第3話 見えない金魚が横で踊る

 家から出ようと思った瞬間、圭吾の家から出て来たのは身長が高くて……うちの中学校の制服を着ていて……?


「?!」


 私はすぐに窓際から逃げてベッドの布団に丸まった。

 圭吾の家から出て来たその女の子は、一緒に金魚を捨てた島崎さんだった。

 身長がすごく高いからすぐに分かる。あそこまで身長が高くてうちの中学の制服は、絶対絶対島崎さんだ。

 ヤバいヤバい。

 見てはいけないものを見てしまった。

 親しげだった? 何か話してた? 一瞬で隠れてしまったから全く分からなかった。島崎さん……ひょっとして金魚のことを圭吾にバラした……?

 そこまで考えて、私はモソモソと布団から出てきた。


 ……今更そんなことして、島崎さんに何の得があるのだろう。

 それにあのふたり。全然仲良くない。


 少なくとも学校で話しているのを見たことがない。

 島崎さんは地元で一番大きなデパート三喜屋(みきや)の娘だ。

 お父さんが社長さんで、地元の広報誌によく特集されてる。横に島崎さんも娘として一緒に載っていた。

 そして圭吾のお父さんは海外メーカーで働いていて、三喜屋に商品を卸している。

 圭吾のお母さんは地元の高校を卒業して三喜屋に就職、ずっと三喜屋で働いていて、そこで圭吾のお父さんとも出会ったくらい、ふたりとも三喜屋関係者だ。

 だからそっちの関係じゃないのかな……というか、それくらい圭吾と島崎さんが繋がらないのだ。

 圭吾は学年で一番元気で明るいけど、島崎さんは基本的にひとりで居て、若干浮いている、と思う。

 それは島崎さんの性格ゆえ……という気がする。


 うちの中学校は温水プールがあって(区民プールと中学校のプールが一緒)雨が降っても寒くても、六月になったらプールの授業がある。

 中学二年生にもなると、男子と一緒にプールなんて入りたくない。

 でも休みすぎると成績が2になってしまう。2になると夏休みの補習授業に呼び出されるから、みんな渋々入っている。

 そんななか、学年で一番可愛い宇田川さんは一度もプールに入っているのを見たことが無い。

 でも夏の補習に居なかったらしい。「なんか変じゃない~?」とみんな言ってるけど、宇田川さんは学校で一番可愛くて親衛隊がいて守ってるから何も言えない。

 この前もプールがある日、宇田川さんは「今日も風邪ですって言おう~。嘘だけど」と笑っていたのを、島崎さんは体育の加藤先生の前ではっきり言ったのだ。

 「宇田川さんは風邪だと嘘をつくと言っていました。それにプールに入らないと成績が付かないと言われているのに、一年の成績は5だったらしいですね、どうしてですか」と。

 宇田川さんは「嘘じゃない、体調が悪い、成績の話は覚えてない」。

 生徒たちは「それが本当ならずる~~」の大騒ぎ、そして体育の加藤先生も黙ってしまったのだ。

 それから島崎さんは宇田川親衛隊に目を付けられてクラスメイトから距離を取られている。

 でもそんな風に嘘を許さない島崎さんが、どうして小学校の時は私と一緒に金魚の嘘をつき通してくれたのだろう……とたまに考えるけれど、よく分からない。

 ただ事実として残ったのは「ふたりだけのひみつ」の契約が、約束が、心の奥底に死んだ金魚のように転がっている。

 嫌な思い出なのに、今じゃその確信と妙な信頼だけが残っている。


 島崎さんは、浮ついた話とは全然違うところにいる。


 というか、浮いたことする人が学校で面倒なポジにいると思えない。


「……なんか用事があったんだろ」


 そう言って自分を納得させて布団から出た。

 それに圭吾の家から島崎さんが出てきたことをクラスメイトたちが知ったら、めたくそやっかいだ。

 モテている圭吾、浮いている島崎さん……うーん、ぜーんぶめんどくさい。

 私は何も見てない、見間違え、勘違い、はい脳内リセット完了。

 手早く着替えて、圭吾のお母さんが置いていったペットボトルを家から持ち出した。

 家から出る時に、ひょっとしてまだ近くに圭吾と島崎さんが居たらどうしようと思ったけれど、居なかった。

 やはり幻。そういうことにしようとペットボトルを自転車にどんどん詰め込んだ。

 6本もペットボトルを乗せるとなると、私の自転車では無理で、お母さんの電動自転車をこの時だけは使っても良い事になっている。

 お母さんの電動自転車は前も後ろも大きなカゴがついてて、すごい量の荷物が乗せられる。

 この前お母さんは前にも後ろにも12個入りのトイレットペーパーを乗せて走っていて、駅前で見かけて爆笑してしまった。カゴが大きすぎてちょっとかっこ悪いけど……と電源を入れて走り出すと、ペットボトルの重さを忘れる軽快な走りで少し楽しくなる。

 やっぱり良いなあ電動自転車~!



「こんにちは~!」


 私は挨拶をしてサッカーの練習グラウンドに入った。

 ここは私たちの家がある団地から自転車で20分くらいの所にあるスポーツ施設だ。

 陸上グラウンドに、野球とサッカー、それにバスケにゲートボール、屋内テニスコートも完備。近くには合宿用の施設もある所だ。公園も充実してて日陰もたっぷり、近くにミキコンという三喜屋のコンビニもあって、お菓子も買えるから、小学生に大人気の場所だ。

 正直圭吾のペットボトルを運ぶ仕事がなくても、私は週の半分ここにいる。

 サッカーグラウンドの横を抜けて、小さな屋根の下に向かう。

 そこには太陽のフライパンで表も裏もコンガリ焼いたみたいな押味(おしみ)コーチがボールに空気を入れていた。


「美穂ちゃん、おつかれー! お茶ありがとう」

「押味コーチ、どうもこんにちは。これ今日のお茶です」

「じゃあこの洗濯だけお願い出来るかな?」

「はい、わかりました」


 私はイケアの袋にみっちり入っているサッカーをする時に上に羽織るビブスの山を持った。

 このサッカーチームはFCカレッソというチームで、このスポーツ施設で一番大きな場所を使っている。

 地元で一番強くて大きなチームで、ここら辺りでサッカーをしようとしたら、みんなFCカレッソに入る。

 年齢層がすごくて、一番下は幼稚園、その次は小学校……と色んな学年の子たちが所属している。

 基本的に早い時間が子どもで、遅くなるほど対象年齢が上がる。

 それで当番の人は、前の時間の人たちのビブスを洗濯すると決まっているのだ。

 圭吾のお母さんは「助け合いの精神を鍛えるため?」と言っていた。

 学生だけで遠征する機会も多く、すぐ横にある宿泊施設で年に何度も合宿もしている。

 両親の協力が欠かせないチームで、事実私も他の選手のママたちと結構仲良しだ。

 私は圭吾に付き合って幼稚園の頃からここに出入りしていて、出入りが長すぎて基本的なボールの扱いは出来るくらいになってしまった。単純にここら辺りで何か習い事するとなると、サッカーしかないのもある。

 ビブスを自転車に乗せて、まだ残っていたペットボトルを持って先にグラウンドに……と思ったら、ひょいと軽くなった。

 振り向くと、そこに圭吾がいた。


「うっす美穂」

「うす」


 いつも通りに答えながら、心臓がドキドキしていた。

 さっき圭吾は、島崎さんとふたりで家から出てきたのだ。

 知ってはいけないことを知っている感覚に、緊張する。

 でも見てないことに私は決めたのだ。いつも通りの顔を作ってるのに、圭吾はじ~~~っと私の顔を見てくる。

 珍しいものを見るみたいに、間違いなくまっすぐにじーーーっと。

 圭吾がこんな風に私のことを見るのは、ものすごく珍しいっていうか、たぶんはじめてだ。

 なんなの? さっき見ちゃったことがバレてる気がして、少しだけ目を逸らす。

 聞いてしまったほうがいいのかな……?


「……今日、さぁ……」

「うん?」


 聞いてしまったら……と思う。なんで家から島崎さんが出てきたの? なんの話したの?

 でも単純に一緒にいたことを知っていると思われたくなくて、クッと質問を飲み込んだ。

 そこに金魚が浮いて沈む。

 私は顔を上げて圭吾を見て、


「圭吾のお母さん今日も遅くなるから、うちで晩ご飯食べろって」


 圭吾は真顔で私のほうを見ていたけれど、ぱあっと表情を明るくて、


「美穂の家って飯が全部うめーから好き」

「お母さん喜ばせてどーするのよ。そういうこと言うと山ほど作って面倒だから」

「あとサッカーが見られて最高」

「どうして圭吾の家で見られなくてウチで見られるのか……」

「親父さんが海外サッカー好きだからだろ? うち誰もサッカー見ないし! ピザポテトもな!」


 そう言って圭吾はペットボトルを持って走り出した。 

 でも、圭吾がいつも通りで良かった……と心の奥底で安心しているのが分かった。

 私はスマホを取り出して、お母さんに『圭吾がご飯期待してるって。あとピザポテトも』それはすぐに既読になって『お肉もりもり焼こう!』と返信が来た。

 私のお母さんは小学校の給食を考えたり、作ったりする人をしている。

 独身のころはスポーツする人のためのご飯を考える仕事もしてたみたいで、圭吾にご飯作るのが楽しくて仕方が無いようだ。それにうちのお父さんは海外サッカーが好きで、よく分からないサッカーのために朝の四時に起きて見たりしている。つまり我が家は圭吾のサッカーを全力で応援するサポートハウスみたいなもので、私もその一員だ。

 私自身、そんなに熱くしたいこともないし、まあいっかとビブスを自転車のカゴに積んでコインランドリーに来て洗濯をはじめた。

 ビブスを突っ込んで渡されたカードで決済して椅子に座ると、奥の机で勉強をしている子が目に入った。

 大きなヘッドフォンをして鼻歌を歌っている。その声が透き通っていて高くて綺麗で、ゴウンゴウンと音が響くコインランドリーで明らかに異質だった。

 コインランドリーで使う大きな袋を近くに置いてないし、ここで勉強してるのかな……と思う。

 ここは涼しくて机があるから、練習の隙間とかに勉強してる人がたまにいる。

 たぶん男の子……ベージュの髪の毛はショートカットに切られて、身体はものすごく細くてひょろりとしている。

 同じ年代くらいに見えるのに見たことないから、遠くの中学校の子かな?

 私の視線に気がついたのか、男の子は自分の右手で鼻にスッと触れて手をツイと下ろして、


「FCカレッソの?」

「! あ、はい、すいません、じろじろ見て。FCカレッソの人です」

「俺もFCカレッソに用事があって来たんだ」

「あ、そうなんですか」


 FCカレッソはここら辺りで最も大きなチームなので、色んな所から人がくる。新しく入るのかな……?

 新しい人が入ると圭吾はすごく喜ぶ。ワンコのように新人の周りを走り回るから見てて面白い。

 でも待って……? 俺って言った……けど、この人ものすごく声が高くて……喉仏がない。

 あれ? と思って手を見たら細くて綺麗だった。女の人だ! あれ? FCカレッソは女子サッカーやってないけど。

 手からそのまま腕を見ると、腕に金魚のアザが見えた。


「!! 金魚……!」

「ああ、珍しいだろ?」

「違う、あの、昔なんですけど、縁日で金魚の取り方を教えてもらったんです。その人にも金魚のアザがありました」


 そのアザを見て記憶が蘇った。

 顔なんて覚えてなかったけど、圭吾と金魚を捕った時に教えてくれた人には、腕に金魚みたいなアザがあった。

 そしてその人のことを、圭吾と「金魚の神さま」だと言っていたことも。

 同時に思い出した。あの夜も鼻歌を歌いながら金魚を捕まえていた。

 その子は前髪を耳にかけながら、


「俺、金魚のアザがあるって言われてから練習して、捕るの得意になったんだ。だから昔そんなことしてたかも知れない。へえ、その金魚、まだ生きてる?」


 その言葉を聞いて、私の心臓はどくりと跳ねた。

 脳裏に浮かんだのは浮かんでいた金魚の死体とトイレに流れていく景色。

 私が何も言えずにいるとその子は、


「まあ死んでるか。縁日の金魚は短命で、そこが良いところだから。じゃあ待ち合わせしてるから」


 そう言ってその子は胸の前に指をピースにして下ろして出ていった。

 もう昔のこと、気にしないと思っても、死んだ金魚が真横を泳いでいくようで、イヤになる。


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