花見と『あーん』

桜の木の下で‥‥並んで茣蓙に座って、お弁当を食べていた。さっきの時間がまるで悪い夢のよう‥‥いや、今この嬉しい時間こそが夢のようで。二人座っている距離こそまだあるものの、隠し事で仕切られるベールの色濃さは、だいぶと薄く透明になった気がする。

彼のせいではない。私の心の中の後ろめたさのせいなんだけどね。



春の風に吹かれて「もうこれが最後のサービスですからね」と言わんばかりに、私たちの目の前に桜の花びらがヒラヒラ舞い落ちる。その幻想的な風景は満開の桜だけが桜ではなくて、年がら年中色んな顔を持っていることを証明してくれているようだ。



バーベキューが始まっていた。

さっき阿須那が紹介してくれていた中村君と、その彼女さんと思わしき人、後、もう一人男子とがメインで肉やら野菜やらを焼いている。

(あの隣に並んでいる女の子がひょっとしたら前までは、阿須那の役割だったのかな‥‥)


お弁当やメインになる食事を持ってきていない子たちは、焼けるのが待ち遠しいばかりに行列を作って並びだす。午前中からがっつり焼肉。私も全然いける。朝からでも大丈夫だけど、今日はお弁当を作ってきているので、まずは江崎君とこれを食べて、お弁当箱を渡すのが一番先にしないといけないイベント。

――――しょっぱなから焼肉食べている場合じゃないわよ。肉の焼けるあのおいしそうなにおいが漂ってきたって、今日は誘惑に負けている場合じゃない。



江崎君の態度は何一つ変わらなかった。あんなに失礼な態度をとった阿須那にも、江崎君が男だということを言わずに、『女』と言って嘘をついて今日までずっと言えなかった私にも‥‥何も怒っていない様子だ。それどころか私が作ってきたお弁当に感動してくれて、


「ええ?マジで??こんなことしてくれたの?超嬉しいんだけど‥‥こんなこと女子にしてもらったことない」


と言ってくれた。お弁当なんて黙っていても一日五個、六個と入手して大量に在庫を抱えて廃棄損を計上しそうなのに。もらいものだから損はないけど、食品ロスの観点からはよろしくない状況かと思いきや、意外とそんなことはなかったよう。


「昆布巻きとかある!凄い!料理上手なんだね、角谷さん。食べてもいいのかな」

「ど、どうぞ‥‥お箸はこの蓋の中に‥‥」

「ああ、ここね。じゃあ、いただきます‥‥あ、おいしいわ」

「‥‥‥ホント?」

昆布巻きを食べていた。

「お世辞言わなくていいよ?」

「いやいや、ホントおいしい。こんなの食べられるって来て良かったよ」

感謝の気持ちで作ったお弁当、ついさっきまでは食べてもらえないだろうと悲嘆していたのに、こんなに喜んで食べてもらえて、嬉しい言葉をいただいた。

達成感と同時にさっきのキツかったことも相まってまた泣きそうになってしまった。

「そのお弁当箱、持って帰って使って」という言葉が、もはや何言っているか分からないレベルな発声と発音になってしまっていた。


お弁当作って持ってきてあげて、中身見て喜んでもらえて、食べてもらってまたおいしいと褒めてもらったぐらいで、『涙が出るほど嬉しくなった』って、私どんだけ重たいヤバイ女なんだろう――――それはそれでまた少し気になってしまう。

さっき私が『お弁当箱持って帰って』という言葉は聞こえなかったようだ。江崎君は本当においしそうにガツガツとお弁当を食べてくれている。

また後でもう一回言おう。


いったん、私は自分のお弁当を横に置き、自分の缶ビールと江崎君の分を出して、そっと彼の横にも置いた。それはさすがに分かったみたいで彼は口をモゴモゴさせながら会釈した。お茶は最初に渡していたが大人なんだし、ビールも欲しいよね。

私は再度高ぶり過ぎている気分を落ち着けるためにビールのプルタブを引き、いつも以上の量を煽った。実はこれで二本目だ。最初に江崎君にお茶を渡した後に気分を鎮めるために、ほぼ一気飲みに近いスピードで一缶空けていた。



ちなみに江崎君の方のお弁当にはノーマルのだし巻き卵が入っている。私の方には好き嫌いがあってはいけないからネギ入りだし巻き卵が入っている。

「江崎君て、ネギは食べれる?」

「ああ、好きだよ」

――――よーし、いっぱいカミングアウトされてしまったし、目に涙溜めて訴えて重たい女だなって思われているかもしれないから‥‥

やりたかったことがもうひとつあった。それをやることにした。

それは‥‥「あーん」だ。

「食べる?ネギ入りあるよ?」

「ああ、もらえるなら欲しい!」

何が『あーん』だ??と思う人もいるかもしれない。けど私にとって今まで男子に自分が作った手料理を振舞い、『あーん』して食べさせてあげるというシチュエーションはなかなか訪れなかった。警告灯の鳴る男にはそういう心境になれない。


私にとって大好きで大切な人への『あーん』は、どうやらクソみたいな男たちとの身体の関係よりもハードルが高いみたい。

我ながら歪んだ価値観だが、仕方がない。

その前に缶ビールをグイーッと飲み干すぐらいに煽って、気合を入れる。

そしてお箸で自分のお弁当箱に入っているネギ入りだし巻き卵を取り――――

「江崎君(ちょっと声が裏返る)、はい‥‥あーん」

「え?いいの?」

「い、いいのいいの‥‥あーん」

軽い調子で言ったものの私の神経は正直で、あまりにも大それたステップアップだったようで、箸で掴んで彼のもとへと伸ばしていく卵焼きがガタガタ震えだしていた。進路が定まらない‥‥それでも無理矢理「あーん」しようとする。


「あーん‥‥アイタ」

「!!」

あろうことか震えた手で運んだ箸先は口ではなく、その上、鼻の下らへんを突き刺してしまった。


江崎君みたいなイケメン王子様に、私はなんてことを??

「ご、ごめ‥‥ヒャ!!」

「おうっ?」

さらに慌てて落とした卵焼きを江崎君が素手でナイスキャッチ。そのまま自分で口に運んでくれて、ニコッと微笑んでくれた。

――――『あーん』はもうちょっと先にお預けね‥‥

「あ、ネギ入りの方が好きかも。卵の甘さとネギの辛みと出汁が丁度良い感じに混ざってる」

「ホント?」

「うん、結構ねぎが好きなんだ。うどんとかにもいっぱい入っているの好きでさ」

「ああ、分かる。私も好き。すき焼きしても、私は一番お肉、二番じゃがいも、三番おネギかな‥‥」

この「おネギ」と言っているところが酔ってきていてかつ、ちょっと可愛い子でありたい願望が入っている。家で母親には「ちょ、お母さん、ネギやってネギ。はよ、ネギ!」と言っている。


「へぇ、じゃがいも入れるんだあ」

「うん、うちは入れるよ。おいしいよ、すき焼きの割り下をたっぷり含んだじゃがいもは」

そう、意外と知らない。じゃがいもをすき焼きに入れるとおいしいのである。うちは昔からしているからそれが普通だったけど、他の子たちの家では「入れている」って聞いたことはない。じゃがいもの品種を選んで入れないとすぐに溶けるんだよね。


「ネギ入り卵焼きまだあるけど食べる?」

「角谷さんのおかず無くなっちゃうんじゃない?」

「私はもう結構こっちだから‥‥」

そう言って缶ビールを手に持って見せる。

「じゃあ、おいしかったからもう一個いただきます」

「はい、どうぞ」

さすがに恐れ多すぎて、次もし鼻の穴にでも突き刺そうものなら、私はヒロイン失格の上市中引き回しの上、打首獄門になりそうだったからソッと茣蓙の上を滑らせて私のおかずを差し出した。


「クスッ」と笑った江崎君は『いただきます』ともう一度言ってだし巻きを取って食べてくれた。

嬉しくもあり、まだまだ遠いなあと思う気持ちもあり、自分という者が一番ややこしいものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る