第7話 悪い子は地獄へいく
私はあの時、宇田川さんの罪が、舞い落ちるのを見た。
それは世界で一番美しくて、残酷で、心の奥底から「ざまあみろ」って思える時間。
たった半日で、世界は一変したんだ。
――――朝8時(約6時間前)
おおっとこれが宇田川親衛隊の怖さか。私は学校に登校して驚いた。
なんと上履きに砂がてんこ盛り入っているのだ。
今時こんな古風なイジメ……ちょっとすごい。
お父さんが持ってた古い漫画で、教室に入ったらドアに挟んでいた黒板消しが落ちてきてたけど、それっぽい。
私は学校のiPadを取りだして、とりあえず撮影した。
現代の中学生は「イジメされたら証拠集め」が当たり前になっている。
泣き寝入りをするのは時代遅れだけど……、
「地味に腹が立つな」
私は写真を撮り終えたiPadをカバンに入れて上履きを持ち、グラウンドに砂を落とした。
何度パンパンと叩いても砂がボロボロと出てきて嫌な気持ちになる。
「おはよう」
「あっ……桃、おはよう」
「どうしたの? 上履き」
「ちょっとゴミが入ってたの。大丈夫」
「……そう。ゴミは捨てないとね」
そう言って桃は自分の下駄箱に向かった。
私はため息をついて上履きを床に置いた。どこかまだ砂っぽくて悲しくなる。
宇田川親衛隊はまだこんなことをするのか……。
なんでこれが宇田川親衛隊の仕業だと分かるかというと、これを前にされた子が居たからだ。
その子は学年で二番目に可愛い子で、宇田川さんが抜かれるのを恐れて攻撃を仕掛けさせたのだ。
大丈夫だよ、すぐに飽きるよと一緒に上履きを綺麗にしたけど、不登校になってしまい、半年学校に来てない。
問題は宇田川親衛隊は人数が多くて、誰がしたのか問いただすのは難しい。
みんなでするからイジメの意識も薄い。「みんなで信号無視すれば、車のほうが停まる」理論だ。
桃も一時期されてたけど、完全無視してたら、ターゲットが移動してたからそれを待つかあ……。
私は上履きを置いて、教室に向かって歩き始めた。
すると二階の踊り場に宇田川さんの親衛隊が数人いて、クスクス笑っている。
あーあー……もうヤダなあ。
「ういっす、美穂、おはよう! 今日の練習もよろしくな!」
そう言って後ろから私の肩を叩いたのは圭吾だ。
今日もサッカーの練習があって水を運ぶのを頼まれているけど……と二階の踊り場を見ると、親衛隊の子たちは抱き合ってキスするマネをはじめていた。
……これは圭吾といることで更に酷くなるパターン。
でもこれを圭吾に言うと、マジキレしてたぶん手に負えないというか、本当に殴っちゃう。
そしたら圭吾は問題をおこした中学生になって、推薦で行きたい有名なサッカー部がある小田高に行けなくなっちゃうよなあ……。
すぐに飽きることを祈ろう。
私は、
「ういっす」
とだけ軽く答えて、踊り場でまだキャーキャー言ってる親衛隊を無視して階段を上がった。
横を歩いている圭吾は「なんだあいつら朝からうるせーな」と言い捨てた。
女子の世界は小学校高学年くらいから、一気に複雑になる。
小学校四年生くらいまでは、男子と一緒に遊んでても何も言われなかったのに、六年生になっても遊んでいると「好きなの? 彼氏?」と言われる。
モテる子、可愛い子、男に媚びる子、サバサバ系、オタク系。
四年生から六年生までの間に女の子はそれぞれの子にラベル付けをして、同じグループにいる子とつるむのが基本になる。本を読むのが大好きなお父さんに相談したら、何冊か本を貸してくれて、その中に「ハチもゴキブリもグループを作って生活して、その他のグループを殺す」と書いてあって、そういうことをする人は、ハチかゴキブリだということに、私の頭の中でなった。
あれだな。宇田川さんは女王バチ。親衛隊は働きバチ。だからぶんぶんうるさいんだ。
教室に入ると、なんと今度は机が前後ろ逆になっていた。
座ろうとしたら、引きだしが
反対側にあって、足がぶつかるやつ。
前席の柚希が気がついて、
「おっはよー、美穂って……え、ちょっとまって、ひょっとして……」
「柚希、ちょっとの間、私に関わらないほうがいいよ」
私がそう言うと柚希は「(まじで……?)」とだけ呟いて前を向いた。
柚希は小学校の時に男子にイジめられて、学校に入れなくなった過去がある。
保健室登校を経て、クラス替えで私と同じクラスになって、やっと教室に入れるようになった。
宇田川親衛隊は、もっと強烈で面倒。でも飽きっぽいから、一ヶ月くらいの辛抱だろう。
私はため息をついて机を回転させて座った。
机の中にも何かを入れられてるんじゃないかと、ちょっとドキドキしながら見たけど、何も入ってなかった。
私は砂っぽい上履きを脱ぎ、足の指を動かした。もう超めんどくさい。
――――昼12時半(約30分前)
昼休みはいつも柚希とすごしていたけど、今はやめておいたほうがいい。
元々お父さんから借りた本を読むのが好きで、ひとりになるのは苦手じゃない。
図書館にでもいようかなと思って教室を出たら、廊下に親衛隊がいて、私を見てクスクス笑っている。
ひとりになりたい……そう考えて思いついたのは、美術準備室だった。
昨日一緒に帰った桃曰く「あそこは物置で、誰も使ってないの」と言っていた。
悪いけどお邪魔しよう。そう決めて四階に向けて階段を上った。
桃曰く、美術準備室は鍵がかかってるんだけど、隣接している美術室から入れる。
そこの鍵が壊れているの……と言っていたけれど……と引き戸を引いたら、開いた。
「……良かった」
私は先日桃と描いた絵の前に座った。
丸くて汚れた椅子がくっ付くように置かれている。
そして黒い壁は相変わらず、そこに超巨大に置いてある。昨日少しだけ削って書いたビル。
私は置いておいた木のペンを持って、カリカリ削った。
こうしてたら部活してるってことになって、ここに居て良いことにならないかな。
でも先生に相談は……無意味なんだよなあ……むしろ状況を悪化させる。
問いただして犯人を見つけても、砂を入れた子は前に宇田川さんにいじめられていた子で、もういじめられないためにしたりする。みんな自分の立場を守るために必死だ。
「ぐるぐるぐるぐる、嘘と悪意のハイパーループ」
私はぐるぐると線を書いていた木のペンを置いて、窓を開けて昨日みたいに窓際に座った。
もう夏が始まる六月の湿度は無駄に高くて、ムシムシしてる。
早く夏休みになってしまえばいい。夏休みが終わったら状況が一変するのは、あるあるだ……と窓から外を見ていたら、パン……と高い音が響いた。
それは空気を切り裂くような高い音で、学校で聞くような音じゃない。
私はペンを置いて外を見た。
なんだろう。
校庭にいる子たちも、校舎内にいる子たちも「なんだ?!」「なんの音?!」と騒ぎはじめた。
そしてその音は、一度や二度じゃない、パン……パン……と軽く何度も響く。
窓の外を見渡してみるけど、分からない。
その前にこの音、どこからしてる?
そして校庭にいた子が「屋上だ!」と叫んだ。
でもうちの中学校の屋上は出入り禁止で、先生しか鍵を持っていないはず。
違うんじゃ無いかな……と窓から外を見ていたら、ふわふわと何かが落ちてきた。
それは空から舞い落ちるクラゲのようにゆっくりと、ゆったりと、それでいてカラフルに。
青空の下、色とりどりのクラゲが空を踊っているように見える。
そしてふわああ……と風に煽られて飛んでいく。
え……? なに……? 私は窓から体を乗り出して上を見た。
よく見てみると、それは花火から出てくるパラシュートだった。
校舎からたくさんの子たちが飛び出して、屋上から落ちてくる小さなパラシュートを取ろうと騒いでいる。
「こっちこっち!」
「鍵空いてるってこと?!」
「誰がやってんのこれ?!」
そして同時に四階の横の階段を駆け上がっていく声も響く。
私がいるのは四階だ。このすぐ横にある階段を上って、そこの踊り場にある鍵を開けるしか無い。
屋上に出た人がいたとしたら、そこの先にいる。一体誰がそんなことを……そう思って私も気になって美術準備室からこっそり出て廊下に出ると、
「きゃーーーー! 何で? えっ、加藤先生何してるんですか?! キャー!!」
「加藤がチンコ出してる!!」
「宇田川がいるぞ!!」
「やべえやべえ、まじでやべえ!!」
叫び声と、スマホを持って来て写真を撮る子、学校のiPadで動画を撮影する子、それを先生たちが押し戻して、屋上に続く階段は大騒ぎになっていった。
屋上に続く踊り場の奥……暗くて、でも扉ひとつで空に出られる空間に、ジャージをズリおろしている加藤先生が膝を抱えて転がっているのが見えた。そして呆然と座っている宇田川さん。
これはどう考えても状況的に……。
私は絶句した。
そして校庭から、
「ヤバい、写真が! マジでやべえ、加藤まじもんの変態じゃん!!」
「宇田川が制服もちあげてブラ見せてる写真あるぞ!!」
「これどこで撮った写真?!」
「やべえ、はんぱなくエロい!! おいそれ寄こせよ!」
「てかこれ学校のトイレじゃない……? え……盗撮じゃんこれ」
「プールの更衣室の写真もあるんだけど!!」
「加藤のハメ撮りまであるんだけど、マジでエグい、まだまだあるぞ!!」
「キモすぎる!!」
階段の横は、縦長の窓だ。
一階から四階まで、全部ガラス窓。
すごく長い窓で、四階のここからは、グラウンドが全部縦に切り取った絵みたいに見える。
六月の青空、真っ白なグラウンド。
そこを紙吹雪が舞い落ちる。
青空に降る雪のように白いものが、無限にチラチラと太陽の光を受けながら落ちていく。
どこかこの世の終わりみたいにキレイで。
でも内容は体育の加藤先生がセックスしている時の写真や、宇田川さんが制服を持ち上げてブラを見せている写真、そして更衣室の着替えの盗撮。
それがヒラヒラと屋上から落ちていく。
ヒラヒラ、ヒラヒラ、キラキラ光って、落ちていく。
大騒ぎしている先生たち、キラキラ光っている写真を取ろうと校庭を走っている生徒たち。
どんどん、どんどん、止むことがない雪のように屋上から落ちてくる。
私はそれを見ながらまっすぐに思った。
これをしたのは桃だろう。
確信なんてない、でもこれをしたのは桃だ。
桃は宇田川さんが体育の授業に出ないのに一年生の時に成績5を取ったことを『事前に知っていた』。
それをみんなの前で言った時点で様子を見ていたんだ。
そして桃はサッカーボールを蹴りながら言っていた。
「ボールが落ちていくのを見るのは好き。重力に抗えないのが好き。かならず落ちるでしょう」
なんてキレイなんだろう。
重力に抗えない罪が舞い落ちるのは。
見ていないのに、桃の綺麗な指先が見えた。
屋上でパラシュートが上がる花火を上げながら、きっと桃はお団子を解いていただろう。
あの冷感シーツみたいな髪の毛を夏の風になびかせながら、ピンク色のメッシュを踊らせていただろう。
それはちょっと見たかったな。
私は強い風にさらされて、飛んで行く写真を階段に座りながらみて、
「……そういえば今朝、ゴミは捨てないとって朝言ってたけど、さすがに派手に捨てすぎじゃない……?」
そう呟いたら、少しだけ涙が出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます