第22話 未来のために、後片付け

 年が明けて二月になり、中学卒業まであと一ヶ月を切った。

 中学三年生の三学期は、最高速度で走っていた車のガソリンが突然切れたように惰性だけで毎日が過ぎていく。

 強い風で窓ガラスがガタガタと揺れる寒い日曜日の昼すぎ、私は圭吾の家で琴子ちゃんと掃除をしていた。

 結局圭吾の家は12月に離婚した。

 夫婦関係は完全に破綻してたからなあ~と琴子ちゃんはため息をついた。

 そしてジュースを飲みながら、


「圭吾が高校出るまでは仮面夫婦続けるのかと思ったけど、お母さん神戸転勤になるなら、もう夫婦の意味も無くなったんだろうね」


 私はそれを聞きながら椅子に踵を乗せて丸まった。

 どうやら離婚理由は『性格の不一致』ということになっているようだ。

 不倫しようが、ケンカしようが、離婚は離婚。それ以外伝える必要は無いという判断だろう。

 これには苛立ちつつ、安堵した。

 転勤から離婚になったと知った時、圭吾は私をコンビニに呼び「俺がこっちに残りたいって言ったからかも……」と言った姿が忘れられない。私は「関係あるわけないでしょう!」と叫びまくった。

 琴子ちゃんはゴミ袋にあれこれ捨てながら、


「美穂ちゃん家がなかったら、我が家は完全に終わってたわ。マジでこれからもよろしく。お父さんもう給料全部入れるって言ってた」

「それはさすがに多いってお母さんもお父さんも笑ってたよ。お父さんは開き直って家のリビングサッカー観戦室にするって言ってるから、そしたらこっちをライブ観戦室にしちゃう?」

「それがナイスアイデア! そうなんだよねー。実際あんまり変わらない。むしろスッキリする気がする。離婚決まるまで空気最悪だったから。いやー、やっと罵り合う声聞かなくて済む。夏ごろからほんと酷かった。お前が何もしないから、そっちが家に居ないから、子育て放棄してるのはどっちだギャーギャーギャー。もう二度とあんなの聞きたくない」


 夏からと聞いて私はごくりと唾を飲む。

 私はあの夏、圭吾のお母さんと、桃の叔父さんが不倫してたのを見た。

 三喜屋の立体駐車場にはあれから一度も行けてない。近づくだけで景色を思い出して気持ちが悪くなる。

 琴子ちゃんは台所の調味料をザバザバ捨てながら、


「料理はしないだろうから、もう全部捨てて良いと思うんだよね」

「……古いね。全部捨てよう。使いかけのは全部捨てて、未開封のはうちに持って行こう」

「美穂ちゃんがいてよかった。さすがに虚無。圭吾は?」

「だいぶまいってたけど、正月明けから小田高の練習参加してるから良い気分転換になってるっぽい」


 私も醤油をドバドバ捨てながら話した。

 離婚が決まったと私のお母さんから聞かされたのは11月の中盤だった。

 私はその時、圭吾のお母さん……美佐子さんはどこまで話したんだろう……と心臓がバクバクした。

 美佐子さんと、私のお母さんは、私たちを産む時に産婦人科で知り合った親友だ。

 小学校低学年までは美佐子さんも時短で働いていたし、私が当番することも無かった。

 五年前……小学校高学年になった頃から美佐子さんは時短をやめて、本気で働き始めた。

 お母さんは「三喜屋に恩返ししたい」と言っていた美佐子さんを応援するために、食事のサポートとかを始めたんだ。

 不倫は、お母さんの善意も裏切っている。私はそれも許せなかった。

 それをお母さんはどこまで知ってるんだろう……でもきっと知ってるよね……。

 私は何も知らない、私は何も知らない……という顔を作って、お母さんの話を聞いた。

 お母さんは「長く他人と一緒にいると決めるのが夫婦だからね、やっぱり難しいわよ」と言いながらすごく淋しそうだった。

 きっと全部知ってて、黙っているんだ。だから私も黙る。離婚の理由は『性格の不一致』だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。

 美佐子さんは11月末には最低減の荷物を持って家を出ていった。

 家には圭吾のお父さんが残ることになったけど、月の半分は海外出張で、本当に申し訳ありませんが、今まで通り圭吾と琴子をよろしくお願いしますと玄関で座り込んで頭を下げた。

 圭吾は最初の一週間くらい「大丈夫」と言っていたけど、夜中にひとりでランニングしてる姿を何度も見た。

 学校では普通にグラウンドで友達とサッカーをしていた。

 その中には庄司くんの姿も見えて、今は離婚はよくある話だし、そこまででも無いかな……大丈夫かな……と思ったけど、冬休みに入ったタイミングで原因不明の高熱を出してぶっ倒れた。

 お母さんは病院に連れて行って色々検査したけど、原因は分からず。

 私とお母さんで圭吾の部屋に通って体調を見守り続けた。

 年末年始の間、38度の熱がずっと引かず、あの何でも食べる圭吾が何も食べず、寝込んでいた。そして十日程度経過したころ、やっと解熱、食事を始めた。

 本当に安堵したけど、そのきっかけはお父さんがスマホに入れて枕元まで持っていった天皇杯を見たからだというから笑ってしまう。

 それでもげっそり痩せてしまって、お母さんはスペシャル回復メニューを考えて、四日ほどで普通食に戻した。

 ご飯を部屋で食べながら私に向かって「分かってたのに、クソみたいにつれぇ」とはじめて泣いて、少し安心した。

 私の前でも強がってる時は、わりと危ないというか、原因不明の発熱するということが分かった。

 その時は圭吾のお母さんが圭吾に買ってきたTシャツを見て泣き始めたので、もう全部捨てたほうがいいんじゃないかと掃除をはじめた……という感じだ。

 個人の思い出あるものを私が勝手に捨てることはさすがに出来ないけど、台所の掃除は出来る。

 というか、基本的に圭吾のご両親は全く料理をしないのに、出来合いの調味料だけはたくさん出てくる。

 やる気はあったということなのか分からない。

 圭吾は熱が下がってからは朝ご飯も私の家でちゃんと食べていて、むしろ体が一回り大きくなってきてる気がする。

 前は朝ご飯菓子パンだけだったみたいだから。

 朝練習の前に白米一合食べてる姿を見ながら私は菓子パン食べてる。

 このままだと今まで以上にご飯が出てきて、運動しない私にはオーバーカロリー。

 でもバクバク食べてる圭吾を見てるのは安心する。

 琴子ちゃんは冷凍庫から氷みたいになってる冷凍食品を出して、


「冷凍カヌレだ。これハマって大量に買ってたけど……お。まだイケるよ。食べよっか。疲れちゃった。紅茶が山ほど出て来た」

「クスミティーの紅茶だ。これロシアから圭吾のお父さんが仕入れてるやつだよね」

「箱が壊れてるから家にあるのか。しかし量がエグいな」

「わ、これすごく良いセイロンティーだよ。未開封だ!」


 私と琴子ちゃんは「なんだこれは」と言いながら棚の掃除をはじめた。

 琴子ちゃんは冷凍カヌレを軽く温めて、


「あ、全然いける。冷凍食品すごいわ。ここカラッポにして私が好きな冷凍パスタ入れよ」

「冷凍パスタ美味しいよねー。でも太るんだよなあー」

「ライブで踊ろう。いや~~~でもさあ、私美穂ちゃんだから言うけどさ、お母さん不倫してたんじゃないかなーって思うんだよね」

「え」


 私は持っていたマグカップを落としそうになった。

 心臓が急にバクバクして息が苦しくなってきた。

 琴子ちゃんはカヌレを食べながら、


「お母さん、ここ数年下着を自分で洗っててさ、それがすごい派手だったの。一回帰ってきてオシャレしてもう一回出てくこともあったし、出張に行くって言ってるのにピンヒールだったり。まあ芋臭いお母さんより綺麗なほうがいいかと思ったけど、車の試乗に行くって言ってピンヒールは無いわ……と思って。まあもう分からないんだけど。ゴメン、ずっと気になってて。言いたかったの、口に出して」


 そう言って紅茶を飲み干した。

 そして、


「誰にも言うつもりなかったけど、これピルなんだよなあ。さすがにクルわ」


 そう言って琴子ちゃんは引き出しから出てきたゴミを指でツンツンした。

 それは錠剤のシートで半分くらい飲んである。私にはそれが何なのか分からない。

 でもピルが子どもを作らないために飲むものだというのは知っている。

 琴子ちゃんはそれをカヌレのゴミと共にザバーと捨てて、


「答えがないことを考えても仕方ない。むしろ答えがなくて良かった。全部捨てよ」

「……うん」


 私は深く頷いた。『性格の不一致』で離婚したのだ。そうだ、私は何も知らない。

 圭吾がご飯を食べて元気にサッカーして、こうして圭吾が見つける前にゴミを捨てられてラッキーだ。

 私と琴子ちゃんは「捨てよ捨てよ」とザカザカゴミを捨てはじめた。綺麗にしよう、全部。



「げ。家に入れない」

「おかえり圭吾。ゴミ出し手伝って。道路のゴミ捨て場、明日の朝可燃ゴミだから」

「おけ。何袋あるんだよ」

「無限、無限にあるんだから」


 私は帰ってきた圭吾にゴミ袋をぐいぐい押しつけた。

 今日は日曜日で、圭吾は四月から通う小田高サッカー部の練習にもう参加している。

 私と琴子ちゃんは結局あーだこーだ話しながら、少し泣きながら、推しのVTuberの曲を爆音でかけながら、一階の掃除をした。もう言いたくない、言いたくないけど、不倫してる証拠みたいのがボロボロ出てきてて、もう琴子ちゃんも私も鬼の形相で続けた。良かった、ふたりで。

 結局一階とお母さんが元いた部屋の掃除を六時間で終わらせた。

 琴子ちゃんはもう疲れ果ててリビングでVTuberの歌を歌っている。

 私もさっきまで一緒に歌っていた。もう疲れたの!

 圭吾が練習バッグを玄関に置き、ふたつのゴミ袋を持った。私も横で持って一緒に家を出る。

 圭吾は、


「こんなにゴミになるものがあったか?」

「古い調味料とか無限にあったよ。なぜかライスペーパーとか、賞味期限が三年前に切れた麦茶パックとか、未開封の小麦粉とか。小麦粉ってわりと賞味期限短いんだから」

「なるほど。それでこんなに重たいのか。やべえ、腕がぴきぴきする」

「寝込んで貧弱になったんじゃいの? まだまだあるんだから!」

「あの期間で3キロ体重落ちて、筋肉量も4%落ちたのヤバすぎる」

「え。戻った?」

「かなり戻った。てかすぐに越えた。美穂の家ので朝飯食ってるのがデカい」

「もう毎日食べなさいよ。朝ご飯今までパンだけだったって、それでよくやってこれたわね」

「給食があったからなんとかなったけど、高校は弁当だからちょっと危ないかも……と思ってた。げ。これもう美穂たちが運んだやつ?」

「そうだよ。もう運んだぶん!」


 ゴミ集積場には私と琴子ちゃんが運んだゴミ袋の山がもうある。

 そこに更に運ぶしかないのだ。こんな要らないゴミたちは。

 圭吾は私たちが適当に積んだゴミ袋を丁寧に積み上げなおしてくれた。

 また身長伸びた気がする。うん、やっぱり朝ご飯大切だ。

 圭吾は私のほうを見て、


「……小田高サッカー部、すげぇ空気良い。美穂も早く来いよ」

「マネージャーなんて四月からでいいの! 今は部屋の掃除! 圭吾の家でライブ見られるようにするんだから!」

「変なグッズ飾るなよ」

「アクスタ開封しちゃお~っと。あ、琴子ちゃんがゴミ袋持って来た」

「もう終わらない~~~邪魔だあああ~~~」

「オケ、頑張ろ」


 圭吾は笑いながら走って家に帰りはじめた。

 私と琴子ちゃんはふたりで目を合わせて笑った。

 琴子ちゃんはわざわざ言わないけど圭吾のことすごく心配してるから、元気だと安心するのが分かる。

 まだ半分しか掃除できてない。中学校卒業するまでに片付け終わりたいな……と私は思った。

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