第三章 4

タップ王国を出て三日、森が深くなってきた。

「まあ、どこまで行っても樹ばっかりですのね」

「飽きてきますわね」

 王女と侍女はそればかりを話している。ライアス、馬車から降りて馬に乗りたくなってきた。四肢を伸ばして、騎乗したい。

 全身が痛い。女というものは、なぜこんな乗り物に乗っていて平気な面をしているのだ。 化け物め。

「ライアス様? お顔の色がよろしくありませんわよ。ご気分でも悪いのですか」

「いえ……なんでもありません」

「少し休憩しましょう」

 そりゃいい、手を叩きたくなった。

 侍女が窓を開けて、護衛の者に声をかけた。馬が止まった。

 ライアスは扉を開けて、そこから飛び出すようにして抜け出した。そして全身で思い切り伸びをして、外の空気を吸った。

「ふう。つかれた」

「どうだいなかの様子は」

 グラドが近寄ってきた。

「窮屈だよ」

 彼は大笑した。

「座ってられて楽だろ」

「同じ座るなら馬の方が何倍もいいね」

「そんなもんかね」

 ライアスの目が、一瞬遠いものになった。

「シャルル様の馬車も、そうだった。絹張りで柔らかいように造ってあったけど、苦手だった。私が窮屈そうにしてると、くすくす笑ってらしたよ」

「そうか……」

 グラドはライアスの横に座って、その横顔をそっと見た。

 サワ……と風が吹いて、二人の髪を揺らめかした。

「……好きだったのかい」

 グラドがぽつりと聞いた。長い沈黙のあと、ライアスはこたえた。

「そんなんじゃないよ」

 そして顔を上げて、こう言った。

「ただ、唯一の理解者だった。それだけ」

 サラ、また風が吹いた。

「そっか……」

 グラドは呟いた。ライアスは立ち上がって、馬車のなかに戻っていった。

「俺もそんな風になれるといいんだがな」

 彼は肘をついて、そんなことを言った。

「大佐、そろそろ」

「ああ」

 彼は部下にそうこたえると、自分も立ち上がった。



 五日目、襲撃に遭った。

 まず、矢が射かけられた。馬が怯えて、異常が知らされた。

「なんだ!?」

 グラドが抜刀し、部下たちがいっせいに剣を引き抜いた。

「なんです?」

「静かに」

 ライアスは馬車のなかで王女と侍女を手で制し、窓の外を見た。そしてすでに警戒態勢に入っている護衛達を見て、自分も剣を引き寄せた。後ろにいる馬車はどうなっている? ガタン、と馬車が大きく揺れた。

「きゃっ」

「掴まってて」

 ライアスは扉を蹴って、表に出た。護衛の馬が棹立ちになって、暴れている。火のついた矢があちこちに射かけられている。ライアスは抜刀した。

「グラド」

「ここだ」

「後衛はどうなっている」

「戦いの真っ最中だ。後ろの馬車も襲撃されて、大混乱だぜ。樹に隠れていやがったな」「敵は大勢だ。矢を防がないことには、どうにもならない。森を駆け抜けないと、逃げきれない」

「じゃあ、全速力だな」

「御者は生きてるか」

「ああ」

「じゃあそう伝えろ」

「わかった」

「私は馬で追いつく」

「よし」

 ライアスは側で暴れていた馬を拾うと、それに飛び乗って走り出した馬車について行った。味方の馬と、敵と思しき馬が全速でついてくるのが視界の隅に見えた。彼らは馬上から馬車に矢を射かけてきた。

「!」

 ライアスはそれらを次々に切り払った。馬身を寄せると、騎乗のまま敵と討ち合った。 馬車は車輪をがたつかせながら森を駆けた。味方がそれにかじりつくようにしてなんとか追いつき、敵はそれを追った。

 グラドが敵と斬り合っているのが見えた。刃が噛み合う音が何度も聞こえ、火花が飛び散った。

 気がつくと、森を抜けていた。

「王女様、ご無事ですか」

 馬車のなかは、大荒れに荒れていた。扉は半開きになって壊れ、椅子は所々欠け、窓は割れ、調度はボロボロである。

 王女はというと放心状態で、髪は乱れ、服は裂け、顔は泥がついて、とてもではないが人前に出せる状態ではない。

「まあまあ、どうしましょう」

 侍女がおろおろとして、後衛の馬車の到着を今か今かと待っている。後衛の馬車には身支度を整える一式が入っているため、それらが来るまではお手上げというわけだ。

「どこの誰がこんな真似を……」

「それはいいからとにかくなかへ」

 ライアスは王女と侍女をなかへ入れ、グラドと彼の部下たちの数を数えて後衛の到着を待った。

「敵に、生存者はいるか。言質を取りたい」

 ライアスはグラドに尋ねた。

「一人いる。落馬した」

「連れてきてくれ」

 血まみれの男が連れて来られた。

「お前、どこの誰に頼まれてやった? だいたいの見当はついてる。でも、お前の口から聞きたい」

「……」

「誰に頼まれた」

「……言わねえ」

「聞こえないなあ」

 ライアスは大きな声で言った。

「もっと大きな声で言わないと、聞こえない。もっかい聞くよ。誰に頼まれた」

 ライアスは持っていた短剣で男の掌をぐさりと刺した。うぐっ、男が呻く。

「どれくらいもつかなあ。今度は、小指いくよ。その次は、薬指。その次は、中指。そのうち自分で食事できなくなるかもね。じゃ、小指いくね。せーのっ」

 と、ライアスが手を大きく振り上げた瞬間、

「わ、わかった。言う。言う」

 男が低く言った。

「なーんだ。言えるじゃん。最初から言えばいいのに。で、誰にやられたの」

「ア、アコスタの、アイシャという女だ。王子の愛人だ」

 ライアスはグラドと顔を見合わせた。

「やっぱりね」

「予想通りだな」

「どうする?」

「どうするって……とりあえずこの男の指みんな切り落として」

「や、やめてくれえっ」

「きつい冗談やめろよ」

「それから馬車をなんとか直して行くしかないんじゃない」

「そうだな。今さらタップに戻るわけにはいかないしな」

「ちょっとお前」

「は、はい」

「指は切らないでやるから、その代わりそのアイシャって女のところに行って、二度とおかしな真似しないように言い含めるんだよ。できる?」

「え、ええええ……」

「なに、できないの。指いらないの」

「え、や、やりますやります」

「よーしじゃあ行ってよし」

 哀れな男を解放して、後衛の馬車が到着するのを待ち、減った護衛の数を確認してみれば、その人数はかなりのものである。

「やられちまったなあ。アイシャって女、何者だ?」

 グラドは失ったのは自分の部下でもあるから、手痛いものである。それに、後衛の馬車もいくつかついてきていない。王女の大切な嫁入り道具である。

「生まれが卑しいって聞いてるから、案外裏の連中とつるんでるのかもしれねえ。恐いこった」

「そんなのとできてる王子ってどうなんだろうねえ」

「とにかく、今夜は野営だ。テントを張ろう」

 そのための馬車は無事だ。王女に不自由な思いをさせないですむ。

 火を熾してテントを張り、食料を出して、簡易ベッドを出した。

 まだ十七のなにも知らない王女は、そこですやすやと眠っている。

「これで結婚するのが幸せなのかね」

 グラドがその寝顔を見てぽつりと言った。

「なにが幸せなのかなんて、本人にしかわかんないもんだよ」

 王女を振り返っていたグラドは、ライアスのその言葉で視線を彼女に戻した。

 焚火のむこうで、ライアスが火を見つめている。

「シャルル様も、幸せだったのかどうかはわからない」

「王弟が? よせやい」

 パチ、と火が爆ぜた。

 ライアスのうす青い瞳が炎を映し出している。火を見つめる、その沈黙だけが静まり返って、森の静寂を反射している。グラドは息をのんだ。

「ある時聞いたんだ。『シャルル様にとっての幸せは、なんですか』ってね。あのお方があまりにも満たされないように見えて、はかなげでせつなげでうつろげだったから」

「……それで?」

「そしたらシャルル様は言われたよ」

 そうだね。許されるなら、鳥になってみたいな。空を飛ぶ鳥のように、自由になってみたい。許されるならね。

「――」

「信じられる? お金もあって、権力も、才能も、なにもかも恵まれてるのに、ただひとつほしいものがそんなものだなんて。だからなんにもこたえられなくて、黙っちゃったよ」

「自由、か……」

「だから、引退して自由になった。せめて今度は、シャルル様のほしかった自由の身になろうと思って。誰にも仕えないで、シャルル様のほしかったものを手に入れようと思って。 おかげさまでお金は充分あったしね」

「宮仕えの身としては耳の痛い話だなあ」

「さ、昔話はもうおしまい。明日からはまた旅が続くよ」

 ライアスは立ち上がり、自分の簡易ベッドに向かって行ってしまった。

 グラドはおう、と応えて、それを見送った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る