第4話 桃色の誘惑
「じゃあ美穂ちゃん、今日もよろしくね!」
「はーい。ポンポン投げていきますー」
私は転がってきてネットにくるくる巻きになるボールを取り出して、ベンチのほうに蹴った。
今日はグラウンドをネットで区切って使っていて、反対側をバスケットのチームが使っている。
あっちからも、こっちからもボールが飛んできて、真ん中にあるネットにくるくる巻きになって大惨事になるので、当番の人がボールを「えいや」とそれぞれのチームに投げて移動させているのだ。
ボールを取り出して蹴っていたら、グラウンド横にある通りに、黒くて大きな車が止まった。
そしてグラウンド横にある建物から、わらわらと色んな人たちが出てきて、その車から出てきた人を出迎えている。
偉い人が来たのかな……と見ていたら、三人が車から降りてきた。
スーツ姿ですごく体が大きな人が運転席から出て来てドアを開き、後ろの席から杖をついた頭が完全に白髪で杖をついたおじいさんと……え……うちの中学校の制服を着た女の子、
「……島崎さんだ」
私はボールをポンと置いて呟いた。
学校の島崎さんは髪の毛をしっかりとお団子にしてるけど、髪の毛をほどいていた。
でもあの高身長、そしてうちの制服……絶対に島崎さんだ。
黒塗りの車から偉そうな人と一緒に下りてくるとか、さすが三喜屋の娘って感じ。
この前お母さんに「三喜屋すごいんだから!」と言われて知ったんだけど、三喜屋はここら辺りの地元だけじゃなくて、大阪とか神戸にもお店があるらしい。
グラウンドに居た大人たちもみんな頭さげて挨拶してる。三喜屋ってすごいんだなあ。
そして見てると、さっき会った金魚の神さま……身長が高い男の人みたいな女の人も、一緒に建物に入っていった。
三喜屋の知り合いなのかな……?
「美穂ー! ボール取ってくれー!」
ぼんやりとその景色を見ていたら、ネットにボールが溜まっていた。
それを見た圭吾が私に向かって手を振っている。
「あ、ごめんごめん。ほいっ!」
「サンキュー! そっちにもたまってるぞ」
「おっけー!」
私は溜まっていたボールを救出して、ぽいぽい投げた。
ボールを胸で受けてトラップ……みたいな練習してるときは、失敗したボールが無限にこっちに飛んでくる。
おらおらおら! とボールを投げたら変な方向に飛んでいって、それを島崎さんが手に取った。
私はなんとなく、顎を前に出す感じで、雰囲気で挨拶しつつ、
「……ありがとう」
「日陰がなくて暑いわね」
島崎さんはボールをカゴの中に入れた。ガコンと軽い音を響かせてボールはカゴの中に入った。
島崎さんとは、金魚事件のあとも、中学校に入ったあとも、そんなに仲良くはない。
こうして顔を合わせたら話すけどワイワイ話すような関係じゃない。
やっぱりずっと、島崎さんの顔を見ると、金魚を掴んでいた指先と、表情を思い出してしまう。
そしてずっと転がっている罪悪感と呼ぶには遠い、感覚の違和感。
でもなんとなく、ずっと見ていた……ううん、見張っていた。金魚のことをバラされたくなかったから。
でも全然そんな気配がない島崎さんに対して生まれていく妙な安心感と信頼。
そして「ふたりだけのひみつ」が私たちの間に見えなくても転がっている気がして。
私はボールを今まで以上にせっせと投げながら、心のなかで「(島崎さん、早くどこかに行かないかな)」と思っていた。
目が離せなくて、どこか信頼してて、それでもやっぱり大昔悲惨な事故があった道を通りたくないような感覚なのだ。
もう何も残ってないのに、誰も覚えてないのに、通りかかるたびに思い出すような感覚。
ボールを取りに行く顔して離れようかな……背を向けて逃げ始めたら後ろから島崎さんが話しかけてきた。
「私にも聞きたいんじゃない?」
「……え?」
「私が石井くんの家から出てきたの、見てたでしょう」
その言葉に驚いて振り向く。
島崎さんは、その場の空気を味わうように薄く微笑んでいた。
私は、表情を取り繕うために前髪をなんとなく直しながら、
「見てたこと気が付かれてたんだ。いや、驚いたけど、別に聞かないよ。だってふたりって学校で話してるの全然見ないし。それに圭吾のお母さん、三喜屋で働いてるから、その辺りかなって」
応えながら、ちょっとドキドキした。
あの瞬間なら、世界で一番はやく動く人グランプリで優勝できたくらい高速で動いてベッドに隠れたのに、見られてたんだ。
でもなんというか、圭吾と島崎さんは、アメリカとそこら辺りに生えてる雑草くらい、あまりに遠い。
学校で仲良しのふたりが出てきたのとはワケが違う。
私がそう答えると、島崎さんは、大きな袋に小さな針が空いたみたいにプスゥと力なく笑い、
「賭けは私の負けね」
「え?」
「根拠もなく好かれてる自信がある男なんて大嫌い。滅びてほしい」
そう言って島崎さんはボールが絡まっていた網を持ち上げてくれた。
何を言ってるのか分からないけれど、大嫌いと言っているわりには楽しそうだ。
ボールを取り出しながら私は気がついた。
「さっき車で偉い人たちと来てたね。FCカレッソで圭吾と知り合いだったの? 私全然気がつかなかったけど」
「FCカレッソは、三喜屋が七割出資してるのよ」
「えっ、そうなんだ。あ、コーチたちも挨拶いってた」
「おじいさまもお父様もサッカーが好きで。地元と協力してJリーグを目指すらしいわ」
「え~~~。すごいすごい。この町にJリーグチームが出来たら圭吾すっごく嬉しいだろうな」
私がそう言うと、島崎さんは真っ黒な丸い瞳で射貫くような視線で、
「なんだって圭吾くん。圭吾くんが悲しむ、喜ぶ、で話をするのね」
「え……いや、サッカーの話でしょう? サッカーって言ったら圭吾だし」
「金魚の時もそうだった」
「あ……ああ、うん、そうだったかな。いやだってあれも圭吾と捕ってきた金魚だったから」
そう考えると私はアレもコレも圭吾と一緒にしている。
でもその他にも色々あるし、別に圭吾が全てってことじゃない。
友達とカラオケも行くし、推しのVTuberの配信だって見てるし、グッズも買いたい。
別に私の人生のすべてが圭吾で左右されているわけではない。
私がそう言うと島崎さんは、
「他人なのにどうしてそこまで大切にできるの?」
「単純に付き合いが長いんだよ。家が近いの見たでしょう? 目の前の道の三つ隣の家。お母さんもお父さんも、みんな圭吾のこと大好きで」
ボールを持って顔を上げたら、目の前に島崎さんがいた。
「近くで見てたって、何も分かりゃしないわ」
そう言って私に一歩グイと近づいた。
あまりに急に近づいてきたので、驚いて一歩下がる。
「いや、島崎さん、物理で近すぎる」
「むしろ嫌いになる。隠したいものも隠せない。見たくないものも、見えちゃうわ。金魚の時に気がついたけど、久米さん、目元に小さなホクロがあるの。ほら、近づくと見えちゃう」
「誰もここまで近づいて顔見ないから!」
私が叫びたくなるほど、島崎さんは私の顔の近くに顔を寄せていた。
島崎さんの肌は白い。金魚の時も思ったけれど、生まれてから一度も太陽に晒されたことがないような真っ白な肌をしている。そして小学生の時は肩までだった黒い髪の毛は、今伸ばされてかなり長い。
サッカーコートの吹き抜けの風に晒されて、その髪の毛が踊って私はふと気がついた。
そして目の前にいる島崎さんに手を伸ばした。
「……近くで見たから気がついたけど……島崎さんって、髪の毛の裏にメッシュ入れてる……? ピンク……白……?」
「やだ触れないで、恥ずかしい」
そう言って島崎さんは私からパッと離れた。
全然気が付かなかったけれど、島崎さんの黒い髪の毛の奥……一束だけ? ほんの少しだけ髪の毛がピンク色に染められていた。私が大好きなVTuberも髪の毛に赤色のメッシュが入っているので、憧れてるけど、中学生でそんなこと出来なくて。
メッシュに憧れて100円均一でそういうの付けてみたけど、全然思った通りにならなくて何か変で。
でも島崎さんのメッシュは私が憧れるメッシュの入れ方、そのものだった。
距離を取った島崎さんに今度は私から寄り、
「え、すごい、めっちゃキレイ。付け毛じゃなくて?」
「違うわ、一部だけ染めてるの」
「えっ、学校でバレたことない?」
「裏側に入れてるし、いつもひとつにきっちり縛ってお団子にしてるから」
「あ。そうかも。わあ、良いなあ、すごいすごい、かっこいい、見せて?」
「……良いけど」
私はグラウンドの芝生に島崎さんを座らせて近づいた。
今、サッカーチームはミーティングをしているのか、ボールは飛んでこない。
もう夕方が始まっていて、烏が森に帰ってきて高い声で鳴いている。
少しだけ暗くて、それでも昼が残した力で少しだけ明るい世界で、私は島崎さんの髪の毛に触れた。
私の髪の毛は猫っ毛でものすごく細い。
毎日頑張ってアイロンをかけてるけど、湿度ですぐにふにゃりと右や左に曲がってしまう。
島崎さんの髪の毛はまっすぐでサラサラで、
「冷感のシーツみたいで気持ちがいい髪の毛。わあ、可愛い、いいなメッシュ。いいなあ」
「……桃、だから」
「桃が好きだからピンクなんだー……あっ、違う。島崎さんの名前、桃っていうんだよね。ごめん忘れてた。あっ、だからピンクのメッシュなの?」
私がそう言うと島崎さんはコクンと頷いた。
同時にすぐ近くにあった電灯がパッと点灯した。
暗くてよく見えてなかったけれど、島崎さんは私の髪の毛を触れられて、少しだけ恥ずかしそうにしていて、なんだかずっと得体が知れない生物だった島崎さんが同じ中学生だと分かった。
私は髪の毛に触れながら、
「そっかあ。桃だからピンクのメッシュなんだ。隠してるんだ、こんな髪の毛の奥に。いいなあ、すてき」
「美穂だけは、私のこと、桃って呼んでいい」
「おお。びっくりした。突然名前で呼ばれた」
友達の間でも、なんとなく。
良い感じに苗字で呼び続けて距離を測って、同じ活動班になったとか、一緒に帰って趣味が同じだと分かった時とか。
そんなのをきっかけに苗字からなんとな~くズルズルとした波間の境界線を運動靴で越えていくみたいに、苗字と名前呼びを交互にジャンプして曖昧に順番に名前だけにしていくのが女子の世界だけど、島崎さんは何でもかんでも一足飛びだ。
何も考えずに海に飛び込んでいくサーファーみたい。
距離感が一瞬で変わって、ワケが分からない。
そんな変人なのに可愛いピンク色のメッシュを隠してる事なんて私しか知らない。それが妙に心地良い。
他には何を隠しているんだろう。それにしても……、
「桃なんて、いいなあ可愛い名前で」
「突然名前で呼ばないで」
「え? なんで? 呼んでって言ったのに」
「名前で呼ぶって言ってから呼んでほしかったのに。はじめてだから」
「名前で呼ばれるのはじめてって……桃って、友達居なさすぎじゃない?」
「私は許可した人にしか名前で呼ばれたくない」
そう言われると、それはすごく曖昧で、電灯がついたら夜だと言い切れない夕方のようで。
それでも島崎さんに美穂と呼ばれるのは、薄暗くなり始めた夕方についた電灯のようで。
私は頷きながら、
「桃。いいなあ、可愛い名前で」
「ねえ美穂。ものすごくボールが溜まってるけど良いの?」
「……ダメじゃん! 桃も手伝って。あっちに投げて!」
「おじいさま、もう話が終わったみたい。そろそろ帰らされるわ」
「うおーーい!」
突然私の心の横に座った桃は「リミットだわ」と言いながら一緒にボールを投げてくれた。
運動とは無縁っぽい桃なのに、投げたボールはわりとちゃんと狙った所に投げられていて。
そしてボールを高く投げてそれを見ながら、
「……ボールが落ちていくのを見るのは好き。重力に抗えないのが好き。かならず落ちるでしょう」
とボールを見ながら言った。
やっぱり変なこと言うなあと思ったけれど、投げるたびに黒い髪の毛の隙間から桃色のメッシュが見えていて、羨ましいなあと思った。
私も推しとお揃いの赤メッシュしたい! 絶対お母さんに怒られる!
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