隣のお弁当男子

「それはなんで?」

「なんでって‥‥いそ、いそ、いそいそ忙しい人やねん」

「へぇ‥‥仕事でもしてはるん?」

「う、うん、なんかその‥‥経理のお手伝い」

動揺が隠し切れずに一気に言葉を噛みだす。

ご飯は噛まずに言葉を噛む‥‥だから次の口に運んだご飯を今度は変に飲み込んでしまい

「うぐっ‥‥」

目を白黒させてしまう。

「亜香里、大丈夫?」

と、お母さん。

「お姉ちゃん、何かだいぶ大変やねえ‥‥」

そばにあったお茶をぐいーっと飲む。そしてそのお茶のような飲料はお茶ではなかった。

「あーっ」

そんなことはつゆ知らず、横でお父さんが声をあげているのに、ガッツリ飲んだ。

最近のお茶は炭酸も入っていて苦味とコクがあるのかあ?ティーソーダという代物もあるぐらいだしなあ‥‥いや、そんなわけない。これはアルコール類だ。

「亜香里のお茶は左手のところやんか。これ俺のビール」

お茶と間違えてビールを飲んでしまった。幸い私は成人していて、お酒も飲めるからちょっとびっくりしたのと、

「お姉ちゃんテンパリすぎ」

と小馬鹿にされて呆れられたぐらい‥‥クソ。

「私も一本もらうわ」

「ええー?」

お母さんが呆気にとられる。

お母さんはちょっと古風なところがあるから、私みたいなのがたとえ晩御飯時でも、缶ビールを煽っているのを見ると顔をすぐに顰める。


ちょっと落ち着かせてくれ。。。


冷蔵庫から出してきて、席に戻る前にプルタブを引き、ガスが発散させる音を部屋中に響かせ、飲みながら席に戻る。

「はあー」

「またこれ大物やなあ」

溜息はお母さん、呆れているというかおもしろがっているのはお父さん。

阿須那もクスクス笑っている。


ビールの爽快なのど越しが、色々つっかえていたものを洗い流して食道を通り抜ける。心のつっかえも取って行ってくれるような気分になる‥‥一時的だが。



「お姉ちゃん、こないだも脱衣場で訊いたけど、女の人やんなあ?」

「うん、そう」

「まあ、友達はね‥‥作るなとは言わないわ。けどねえ、前の時みたいなこともあるから、付き合う相手は考えてね」



吉川と知り合ったのは、竹村を介してということは家族全員が知っている。つまり悪い女友達が連れてきた悪すぎる男だったということが皆の脳裏にある。


しかし、これが男だ、となったらまたもうひとつ大変。今まで予備校時代に全然成績が伸びなかったのは勉強しなくてはいけなかったのに、男と遊ぶことに逃げていたからというのもついでにバレてしまっている。今即座に家族会議が開かれ、私は裁かれてしまうかもしれない。


私も多額の前受収益を親からもらっている割には結果を納入していない。それどころか男遊びに逃げていたということがバレている。よって今日(こんにち)私は信用がない。

――――だから江崎君を「女」ということにして、この場を逃げ切ろうの作戦。

「うん、分かったよ。今度は良い子やと思ってるねん」

誰とも目を合わせずただ、ビールの飲み口だけを見て、再び煽る。


「あ、でもそれはそう思う。お姉ちゃんがこんだけ勉強しだしたのは多分その人のおかげなんだ。絶対お姉ちゃんは分からなくなったら逃げ出す人だったから‥‥」

心がチクリと痛む。でも否定はまったくできない。けど阿須那のフォローは強く、私が裏切り続けた二人の顔から不穏な空気を取り除き、また穏やかな夕食のひと時の表情に変えてくれた。

「良い友達ができたらいいなあ‥‥良い友達は人生を変えてくれるぐらいだから」

そう言ってお父さんも冷蔵庫にビールのおかわりを取りに行った。お母さんは「もう‥‥」と小言を洩らしたが、少し笑顔になったようにも見えた。



『ますます逢いたいわ。お姉ちゃんをそこまでやる気にさせた素敵な人。呼んできてな』


一限目がある阿須那と同じ時間の登校途中、リクエストをされてしまった。

色々言い訳をしてみるがどうやら阿須那には通用しない。


そりゃそうだ。捕らわれの身でも奴隷でもないのだから、この日この時間帯に来てなと言えば、来れない人なんていない。後はそこに行かなければいけない事情と自分の用事との比較天秤、そして人と人の関係性だけの問題だ。


嘘に関しては‥‥江崎君が実は女じゃなくて男の人だっていう嘘は、お父さんお母さんは花見の場には居ないから、カミングアウトしても何とかなりそうではある。

けど‥‥どうやって言うの?

『お花見行きませんか?』

が言えないのである。



だってそれじゃあ、『私と二人きりでお花見行くんじゃないかなあ』ってめちゃ警戒されてしまうやん。



言い方をどうするのか‥‥そこが問題だ。


いや待て、そもそも誘うべきなのか?

阿須那には『やっぱり無理だったわ、予定が入っていたみたい』で通せばそれでいい。別に絶対に連れて行かなければいけないことなどない。




ただ、江崎君から組紐のキーホルダーやら、珈琲やら、ケーキまで‥‥知識に至ってはどれだけたくさんか分からないほどに頂いてしまっている。良い男というのは傍にいるだけで女があらゆる面でどんどん豊かになれるんだなって思う。



逆にダメな男や、人生において先の見えない男、遊ぶだけの男といると、どうも失っていく感が半端ない。時間、メンタル、身体。別に身体はもう初めてなどは当の昔に済ませているのでどうってことはないし、入浴すればきれいさっぱり生まれたままの姿になれる、とはいえ、言葉では言い表せない何かがやっぱり失われて行っている気がする。



つまり私は今、こういうことを思っている。お返しがしたい。

そのお返しは割とすんなり出てきた。


専門学校生はまだ、あまり教室で食べる人はおらず、今のところぼっちで食べている女子が私とあと二人だけだった。それぞれの席で黙々と食べていた。

そんな色も味気もないお昼のひと時に‥‥



江崎君がお弁当を作って持ってきだした!



即席でお弁当箱を用意したのか、タッパーなのである。


お弁当をタッパーで持ってきて食べることは全然悪くない。きっと合理的なところがあってそうしているのかなと推測する。洗い物も減っていい。

けど、せっかく王子様なんだから『お弁当箱』で食べてほしい。別に執事が横に居なくてもメイドが居なくてもいいから。


で、私がお父さんからもらったお小遣いを浮かして、お弁当箱を買おうという魂胆。ついでに、花見当日のお弁当は、その買ったお弁当箱に私が手料理を詰めて持ってきてあげようじゃないか‥‥これぞ気遣いのメンタルと胃袋を両方おとす作戦!!

‥‥と言いたいところだが、未だに誘えない。今は勉強時間中じゃなくお昼休みで、世間話をさっきからしているのに。。。



当たり前だが自分の席で食べるイコール私の横で食べるようになる。わざわざ私のところに来る必要なんてない。

なんてナチュラルハッピーな現象なんだろう。


お弁当だから食べる相手が誰かほかに居ないなら自分の席で食べるのが普通。一人なのに違う席に行って食べなきゃいけないほど私は嫌われてはいないのさ。

また少女漫画の主人公の相方・王子様が私と日常の一コマを過ごすようになってしまった。


いやしかし、これは喜ばしいことばかりなのだろうか?


実際かなりプレッシャーでもある。私は好きな食べ物だと早食いになってしまう傾向がある。


『うわー角谷さん、食べ方汚い』とか『角谷さんがっつきすぎ』など‥‥

こぼそうものなら『角谷さん食べ方のマナーが悪い』なんて言われないかとても心配。

黒豆は時々滑るのよ。


まだ他にもある。箸の持ち方‥‥私はそこまで悪くはないと思うけど、これで完璧に合っているかどうかは怪しいもの。だから最近やたらネットや動画で正しい箸の持ち方を見ているのだ。



横で食べられると、自分の箸の持ち方から口の開き方、食べるスピードまで「気にされないか」「チェックされないだろうか」と心配しているのに、同時にこのようなことも想像してしまう。



ずっと毎日ではないだろう。それにお弁当を持って季節の良い時だからどっか外で‥‥公園で食べることもあるかもしれない。いいなあ‥‥私もそれちょっとしようかと思っていたし、できれば二人でお弁当持って~とか、なんなら私が作ってきて~『江崎君、はい、あーん』みたいな。

ウハハハハ!ちょっとヤバいってホンマに私?!乙女かよって??ウハハハハハ!



逆に今度は江崎君が一人で食べに出かけたとする。

『ふーん、外食かあ。外食‥‥そりゃあ毎日は作れないもんね。私が作ってきてあげようか?うん?外食?たまには外食もいいもんね。いいよいいよ、行っておいで。私もお金に余裕があるときはそうしようと思っているの。うん。で?本当に一人?』

これがお弁当持ちなのに、江崎君一人で出ていくとなったらもう一つややこしい思考パターンになる。


『今日はお弁当なのに外へ行くの?一人?どこに行くの?誰と行くの?何で私は誘わないのかなー?寂しいなー悲しいなーピエーンて泣いちゃおうかなー』



別に付き合っているわけでもないのに。。。

完全に頭がおかしくなっている。

こんなこと考えるのって、何時、誰の時ぶり?



周辺環境も気になる。自分が不釣り合いなのは分かっている。私が妙に江崎君を引き留めて何もかも一緒にしようとさせているんじゃないだろうかという疑念を持たれないかと心配だ。実際かなりマークされている感がある。


あの和井田という女子。

今日、名前が分かった。和井田さん。こないだオフショルダーのなかなか攻めた春コーデをしていた子だ。


『狙っている』と最初のオリエンテーションの時に言っていた。聞き逃しはしない。

授業中に視線もガンガン送ってくる。苗字が「わ」だから一番最後なのでエレベーター側、ちょうど私たちと反対に位置する壁側の少し後ろ方向の席。

――――その席からいつもガンくれているわ。


何となく、私が高校卒業した時ぐらいの、まだまだギラギラした攻撃性を和井田さんは持っている気がする。同時に世間知らずというか、夢見心地というか‥‥

で、どんな形にせよ、変な噂が立って江崎君を不愉快な気分にしてしまわないかが心配。



で、結局一緒にお弁当食べれて嬉しくないのかよ?と言えばとても嬉しいとなるし、

嬉しいんだな?と確認されたら、『いや、何かと大変なんだって』と憂う。

――――どうなんだっつうの??



自分で自分が一番分からない。

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