第7話 弁当から女性の匂いがする……妙だな

 俺が白百合さんに『あーん』をしようとしていたところをルリ姉に目撃されてフリーズしていた時、彼女も俺と同様にフリーズしていた。


 そして、そのまま数秒間の沈黙が流れた頃、目を瞑ったままの白百合さんが声をかけて来た。



「あ、あの……もしかして晴様は、口の中を見るのがお好きなのですか……? このまま待ち続けているのは、その、恥ずかしいのですが……」



 そんなことを俺に伝えてくる白百合さんは、ルリ姉の呟き声が小さかったせいか彼女の声が聞こえなかったようで、俺とルリ姉が固まって見つめ合っている間も、ずっと目をつぶったまま『あーん』をし続けていた。


 そんな中、ルリ姉はこちらに近づいてきて、俺の耳元で囁いてくる。



「ハルくん、どうして学校に白百合さんがいるの?」


「今日、転校してきたんだよ」


「あら、すごい偶然……」


「……ね、不思議な事もあるもんだ」



 ……多分、白百合さんの様子を見るに、転校してきたのは俺を追いかけての事なのだろう。


 だけど、それを自分から言い出すのは流石にやりづらいのでなんとなく誤魔化して、ルリ姉と呑気なやりとりを交わしていた頃、今なお目を瞑ったままの白百合さんは不安げな声色でこちらに語りかけてきた。



「あ、あの……晴様? 本当にいらっしゃるんですよね? わたくし、そろそろお声を聞きたいです……」



 そして、それを聞いたルリ姉が俺に話しかけてくる。



「えっと、早くやってあげた方がいいんじゃない? 待たせたら可哀想だよ……?」


「わ、分かった……」



 そう言われて俺は、なぜか小声で喋りかけてくるルリ姉に見つめられながら、白百合さんの口に卵焼きを入れた。


 すると彼女は、目を瞑ったままゆっくりと噛み締めて、それを飲み込んだ後で俺に話しかけてきた。



「……美味しいですね。しかし、このお弁当からは晴様の匂いに加えて、女性の匂いもするのが気になります……これを作ったのはご家族の方ですか?」


「ルリ姉だよ。朝食の準備は俺がしてるから、昼の弁当は毎回作ってもらってるんだ」


「なるほど……これが晴様の家庭の味なのですね。将来のために今から練習しておきますね」



 ……今、一瞬スルーしかけたけど、弁当から『女性の匂いがする』って言ったよな。なにそれ……?


 なんて俺が考えていた頃、白百合さんはようやく目を開けた。


 そうして彼女は、いよいよルリ姉の存在に気づくことになる。



「……!? あ、貴女は……!?」


「こんにちは、白百合さん。わたし、七傘瑠璃です」


「いえ、それは存じ上げておりますが……ええと、七傘さんはどうしてこちらに?」


「お昼の時間はいつもここで晴くんとご飯を食べてるの。今朝はお話しできなかったし、白百合さんとお話できて嬉しいわ」



 そんな事を言うルリ姉を前にして白百合さんは、こちらに視線を向けた後に語りかけてきた。



「晴様……二人きりではなかったのですか?」


「ごめん、なんか色々あって説明するの忘れてた」


「……いえ、確かに残念ではありますが、晴様のご家族と親睦を深める機会を作らなければと考えていたところです。ですから謝らないでください。晴様はただ、自分を肯定し続けてくだされば良いのですから」


「全肯定してくるなぁ……」



 ここまで肯定されるのは多分、彼女から見た俺が婚約者という立場だからなんだろう。


 でも、詳しい事情を知らない俺からすれば、ここまで肯定されるのは若干怖くもある。



(……まあ、そもそも婚約者って存在自体に馴染みがないから、何が普通なのかなんて分かんないけど。世界は未知でいっぱいだな)



 なんて俺が思っていた頃、俺の対面に座って弁当箱をひらいていたルリ姉は、白百合さんに語りかける。



「白百合さんはこの学校に転校してきたのね。何か困った事があればなんでも言ってね?」


「は、はいっ。こ、これからも末長く、お世話になりますわ」


「ふふ、緊張しなくていいのよ?」


「そう言っていただけると嬉しいです……しかし、晴様との育みをご家族に見られてしまうとは……少々照れ臭いですね」


「そうかしら……? わたしもした事があるから、気にする必要はないとおもうのだけど……」



 そんな事を言った後、ルリ姉はハッとした表情になった後、明るい笑顔で白百合さんに問いかけた。



「そうだ! なら、わたしが白百合さんに『あーん』をすればいいんじゃないかしら?」


「えっと……? あの、申し訳ありませんが、何故そうなるのかを説明していただけませんか?」


「晴くんに『あーん』をしてもらっていたところを見られたのが恥ずかしかったのでしょう? なら、わたしにもされたらそれが普通の事になるから、もう恥ずかしくなくなると思うの」


「ええと……本当にそうでしょうか?」



 そんな風に、ルリ姉の発言に戸惑う白百合さんを見て、俺は思った。



(ああ……でたな、ルリ姉の特技『思考飛躍』……これ、最初にくらうと戸惑うんだよな)



 彼女は子供の頃からかなり天然だから俺は既に慣れてるけど、初対面の白百合さんがびっくりするのは当然だ。


 これは、俺がフォローを入れる必要があるだろう。



「白百合さん、申し訳ないんだけど、付き合ってあげてくれる?」


「お、お付き合いですかっ……!? わたくしからすればそれは前提なのですけど……しかし、こうして改めて言っていただくのも、なかなか良いものですね……」


「いや、そうじゃなくて、ルリ姉の提案を受け入れてほしいって意味。こうなったルリ姉は理屈じゃ止まらないから」



 こういう場合にルリ姉がする提案は大体ぶっ飛んでるから理解するのが大変だし、なにより100%善意で言ってるから非常に断りにくい。


 だから、受け入れてしまうのが最も手っ取り早いのだ。



「晴様がそうおっしゃるのであれば……では、失礼します……?」


「はぁい。白百合さん『あーん』」



 そうして彼女は、白百合さんの口にミニトマトを運ぶ。



(……なぜルリ姉はこの状況で、あえて箸で掴みにくいミニトマトを選んだのだろうか。滑って落とすのが怖くないのか……?)



 なんて俺が思っていたら、ミニトマトを食べ終えた白百合さんがルリ姉に声をかけた。



「……美味しいですわ。えっと、ありがとうございました……?」


「よかったぁ、いっぱい食べてね。それじゃあ次は……」


「い、いえっ、わたくしのお弁当もありますから大丈夫です!」


「そう? 遠慮しなくてもいいのよ?」



 ……どうやら白百合さんは、ルリ姉の距離感に戸惑っているらしい。


 ならば、俺からしてもそろそろ本題に入りたいし、そろそろ白百合さんの救済に入ろう。



「……えっと、話してるところ悪いんだけど、ルリ姉がくる前にしてた『婚約者』の話について聞かせてもらってもいい?」


「それは勿論です……と言いたいところではありますが、改めて説明するとなると少々難しいものがありますね……なにせ、そのままの意味ですから」



 そうして俺は、婚約者という言葉を聞いて不思議そうな顔をしているルリ姉と共に、白百合さんと話を続ける。

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