第三章 5

森を抜けて草原になった頃、十日が経った。旅程は何事もなく順調に進んだ。

 馬車は王女のものとは思えないほどみすぼらしくなってしまったため、途中の街で修繕しなくてはならなかったが、それを済ませればなんとかなるように思われた。護衛の数が少ないのが気になったが、アイシャの襲撃はもうなくなるわけだし、気に病む必要はないだろう。

 ところが馬車を直して意気揚々と出発しようとしたその日、一行はまた襲撃を受けた。 今度は黒づくめの集団に、二重三重に囲まれての襲来であった。

「ライアス、出て来てくれ」

 グラドは馬に乗ったまま馬車のなかのライアスに声をかけた。ライアスも、差し迫るただならぬ殺気に異常を感じ、剣に手をかけているところであった。彼女は静かに馬車から出てきた。

「貴様ら何者だ」

 黒装束の男たちの一人がくぐもった声で言った。

「言う必要はない。何故ならお前たちはここで死ぬのだからな」

 いっせいに剣を引き抜く音がした、と思った瞬間、斬り合いが始まっていた。

「王女、絶対に出てこないように。外も見ないように」

 これから始まるのは血みどろの地獄だ――ライアスは覚悟した。

 この男たちはこの前襲撃してきた男たちよりも手練れだ。殺気の度合いが違う。

 グラドも、それを察知している。顔つきが変わっている。

「まずいな……何人いる?」

「ざっと数えて五十人てとこかな」

「こっちはたかだか十人程度だぞ。勝てるかな」

「どうだろうね」

「嘘でもいいから勝てるって言ってくれよ」

「わからないものはわからない」

「ちぇっ」

 二人がぶつぶつ言っている間に間合いは詰められ、黒装束の男たちはあっという間に襲い掛かってきた。

 長い長い時間が、ライアスとグラドの間を駆け巡っていた。右に左に、縦横無尽に剣を振り回しながら、二人は必死に戦った。さすがの≪不運のネヴリアス≫も、馬車を守りながら手練れの男五十人を相手に戦うのでは分が悪かった。

 肘が切れ、鎧に傷がつき、喉が嗄れて叫び通しになりながら、やがて草原が血の海になった頃、気がついた時には戦いが終わり、腕の片方がなくなった男が生け捕りにされた。

「殺すな。尋問する」

 血まみれになったライアスが味方にそう告げた。彼女は馬車の方をちらりと見て、

「見られないようにしておきなよ」

 とグラドに言い含め、男を振り返った。

「名前は? 誰の命令でやった。アイシャという女に頼まれたのではないな」

「……」

 男はにやにやと笑っていて、こちらの質問には応じようとしない。ライアスのうす青い瞳が、氷のような気配を帯びた。彼女は腕を組んだ。

「ふーん」

 男はそれを見て、尚もにやにや笑っている。

「ちょっと」

 ライアスはグラドを手招きした。

「あんた、髭はえてるね」

「なん、なんだと?」

「お髭、はえてるね」

「だったらなんだ」

「手入れするための剃刀、持ってる?」

「あるとも」

「持ってきてくれる?」

「なんに使うんだ」

「いいからいいから」

 ライアスに急かされて、グラドは仕方なく自分の荷物から剃刀を持ってきた。男は、にやにや笑いをやめてそれを見守っている。

「これでいいのか?」

「ああ、ありがと」

 ライアスは剃刀を受け取ると、男に歩み寄った。

「さーてと」

 そして縛られた男の目の前に屈みこむと、

「もう一度聞くよ。あんたの名前は? 誰に頼まれてこんなことをやった? 主人の名前は?」

 男は、頑なに口を閉じている。

「言わないの? あっそう」

 ライアスは剃刀を手にして、

「じゃあこの耳に聞くとするか」

 と、男の耳を削ぎ始めた。たまらず、男は悶絶の叫びを上げた。

「遠くレズルの民族は集団で婦女子を襲った男を罰するために耳を削ぎ落したんだってねえ。だからあんたもレズルとおんなじ罰を与えてあげよう。だって誰に頼まれたか、言わないし」

 ちょきちょきちょき、と鼻歌を歌いながら、ライアスは手を血まみれにして耳を削いでいく。その凄絶な場面を、グラドの部下たちは戦慄しながら微動だにせずに見守っていた。 恐怖で動けないのだ。

「さてと。無事に耳が切れたよ。この耳に聞いてみようか」

 ライアスは切り落とした耳を片手に、その耳に向かって大声で怒鳴った。

「主人は誰だ。誰に頼まれてやった」

 男は痛みに悶えて、口もきけないでいる。

「まだ答えられない? じゃあ次は鼻だな」

 と、血で真っ赤な手で剃刀を持ち、自分の鼻を手にかけるライアスに、男が悲鳴を上げた。

「わ、わかった。言う。言う」

「素直でよろしい」

 ライアスは耳を後ろに放った。

「なんて女だ」

 グラドが呆れて呟く。

「お、俺の名前はミルンだ。ラガーディア公爵に仕えている」

 ぴくり、ライアスの眉が吊り上がった。

「ラガーディア公爵?」

「ラガーディア公爵は数年前の謀反に失敗してその失敗を取り返そうと今度は自分の娘をリヤウに嫁がせて自分が国父になろうとしているんだ。自分の娘が王妃になれば、将来は孫が国王だ。そうやっていち王国を裏から操ろうとしているんだ」

「それでタップ王国の王女との結婚を妨害しようとしたのか」

「そ、そうだ。公爵には大層魅力的な娘がいる。公爵はその娘と王子を見合わせて、うまくくっつけようとしているんだ。なにしろ、リヤウの王子はひどく惚れっぽい。あんな美人を見たら、たちまちぞっこんになるって見込んでのことだ」

「なるほどな」

「気になることを言ったな。数年前の謀反とはなんのことだ」

「ある王国を乗っ取ろうとして、それが別の王国の王弟に露見して、秘かに毒殺したとのことだ」

「なんだと」

 ライアスが身を乗り出した。

「その話――もっと詳しく」

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