第13話 好きとスキと沼と
「はじめまして、久米美穂です。千颯さん大丈夫だったみたいで、良かったです」
千颯さんのお母さん……ニコさんはベージュの髪の毛をふわりと揺らして、私に飛びついて抱きしめてきた。他の家のお母さんに抱きしめられたのは、はじめてだー! というか、これがハグかー!
海外の人って感じがすごい。そして身体を離して私の両手を包み、
「美穂ちゃんー! はじめまして。千颯が図書館の帰りに倒れたって聞いてびっくりしたの。それで知らない子に助けてもらったって聞いてね、助けてくれたのが桃ちゃんのお友達だって聞いて! さっき昌代さんから美穂ちゃんが来たって聞いてね」
「わあ。すごく日本語ペラペラでびっくりです」
「だって私、生まれてすぐ日本にいるの。逆にフランス語が話せないの」
「そうなんですか! すいません、偏見で」
「いいのよ、慣れてる。三喜屋のスーツに憧れて文江さんとお仕事がしたくてね、デザイナーとして三喜屋に入ったの。結婚して辞めちゃったけど、私は三喜屋のスーツが大好きなの」
元三喜屋のデザイナーさんだったのか! と話していたら、私の横に桃が来て、
「もう分かったわ。ロールケーキを持って来てくれてありがとう」
ニコさんは桃をむうとにらみ、
「出て行けって顔に書いてある。もっとお話したいわ。お礼も言いたいのに」
「もう充分言ったわ。美穂もそんなに感謝されても困るわよ、きっと」
「そうですね。何しろ頭に水をぶっかけたし」
「そんなことないわ、命の恩人よ! こっちは暑いからなるべく家に居るように言ったのに、ふらふら出て行くから……」
「だったらずっと大阪にいればいいのに、どうして帰ってくるんですか?」
桃は真冬に湖から吹く風みたいに冷たく言った。
桃がニコさんをあまり好きではないのが言い方で分かる。
ニコさんは、
「文江さん、病院通い増えそうなの。やっぱりひとりで行かせるのは可哀想。桃ちゃんが来るだけで、文江さんすごくやる気になると思うけど、どうかな」
「あの人が私に望んでるのはそんなことじゃない。それに介護はプロに任せるべきよ」
「でも私は文江さんが好きなの。またお仕事したいし、私がお世話したいのよ。だからこっちに戻りたいのに……」
「ロールケーキを持って来てくれてありがとう。この家に美穂ははじめてきたの。だから私も美穂とゆっくりしたいの。ここまで言えば自分の話をやめて、私の部屋から出て行ってくれるわよね?」
「……分かったわ。美穂ちゃん、また今度ゆっくり来てね。千颯、次くるのは冬休みだけど、私は介護にくるから」
「あ、はい。よろしく伝えてください」
ニコさんは「もお」と言いながら部屋から出て行った。
ニコさんが持って来たくれたロールケーキの横には、甘い香りがする紅茶も置いてあった。私はそれを机に運びながら、
「桃はニコさん嫌いなんだね。桃は好きな人と嫌いな人がハッキリしてる」
「好きな人なんて美穂しかいないわ。あとは全部嫌い」
「えへへ……告白された」
私がそう言うと桃はふと真顔になって、
「ねえ美穂。私、伝わってない気がする。私は本当に美穂が好きなのよ」
「え……。ちょっとまって。それって私と……こう……Hなこととかする……性的な好き?」
あまりに桃が真顔で言うので思わず聞いてしまった。
私は桃のことは好きだけど、性的とか、そんなのは全然考えたことが無い。
というか、そういうことを誰かとしたいと思ったことが全くない。
同級生は本当にしてるのか分からないけれど、すぐにセフレとか言う。
純情ぶっているとか、そういうことじゃなくて、みんな本当にそんなことしたいのかな? と私は思っている。
しないと好きって分かって貰えないから、求められるからしてるだけで。
断ると、そういう噂だけはすぐに広がる。じゃあ何のために付き合ってるの? とか、そんなことばかり言われる。
みんな結局嫌われるのが怖いからしてるだけな気がする。
でも桃は、私がこれを伝えても私を嫌ったりしないと思えるし、正確に聞いてくれると思う。
現時点で私は、桃のことを友達よりもっと深い場所に座っている存在だと思う。
桃といると安心するし、桃としか共有してないことがたくさんある。
そう伝えると桃は、
「嬉しい。私もそう。そうね……性、って言われると、違うのよね。でも美穂が特別に好きで、美穂と溶けてひとつになってドロドロの塊になりたいって思うわ」
「え? なにそれ? アメーバみたいなの?」
「美穂と私の境界線が消えるくらい一緒になりたいと思うの」
「全然わからないよー! それに怖いよー、私が取り込まれてるー!」
桃のことを分かってきたつもりだけど、それでもやっぱりよく分からない。
笑いながら、私たちはロールケーキを食べ始めた。
桃は、
「ニコさんの仕事は全然嫌いじゃないわ。祖母と一緒に仕事をしていたデザイナーで、祖母も信頼してて結婚を許したの。でもどんどん自分の主張を強くして、祖父の居場所を奪いすぎたわ」
「そっかあ……」
「なによりあの人の旦那……叔父が私は大嫌いなのよ。見境無く女に手を出すクソ男。本当に最低なことばかりしてきた。ニコさんもそれを知ってるけど、叔父がどんな悪事をしても無視。今の公正証書遺言書だとニコさんに紳士服売り場を変える権利がない。だから介護して書き直して貰おうとしてるだけよ」
なるほど……。
それであんなに強く拒絶してたのか。
でも私は三喜屋のことは分からない。私がわかるのは……、
「介護はプロのが良いよね。お母さんも周りの介護は全部お金払って頼んでたよ」
お母さんはお父さんと一緒にいたくてここに引っ越してきた。
自分の両親の介護は兄嫁さんに全部お願いしてるんだけど、お金をたくさん送って口を出さないと決めている……と料理しながら言っていた。だから美穂も私のことは気にせずに好きに生きなさいとも。
お父さんは市役所で働く公務員で、その稼ぎだけで生きて行けそうだけど、お母さんが仕事してるのはお金を兄嫁さんに送りたいからだと思う。そういうと桃は目を細めて、
「美穂のお母さん素敵ね。今度は美穂のお家に行かせて」
「いいよー。でもこの部屋を味わってしまうとっ! 私の部屋なんて桃の部屋のお風呂サイズだよ」
「広いだけの空間に何の意味もないわ」
「ええ~、そうかなあ。お風呂にトイレに、それに湖がこんなに綺麗に見えるなんて……! すごいっ……!! そして清水屋のロールケーキ……すごいっ……めちゃくちゃ美味しいよおおお……」
「喜んでくれて良かったわ。さあ食べて、マニキュアしましょう」
「わーーい!」
私たちはロールケーキを食べて(これは秘密なんだけど、なんとお母さんが作っていたジェネリック清水屋ロールケーキは、本物にものすごく似ていた。なんならジェネリック清水屋のほうが甘くて美味しいくらい。お母さんやっぱスゴすぎる!)、濃くてこっくりしているアップルティーを飲んだ。
そして桃は私の指に丁寧にマニキュアをしてくれた。
桃の体温は低い。手が冷たくて、私の体温を桃の掌の中でしっかりと感じる。
桃は真剣な表情で私の爪にマニキュアを塗っていく。
「桃の手、冷たくて気持ち良い~」
「体温が36度をこえたら発熱ね。いつも35.5くらいしかないの」
「低体温は万病の元なんだよ。私のお母さんに言ったら特製ぬか漬け毎日食べさせられるんだから」
私がそう言うとキョトンと顔をあげて、
「なあに、それ?」
「曾祖母から引き継いでる秘伝のぬか漬け。冗談抜きで100年続いてるらしいよ。お母さん旅行は絶対車で行くんだけど、それはクーラーボックスにぬか漬け入れて持っていくから。私、あの呪いみたいなぬか漬け引き継ぎたくないよ……」
「呪いって……ちょっと美穂。笑わせないで。ぶれちゃったじゃない」
「昔台風で避難勧告出た時、ぬか漬けだけ持ってたんだよ。体育館にあるぬか漬け。意味わかんないの」
「もう分かったから。笑わせないで」
そう言って桃は私の爪の横についたマニキュアを除光液で丁寧にふいてくれた。
つめたくてひんやりする感覚と匂い。桃の作業は丁寧で静かで気持ちがよい。
せっかく夏だし? と桃は白と黄色のきれいなグラデーションにしてくれた。そして爪先に黄色のヒマワリ。
「……わああ……可愛い、桃ありがとう!」
「写真撮らせて。今日の夜、同じのを私の指にもするから」
「お揃いにしてお出かけしたいね!」
「行くなら図書館ね。宿題まるまる残ってるのよ?」
「あーーーー。忘れてた」
私は動かないでと言われたので、机に掌を置いたまま、おでこを打ち付けた。
いつの間にか窓の外はオレンジと紫色、それに青とピンクが混ざっていた。夕方というにはあまりに幻想的な景色。
そこに風が吹くと、空が反射した湖畔が見えた。私は色が変わりゆく世界を桃とぼんやり見た。
帰る時間になり、私のリクエスト通り正面口から出ることにした。
一階の正面口付近は、二階より絨毯がふかふかしていた。そしてステンドグラスが屋根一面に広がっていて、夕日を受けてキラキラと輝いている。映画とかに出てくる洋館みたいで興奮してしまう。
桃は玄関のドアを開けた。そこには男性がひとり立っていて、庭木を切っている。
桃は、
「あれが叔父。死ぬほど女癖が悪いから、美穂に会わせたくないのに」
「中学生だよ~~~?! それに桃の友達」
「加藤先生を忘れたの? それにアイツだけは本当にダメ」
桃はそう言って叔父さんを後ろから睨んだ。
お屋敷の庭は美しく整備されていて、色とりどりのお花が咲いていて美しい。
紫の小さな花や、黄色のふわふわしたお花、それに大きめのヒマワリ畑もある。
すごいー! その花壇で、叔父さんはせっせと雑草を抜き、花壇を整えていた。
かなり近くまできたけど、叔父さんは気がつかない。
桃は真っ正面に周り、頭を下げた。すると叔父さんは、掌を桃のほうに広げてそれをそのまま下げた。
あ、手話だ。千颯さんが手話をしているのはお父さんの耳が聞こえないからだ。
私は慌てて掌をお腹の前で会わせて、指を接地させる。「はじめまして」の手話だ。
叔父さんは目尻を下ろして嬉しそうにした。
その顔はたしかにカッコ良くて、ダンディーと呼ばれる側の人だなあ……と思った。
私は口を開けてゆっくりと千颯さんとも会ったことを説明した。叔父さんは右手をトンと左手に置いて頭を下げた。「ありがとう」の手話だ。
もう夕方から夜になりそうだったので、私は庭を出たところで桃に別れを言って帰ることにした。
なるほど~。千颯さんの手話の謎もとけた!
FCカレッソに耳が聞こえない子が入部した時に(結局やっぱり難しくて続かなかったけれど)覚えた基本的な手話が使えて楽しい! それに爪が可愛くて~~! とウキウキしながら家に帰ったら、台所で宿題に飽きた圭吾が寝ていた。
寝てる場合じゃないし! でも私も偉そうに言える状態じゃないし!
結局私と圭吾はお互いを起こしながら夏休みの宿題を終わらせた。
もー、夏休みのシメとして最悪ー!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます