を使ってあの車を動かした」と答えたようだ。
そこには何の嘘もなく、里奈さんがあの日、家を抜け出して会社に向かい、そこから車を動かしている動画が残っている。
でもそこで再び動画をみた香月さんは気がついた。
横にももう一台車が止まっていて、その車は元々里奈さんが乗っていて、乗り慣れていた車だったようだ。
つまり里奈さんは「選んで」あの車で死んでいる。
この前も桃の家にお茶に行ったら、人を殺せそうなほど目を光らせた香月さんがケーキを焼いていた。たぶんあれは人肉……私は人肉ケーキを食べてしまってた気がする……それほど香月さんは里奈さんのことになると怖い。
千颯さんは目を閉じて、
「里奈さんはこの世の全ての花を集めたみたいに華やかで、美しくて、それでいて全てにおいて優しくて、強いんじゃない、柔らかくて強い人だった。会った人はみんな虜になるような女性だったよ。里奈さんと香月が兄妹なのは世界の七不思議に入れても良い。異母兄弟とかじゃなくてガチ兄妹だからね」
「でも香月さん、高身長ですごくカッコイイですよね」
「喜ぶよ。香月は最近よく美穂ちゃんの話もしてる。美穂ちゃんは里奈さんの種みたいなものを感じるんだね」
「タネ?」
「同じ畑に植えたら、花が咲きそう」
すごく里奈さんを褒めたあとにそれを聞いて私はなんだか恥ずかしくなって、少しトボける。
「え~~~。私が可愛いってことですか?」
千颯さんは真顔で私を見て、
「可愛いよ。すごく」
「あっ……そこはバカにしてほしかったですけど……」
「美穂ちゃんは本当に可愛いよ。桃が執着するのも分かる。眠い……寝よう……?」
そう言って千颯さんはスウ……と目を閉じた。
私も酔い止めが効いてきたのか、眠くなって目を閉じた。
「はい~~。千颯さんと美穂! 起きて起きて! ロープウェイに乗るよ~~」
ついさっき目を閉じたつもりが、もう到着したらしく、横で平野さんが叫んでいた。私はちょっと目を開けたけどすぐ閉じて、
「……もう帰りたい」
「美穂! 来たばっかり!」
「……もう少し寝たら歩く」
「千颯さんも、荷物持って!!」
平野さんに怒られて私と千颯さんはバスからすごすごと下りた。
寒いから長袖で……と言われていたけど、本当に寒い。私はまくっていた袖をしゅるしゅると伸ばした。
ここからロープウェイに乗り中腹までいき、そこから四時間ひたすら歩き、神社でお昼を食べて、反対方向に下りる……それが今日のスケジュールだ。そして何がイヤって、そのあと部活があるのだ。
信じられない、合計七時間ちかく歩いて、そのあと部活?!
運動会のあとに運動会するレベルだと思うけど。でも鎌田SCのキャリアシートまだ書けてないし……。
でも書きながらパソコンの前で寝ちゃいそう。
「こっちこっち~!」
クラス委員ゆえ、全員に声をかけながら歩く元気な平野さんに呼ばれて私たちはゆっくり歩く。
ロープウェイ乗り場までも凄まじい階段数で「ここからロープウェイにしたほうが良いんじゃないか」と千颯さんと話した。
千颯さんはロープウェイに乗り込んで「疲れた」と言って椅子に座った。
私は歩くのは心底嫌いだけど、ロープウェイはちょっと好き。
末長くんが一番前に立っていたので、ぐいぐいと進んで、横に立たせてもらった。
ロープウェイは低音を立てて動き出して、一気に身体が浮いた。
末長くんは目を丸くして、
「おおおお~~~。楽しい」
「分かる。私もロープウェイは好き。圭吾と昔スキーに行ったことがあってね、圭吾リフトにビビって乗れなくて」
「あははは、アイツ、そういう所あるよな!」
「座る所が激突して突き飛ばされて死ぬって、ずっとビビってたの」
「目に浮かんでヤバい」
「あとふらふら揺れるでしょ? だからすぐに気持ち悪くなっちゃって」
「FCカレッソで遊園地行った時も、ヤバくなかった?」
末長くんが楽しそうに言うので私は目を細めて、
「圭吾がジェットコースターで倒れたのは知ってるけど、おばけ屋敷に入った末長くんが二秒で出て来たのも覚えてる」
「それは忘れたほうがいい。良く無いな、久米さん」
私たちは、キャーキャー言いながらロープウェイを楽しんだ。
この乗り物で帰りのバスまで運んでくれればいいのに。
ロープウェイを下りると、横のベンチに数人いた。見るとベンチに圭吾が座っていて、クラスの女の子たちが横で心配している。いつもは走って登るから、一度も乗ったことがないロープウェイで酔ったようだ。
圭吾は私と末長くんに気がついて、
「酔い止めが効いてねぇ……」
私は、
「朝、バスに乗る前に飲めって言ったけど、いつ飲んだの?」
「ロープウェイの中……」
「私ちゃんと朝飲みなよって朝ご飯……」
そこまで言って圭吾のクラスの女子の視線に気がついた。当然だけど私と圭吾が幼馴染みで、なんなら家族同然な関係なことなんてものすごく少数の人しか知らない。同じ学校に来たのは自分の選択だけど、同じクラスじゃ無くて良かったと思っていたのに。
私は気を取り直して、
「朝ご飯のあとに飲まないと効かないよ」
と言ったが、圭吾のクラスの女の子たちの視線は冷たいままだ。
しまった。さっき末長くんとワイワイしてたのもあり、サッカー部が終わった三人のときのテンションで話しかけてしまった。
もう高校生だからちゃんとしようと思ってたのに失敗した。その時、肩に手が置かれた。
「美穂ちゃん。置いて行かないで?」
「千颯さんだ!」
「わ、本人だ。わあ、すごいカッコイイ……女の人なんですよね? わあ」
困っていた私の横にスッと来たのは千颯さんだった。
圭吾のクラスの女の子たちは千颯さんを見て目を輝かせる。
千颯さんは本当に学年……なんなら学校全体で有名人になっている気がする。
女性だけど男性の制服があまりに似合ってて、誰にも嫌われない上手な立ち回りがポイントな気がする。
千颯さんは私の横に立って、
「美穂ちゃんはロープウェイ平気なんだ。俺は階段の疲れでまた寝ちゃった。あ、君が美穂ちゃんの幼馴染みの圭吾くん?」
圭吾は気持ちが悪いとゲッソリしてたのに顔を上げて、
「美穂ちゃん~? お前なんだよ」
千颯さんはウインドブレーカーの上着を腕まで持ち上げて金魚のアザを見せて、
「島崎千颯。金魚の神さまと名乗ろうか?」
「おおおお!! あの時の神さまか。そうだ、美穂に聞いてた。男なのか? 女なのか? 外人? なんか属性多いな」
「どう思ってもらっても良いよ」
圭吾は立ち上がって、
「ま、いっか。そっかそっか。おい末長カバン持ってくれ」
「自分で持てよ!!」
「歩けそう。行こうぜ。え。島崎の従兄妹なの? あいつ昔からあんなヤツ?」
「あんな……って言葉を女の子に使わないほうがいい」
その言葉に圭吾のクラスの女子がワーッと寄ってきて、
「キャーー、千颯さん。写真一緒に撮っていいですか? 他の学校の子に女の子の王子様がいるって言っても信じてくれなくて」
「別にいいよ」
そう言って千颯さんは気軽に写真撮影に応じ始めた。
少し前で圭吾と末長くんが「行こうぜ-」と言っているけど、私は千颯さんの撮影会が終わるのを少し離れた所で待った。そして圭吾の女子たちは撮影を終えて「きゃーー」と走って去って行った。
私は千颯さんに近づいて、
「すいませんでした、助けてくれてありがとうございます」
「これが出来るか、出来ないかが大きな違いだよ。助けたことを理解して、それを言葉にして感謝してくる。そういうところが美穂ちゃんは素晴らしい。待っててくれてありがとう」
「助けてもらったので……」
あのタイミングで千颯さんが私に話しかけてくれなかったら、中学の時の二の舞になっていた。
私は高校に来たときに圭吾と必要以上に仲良くするのをやめようと考えてた。
クラスの中ではちゃんと線を引こうって。
圭吾を好きな女の子は絶対いるし、その子にとって私は邪魔な存在でしかない。
でもきっと私……サッカー部で圭吾と末長くんの三人で話しているの、心底楽しいと思ってる。だから圭吾の顔を見ると、普通に話しかけたいし、話しかけてしまう。
それなのにクラスの人たちがいる時は辞めようとか、頭で分かってても上手く出来なくて、心がチクチクする。普通にしたいよ。
千颯さんは私の横でゆっくり歩きながら、
「美穂ちゃんは俺の彼女になればいいんだ。そしたらこんな厄介なことにならない」
「圭吾の彼女より厄介なことになりますよ。たぶん机は窓から捨てられて上履きは燃やされて体育の授業で火だるまにされます」
「中世じゃないんだから。じゃあ分かった、桃と俺の彼女になればいいんだ。三喜屋の令嬢になろう」
「え~~、困ります~~。あ、これはちゃんとつっこんでくださいね、孤独になりますから」
「良い生活を保障するよ。そのためなら頑張れるな、うん、悪くない」
「……千颯さんって、頭がシャープなボケですよね。私にツッコミさせないでください」
私と千颯さんはゆっくり歩いた。もう圭吾と末長くん、それに平野さんたちは姿が見えない。
もうダメ、私たちは私たちのペースで行くしかない。
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