第15話 あの時の真実と、金魚の先にある桜
「やったあ桃、同じクラスだよ!」
「絶対そうなると思ったけど、嬉しいわ」
そう言って桃は私の腕に、自分の腕を絡ませた。
ふわりと甘い桃の香りがして嬉しくなる。
中学三年生になり、クラス変えが発表された。桃は中二の秋くらいから「美穂と絶対同じクラスになる」と言い続けていて、そんなに上手く行くかな~と思ったけれど、なんと宣言通り! やったー!
圭吾と柚希とは離れてしまったけれど、柚希は加藤事件以来、不登校の子たちが新しく作ったグループに入ってしまって、あまり話さなくなっていた。小学校から仲良しだったから少し淋しいけれど、柚希は桃が苦手みたいだから、逆に良かったかもしれない。
「クラス委員早めに決めて。すぐに運動会がくるからオオムカデが始まるぞ~」
担任の先生は壇上で声を張り上げた。
うちの中学は五月に運動会があり、3年生は「オオムカデ」という競技をする。
1年生は6人で足を縛って走る「ミニムカデ」、2年生は12人で足を縛る「チビムカデ」、そして3年生になるとクラス全員30人でひとつのムカデになる「オオムカデ」となる。
5クラス一斉にスタートしてグラウンドを一周するんだけど、これがもう難しくて最初は一歩も進めない。
私は配られたプリントを見ながら、
「桃。クラスカラー、ピンクだって!」
「刺繍が楽しみね。図案を描きましょう」
「わーい! じゃあ今日の放課後、美術準備室行こうよ!」
私はプリントを見ながらニヤニヤした。
運動会ではクラスでお揃いのTシャツを着るんだけど、それは家庭科の授業で作る。クラスカラーが決まっていて私たち3-A組はピンクのようだ。
指定カラーを使って黒色のTシャツにフェルトを縫い付けたり、刺繍をしたりする。桃はピンク色が好きだから嬉しそうだ。この授業、私大好き!
私と桃は同じ美化委員に立候補した。美化委員は月に一度仕事があるからまあ面倒だけど、体育館の二階の通路とか、備蓄室とか、普段入れない所の清掃に入れるからそんなに嫌いじゃない。
委員も同じにできるし、一緒のカラーでTシャツも作れて、運動会も同じだなんて嬉しすぎる!
放課後、私と桃は美術準備室の黒板に絵を描き始めた。
「やったー、桃ピンクだよ! 桃一年生の時何色だった?」
「緑だったかしら」
「何を書いたの?」
「草」
「草!」
シンプルに私のほうを見て「草」という桃が楽しくて爆笑してしまった。
私と桃は中学二年生から仲良くなったから、一年生の時に桃がどのクラスなのかも知らない。
というか、一年生の時は六年生の金魚の恐怖がまだあって、桃を見かけても走って逃げていた気がする。
私はピンクのチョークで金魚を描きながら実はずっと不思議だったことを口にした。
「ねえ桃。小六の時、どうして金魚を捨てようって言ったの? 桃くらい冷静だったら、ちゃんと対処したほうが良いって分かってたよね。私はテンパっちゃって無理だったけど」
「母が夏祭りの前日に死んだの」
「えっ?!」
「あの時じゃなくて、小学校三年生の時の夏よ。あの夏祭りの前日に死んだと言われているわ。正確に言えば、認定死亡ってやつね。車が海に落ちたから死体がないの。だからお葬式もしてないのよ。でも法律上は死んでいるの」
桃は私の横に立って桜の花びらの絵を描き始めた。
トン、タン、と黒板をチョークで滑らせる音が響く。
突然はじまった重すぎる話と、桃が次に何を言うのか分からず、ずっと横顔を見ていた。桃は絵を描きながら、
「だから私、あの夏祭りも金魚も大嫌いなのよ」
それを聞きながら思い出す。
桃は『死体がないなら、死んだと思わない』と言って金魚の死体を捨てていたことを。それは桃のお母さんがそうだから……? 桃は続ける。
「最初は事故だって言われたけど、あとで自殺の可能性が高いと知ったわ。でもね、私はお母さんが自殺したと思いたくなくて。だって夏祭りに一緒に行く約束してたから。一緒に金魚すくいをしようって約束してたのよ。だから自殺じゃないって信じてるの。納得してない。それは今も。だからずっと調べてる。家の人間も、三喜屋も、関係者も、全部調べてる、しらみつぶしに調べてる。本当の理由を知らないとお葬式ができない」
桃はカン、トン、と音を立てながら次々に桜の花びらを描いていく。
私が黙って聞いていると、美術準備室の黒板は桜の花が満開になっていく。
桃はまだ描きながら、
「あの日学校に来たら金魚が死んでいて驚いたの。私は今も母が死んだことを受け入れてないのに、あまりに簡単に死んでるから。だから捨てたのよ。見たくなかった、埋めるなんて丁寧なお葬式、私もしてないのに」
「桃」
「あの時は、ただ気持ち悪い、捨てたいとしか思わなかったけど、今は言語化できる。ごめんね。美穂は全然関係ないのに、私のストレス解消に巻き込まれたのよ。金魚を見たくなかった。ずっと目障りだったから、私が知らない間に殺したのかも。死んですっきりしたわ。あの頃ずっと毎日頭が痛かったけど、捨てた日に治ったの」
「桃!」
私は桃に抱きついた。
だって桃は黒板から目を離さず、ずっと桜の絵を描きながら吐き出し続けていたから。
私が桃にグイグイとしがみ付いて抱き寄せると、桃はゆっくりと私にしがみついてきた。
私にしがみ付いても問題がないのだと、その形で温度で強さで理解したみたいで、私にぎゅうぎゅうとしがみ付いてきた。
そして私のお腹の骨が痛むくらい強さを増してくる。
私は桃にしがみ付いたまま、
「じゃあ捨てて良かった」
「バカじゃないの? ちゃんと死んでましたって伝えてお墓を作るべきだったわ。命をトイレに捨てて良いはずないじゃない」
「桃の頭痛いの、治って良かった。それにお墓ならエアだけど公園に作ったんだよ」
「……え?」
私がそう言うと桃は身体を離した。目が赤くて少し泣いたのが分かる。
私はなんだかそれを、きっと桃が見てほしくないだろうと思って代わりに緑色のチョークを持ち、桜の花びらを繋ぎはじめた。
枝を描きながら、
「だってなんだか落ち着かなくて。じゃああそこには桃の頭痛が入ってることにしよう」
「私のお母さんは脳の血管に問題があって、脳梗塞で一度倒れたの。私も少しだけ引き継いでて」
桃の言葉に驚いて私の手から緑色のチョークが落ちる。
「えっ?! ちょっとまって。桃病気ってこと?!」
桃は落ちたチョークを拾いながら、
「香月が私を送り迎えして心配するのもそれが理由ね。お母さんと同じ少し変わった血管の形をしているの。でも常に検査してるし、お母さんが100なら私は10程度だから平気よ。少し形が変なだけ。みんな調べてないけど、この程度の脳血管狭窄はよく居るらしいわ」
「でも香月さんが心配する気持ち分かる。金魚のエアお墓もっと盛大に大きくしてこよっか……心配になってきちゃった……」
桃は私の掌に緑色のチョークを戻して、
「……そのお墓に私の病気、入れられるかしら」
「入れよう! 埋葬だ! なんだろ、病名書いて埋めとく?」
「病名は正式には、ウィリス動脈輪閉塞症だけど、もやもや病って言うのよ」
「もやもや! そんな可愛い名前の病気あるの? イヤだけど可愛いな」
私と桃は家庭科用のお道具箱の中から黒いフェルトを取りだして、そこに赤色でもやもやと血管を縫いはじめた。
これを桃の脳のもやもやした血管として公園のお墓に埋める! それがなんだか流して捨ててしまった金魚の代わりになる気がして、ふたりで血管らしきものを縫った。桃はたまに正気に戻りながら、
「……私たち、何をしてるのかしら」
「血管だよ、桃。これは血管! 桃の病気をここに縫い付けて、バイバイするの!!」
「美穂がそう言うなら、きっとそうなるわね」
私は裁縫が得意なので、黒のフェルトにぬいぬいと血管を描いた。意味が分からないけど、指先を動かしてないと落ち着かなかった。私は縫いながら桃が言った言葉を飲み込んで、病気をそこに縫い付けた。
縫っていると外から大きな笑い声が聞こえてきた。
見るとグラウンドを、圭吾と、その他陸上部の子たちが走ってリレーの練習をしていた。私は窓際に移動してそれを見ながら、
「本当にやるんだ。すごいな」
「圭吾くん、陸上部に入るの? 三年生から?」
「なんかねー。加藤先生いなくなったでしょ? 加藤先生って陸上部の顧問だったんだよ。それで去年の大会、圭吾も一緒にエントリーして大会に出ようとしてたんだけど顧問消滅して出られなくなったんだよね。だから今年はリレーだけ出るみたい」
桃は窓からグラウンドを走る圭吾を見ながら、
「……本当にあの男、みごとなまでに偽善者ね」
「圭吾はあのまんま。誰かのためにとかじゃなくて、あれは自分が落ち着かないからやってるんだよ」
「……美穂、抱っこして?」
そう言って桃は私を窓際に腰掛けさせて、身体の真ん中にポスンと入ってきた。
そして再びぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「さっき骨折れるかと思うほど抱きしめたくせに~~痛かったんですけど~~~」
「……お母さんの事なんて、誰にもいうつもりなかったの。誰にも、絶対に。だって曖昧で、子どもじみてて、ただの泣き言で、あまりに恥ずかしい。冷静になるとバカみたい。今になって恥ずかしくなってきた、嫌、無理」
そう言って桃は私の真ん中で身体を少しだけ固くした。
私は桃を抱きしめたまま、
「誰にも言わないよ」
桃は私に抱きついたまま、窓から外をじっと見たまま視線を動かさず、
「加藤は消えたほうが良い男だったでしょう?」
「それは間違いないよ。桃がしたことは全然間違ってない。正しかったよ。あんなの首になって当然だよ!!」
私はそう言いながら、窓際に肘をついて外を見た。
「でも圭吾は試合に出られなかった子たちが落ち込んでたのを見ていられないみたい。そういう所、私はすごいと思ってるよ。今年入ってきたFCカレッソの子たちに声かけたみたいで。あ、こっち見てる」
いつの間にか圭吾が美術準備室のほうを見ていたので、私は手を振った。
圭吾はじっとこっちを見ていたけど、陸上部の子たちに捕まって、再び走り始めた。桃は私の横で圭吾たちを見ながら、
「圭吾くんとクラス離れて淋しい?」
「まさか。家族だよ、本当に。ずっと同じクラスなんてもうお腹いっぱい。それに仲良くしてもセフレとか言われて、話さないと圭吾に『なに怒ってるんだ』って言われて、最後には痴話ゲンカって言われる。もういいよ~」
「ふたりの関係性は、普通の人には理解不能だと思うわ。私もよく分からないもの」
「まあ特殊だよね」
家が近くてお父さんがサッカーが好きで、お母さんが偶然にも栄養士で。
挙げ句の果てには圭吾の家がほとんど機能してないからこんなことになってしまった。
運動会……圭吾はすごく頑張ると思うから、圭吾のお父さんだけでも見に来られないかな。
私はカバンの底に隠してあったスマホを取りだしてグラウンドを走っている圭吾の写真を撮り、圭吾のお父さんに送った。
ああいう所は、本当にすごいし、素直に尊敬してる。
私と桃は縫い終わった血管らしき何かを埋めに行こうと学校を出た。
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