第19話 崩壊

「わあ、すごい。ラテアートだ! ちゃんとサッカーボールになってる!」

「This is so easy. Do you want to try it?」

「フィンリー。私、フィンリーが日本語話してるの聞きましたよ。日本語で話してください!」

「美穂 is a bad girl.ママ、美穂にwant you to speak English 言っていましたよ」

「そんなこと言ったら、フィンリーは日本語勉強したほうが良いんじゃない?」

「それはそう」

「あはは! 慣れてきてる」


 私はフィンリーが作ったラテを飲んで笑った。せっかくサッカーボールの形に泡があるから残して飲みたいっ!

 ここはFCカレッソが練習してるサッカーコートの横にあるカフェだ。

 うちの市はサッカーを推していて、サッカーコートだけで市内に何カ所もある。

 強いチームがあるからそうなったのか、市が整えたからそうなったのか分からないけど、とにかく「キレイな施設がある!」=サッカー関連だ。

 そしてサッカー関連施設にバスが回るようにした結果、サッカーコート近くにたくさんお店ができるようになった。

 ここもそのひとつで、お店の名物は地元で取れた野菜をたくさん使ったパン! それが大人気で午後にはすべて売り切れてしまう。

 そしてこの店にはフィンリーという名物アルバイトさんがいる。

 フィンリーはイギリス人で、地域でするサッカー好きでここに引っ越してきたらしい。

 フィンリーはラテアートを作るのが上手で、友達はみんなそれを撮ってインスタにアップしてる。

 桃もラテアートに興味があり、一度飲んでみたいというので、今日はここで待ち合わせしている。 

 話していたら、カランとドアベルが鳴った。桃かな? と思ったら圭吾が立っていた。

 圭吾はまだ制服姿で、FCカレッソのユニフォームを着ていない。

 私はなんとなく壁の時計を確認する。もう練習がはじまっている時間だ。

 明日FCカレッソの引退試合があり、今日は最後の調整日のはず。

 わりと大きな会場でするので打ち合わせもあるはずなのに。

 いつも真っ先にグラウンドに行く圭吾が珍しいと思って顔を見ると、いつもとあまりに違う。

 その表情は今まで見たことが無いような無表情で、視線はどこか焦点が合わなくて、完全に心ここにあらずだ。私は椅子から降りて圭吾の方にいく。


「どうしたの、圭吾」

「……母さんが神戸に転勤になった」

「えっ……あっ……この前うちで飲んでたのは、それが理由だったんだ」

「さっき聞いて……俺ちょっと、かなり動揺してる……わけがわかんねえ……どうしよう……」


 圭吾は椅子にトスンと座った。

 転勤……神戸にも三喜屋があるのだろうか。三喜屋はうちの県と、大阪に小さい店があると聞いたけど。

 フィンリーがお水を持って来てくれたので、それを圭吾に渡す。圭吾はそれを一気に飲んだ。

 私はふと気がつく。


「え……ちょっとまって。お母さんが転勤って……まさか圭吾も神戸行くの? 家ごと引っ越すの?」

「俺にサッカーさせたいから、母さんひとりで行くって言ってるけど……神戸にある三喜屋なんて、三喜屋じゃないんだよな。小さな子会社で……なんでそんな所に母さんが行かなきゃ行けないのか分からないんだよ。父さんも母さんもすげー落ち込んでて……俺……サッカーしたいけど、母さんだけ行かせていいのかな……あんなに落ち込んでる母さんをひとりで行かせられないよ……」

「圭吾、まず落ち着こう?」


 圭吾はコップを掴んで、


「……俺……たぶん、余計なこと言った。もう三喜屋なんて辞めろって。三喜屋やめて父さんの収入だけでもやっていける。俺、高校なんて小田高じゃなくていいし、頼むからもう辞めてくれって」

「ダメだよ、圭吾は小田高に行くんでしょ、サッカーで国立!」

「あそこ私立なんだぞ。いくらかかると思ってるんだ」

「だから推薦取るために頑張ってるじゃない。圭吾なら小田高のコーチに気に入られてるし、合格出来るよ」

「でも俺……神戸行かないと……どうして母さんが……あんなに頑張ってるのに……」

「何か事情があるんじゃないの? あなたが知らない」

「桃!」


 振り向くとカフェに桃が入ってきていた。

 桃はフィンリーに手をふった。フィンリーは少しだけ頷いて奥に入って行った。

 桃は圭吾を真っ直ぐに見て、


「仕事なんて大人の世界なんだから、色々あるでしょう。子どもに全て説明する義理もない」

「島崎……お前が三喜屋のボスだから……かもしれないけど……今俺、お前見るとイライラするんだよ。なあ、母さん三喜屋ですげー頑張ってたのに何でだよ。お前三喜屋のボスだから何か知ってるのか?」

「三喜屋のボス?! ただの中三の娘よ。人事に口を出せると思ってる? 浅はかな男」


 桃は圭吾を見て言い捨てた。

 私は慌てて桃に駆け寄る。今圭吾はものすごく色々考えてる。

 そんな圭吾に対してあまりに桃の言葉はきつすぎるように感じた。


「桃。圭吾が今ちょっと冷静じゃないから、桃と三喜屋をくっ付けて考えてるんだよ。一回落ち着こう、店から出よう?」


 私が桃の腕を握っていると、圭吾が私をグイと退かす。


「浅はかなのはお前だろ、島崎。誰にも言って無いけど、加藤事件の屋上から写真が飛ばされた日。俺、四時間目の体育の時、顔面にボール当たって、歯が欠けたんだよ。美穂は知ってるよな」

「え、そうなの?」

「そうなんだよ! ったく美穂は……。じゃなくて。なんか歯ってすぐ病院なんだって。だから俺昼休みに歯医者連れて行かれることになって、外の道で車を待ってたんだよ。その時に見たんだよ、学校のベランダ横の梯子を上っていく島崎を。お前誰にも見られてないと思ってるだろうけど、俺はお前がしたって知ってるんだからな!」


 心臓がドキリとする。

 加藤事件の時、屋上から写真を蒔いたのは桃だ。でもそれを誰にも言わず、私たちだけの秘密にしてきた。

 まさか圭吾が外から見ていたなんて。


「何か不利益があった?」


 桃は表情ひとつ変えずに言う。

 そして顔をクッとあげて自信ありげに、


「あれで誰か損をしたかと聞いているの」

「認めやがった! やっぱり島崎、お前何者なんだよ、マジこえーよ!」

「答えなさい。誰か損をした? 宇田川さんに虐められて学校に来られなくなった子は10人以上。意味不明な親衛隊は解散、変態男は警察に捕まって教師を続けるという最悪の道から外れた。誰かひとりでも不利益が出たかと聞いているの」

「加藤はクズだよ。俺だって陸上部の先輩が大会出られなくなったんだ。でも加藤の子ども……庄司はすげー才能あるのに、すげー虐められて変態変態って言われてFCカレッソにも居られなくなって! アイツは何の罪もないのに、あんな風に学校全体で晒し上げる必要あったのかよ! ちゃんと警察に通報して、アイツだけ処理すれば良かったんじゃないのかよ! あんな風に写真バラまいて処刑する必要あったのかよ! あれはお前がしたくて、気持ち良くてやったことだろ! 自分に力があると見せつけたくてしたんだろ、それを気持ちが悪いって言ってるんだよ!!」


 庄司くんって、あの一年生のリレーの子……?

 加藤って苗字じゃなくて庄司なのは、加藤先生が離婚したからだろうか……。

 圭吾は運動会の時も庄司くんをすごく応援してたし、夜も一緒に何度も練習してた。

 もしかしてFCカレッソに居られなくなったから、夜河川敷で一緒に練習してたの?

 そうだ、陸上部に誘って一緒にリレーもしていた。あまりに、あまりにも圭吾らしくて絶句する。

 私は桃がしたことを全部肯定している。だってあんな変態が教師で居続けるのはあり得ない。

 むしろこれから生まれる被害を未然に防いだとさえ思っている。

 でもああすることで傷つく人たちがいるなんて、想像したことも無かった。

 私は加藤先生が『家族がいる人間』だなんて思ってなかった。

 ただの犯罪者だと思っていた。

 圭吾は大声で続ける。


「なあ美穂、分かったか。こいつはこんな女なんだ、美穂は違うだろ!!」


 その言葉を聞いて、私の脳内でひらりと金魚が踊る。

 私は桃と違う? いやきっと、私は桃側だ。

 でも圭吾はいつだって違う。真っ直ぐに物事を受け取って、傷ついた人に寄り添い、真っ直ぐで。

 それでも、それでも……私は……。

 圭吾は続ける。 


「庄司すげーサッカーの才能あるんだよ。FCカレッソでキャプテン出来る男なのにさあ。親のやらかしと、子ども関係ねーだろ。あんな風に晒さなきゃ、今も続けてたのに! もうこうなったら無理なんだよ、サッカーはチームゲームだから厳しいんだよ。加藤蒸発して母ちゃんひとりで頑張ってるんだよ。中学校に上がるタイミングで離婚して苗字変えたし、他のFCカレッソの奴らはなんとか黙らせてるけどさあ……写真が今も学校から出てくるんだよ。それ見つける庄司の気持ちにもなれよ……親関係ないだろ……お前他にも何か影でしてるだろ、怖いんだよ、だから信じられないんだ、コイツのことが!!」


 静かに聞いていた桃が「へえ……」と笑い捨てるように言って顔を上げる。


「何も知らないお前が、美穂の前で私を侮辱するのか」


 その冷たすぎる言葉に私はハッと我に返る。

 桃の目がガラス玉のように温度がないような強さで圭吾を見ている。


「桃」


 私は桃の腕に触れた。桃は間違いなく今までで一番怒っている。

 怒りで震えているのか、触れた腕が熱い。

 私は桃に向かって、

「圭吾はお母さんが神戸に行くことになって動揺してるんだよ。ちょっと冷静じゃないの。ね、桃?」


 どこか同罪で、圭吾はそうじゃないのがイヤで。

 同じじゃないのが悲しいのか苦しいのか、でもそんなこと最初から分かっていて。

 この感情をどうしたら良いのか分からなくて、苦しくて仕方が無い。

 桃は、私の腕を振り切って圭吾に向かって、


「お前にそんなこと言う権利はない」

「何言ってんだ、てめーー!」


 圭吾は今にも桃を殴りそうな勢いで近づいてくる。

 私はふたりの間に入って、

「もうやめて、ふたりとも冷静じゃない!!」

 そう叫ぶと、桃は「はー……」とゆっくり息を吐き出して、スマホを取りだした。

 そして何かを確認して背中に手を回した。

「美穂、ちょっと付き合って」

 と私を連れてカフェを出た。



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