第二章 1

「今日はあんたに頼み事があって来た」

 その日グラドはやってきて、いつものように香茶を注文して、ついでのように言ってのけた。

「頼み事?」

「再来月、国王陛下が晩餐会を開くんだ。あちこちの国から来賓を招いて、食事をするんだ」

「そりゃまた結構なことで」

「ところが、陛下には悩み事がある。うちの料理人は料理の腕はいいが、香茶を入れる腕はいまいち凡庸なんだ。そこで、俺に白羽の矢が立った」

「?」

「俺の部下が、どこからか俺の喫茶店通いを聞きつけてあんたのことを耳にしたのさ」

「なんのこと?」

「あんたに晩餐会で香茶を淹れてほしいんだ」

「えー」

「頼むよ。国の面子がかかってるんだ」

「香茶の一杯でどうにかなる面子なんて大したことないと思うけど」

「そんなこと言わずに」

「めんどくさい」

「頼まれてくれたら報謝が出る」

「やるよ」

 ひらりと掌を返されて、グラドは苦笑した。この女はどうやら、金で動くらしい。

 どのみち、毎日来るのだ。打ち合わせはいつでもできる。

「あちこちの国って、どこからお客さんが来るの?」

「アユル王国だろ、デヴェル自治都市だろ、アウル王国に、セス商人都市だ」

「へえ」

「それから、フィーリン王国にリイラ王国、レエン王国」

 そうそう、グラドは付け足した。

「忘れちゃいけないのがナスタ王国だ」

「――ナスタ?」

 ライアスのうす青い瞳が、きらりと光った。

「ああ。随分遠いとこだろ。偉いひとが来るんだとさ」

「ふうん……」

 ライアスは興味なさそうに目をそらした。

 ある日グラドはやってきて、

「国王陛下と会う日の段取りが決まったぞ」

 と告げた。

 それは萌黄の月の最初の週だという。

 さすがに普段着ではまずかろうと思い、持っているなかで一番上等の毛糸の服を着ていった。

 王城を共に歩いていると、グラドはさすがに緊張しているかな、と思ったものだったが、なかなかどうしてライアス、堂々としたものである。鈍いのか、それともなんとも思っていないのか、どうにもわかりにくい。

 そうして国王の執務室に着くと、ライアスは軽やかに一礼し、

「お初にお目にかかります、国王陛下」

 と言って、胸の前に手を置くタップ王国流の敬礼の仕方までしてのけて挨拶して見せ、グラドをいたく驚かせた。

 なんだ、こんな声、どこから出るんだ? いつもの不愛想なのは、どこいった?

「彼女かね、大佐」

「は、はい陛下」

「早速香茶を淹れてもらおう」

「かしこまりました」

 ライアスは少しも緊張した様子を見せずに茶器に湯を注ぐと、いつもの調子で香茶を淹れ始めた。そしてどうぞ、と国王に香茶を差し出し、国王がそれを飲む様を見守った。

「……」

 グラドは固唾を飲んでそれを見ていた。

「ほう……」

「い、いかがですか」

 国王の目元が、じわりとほぐれた。

「これは、いいね。宮廷のお抱えにしたいぐらいだよ」

 グラドはほっと息をついた。

「恐れ入ります」

 どこからか、ピアノの音色が聞こえてくる。

「この茶葉は、なにかな」

「今日は寒いので、ミエル産のものにしました」

「晩餐会の話は、聞いているね」

「はい。伺いました」

「君に食後の香茶を任せたいのだが、頼めるかな」

「承知いたしました」

 なんだなんだそのしおらしい様子は。どこの誰なんだ一体。

「君は、城下で喫茶店をやっているとか」

「はい陛下」

「なんという喫茶店かね」

 わっばか、言うな。言うなよ。

「はい、『薔薇のため息』です」

 国王はおかしそうに笑った。

「面白い名前の店だ。今度お忍びで行かせてもらおう」

「ぜひ」

 ふと、ピアノの曲調が変わった。

「おや、曲が変わったな」

「あれは、『三つの林檎のための葬送曲』ですね」

「おや、君は音楽をやるのかね」

「いえ、弾くのはさっぱりです。聞くだけで」

 その会話を聞いていて、グラドはひやひやしていた。

 おいおい、なんなんだこの会話は。俺はなにを聞いている。

「では、頼んだよ」

 執務室を辞して、グラドはほっと息をついた。

「寿命が縮んだぜ」

「あれ? 意外に肝が小さいね」

「あんた、なんなんだ」

「なんのこと?」

 臆する様子もなくすたすたと歩くライアスは、別段緊張したというわけでもなさそうである。

「私は茶葉の用意をしなくちゃいけないから、帰るよ。再来月だから、準備しないと」

 そう言ってライアスは帰っていった。

 その日から、ライアスは着々と晩餐会のための支度を進めていった。

「食後の菓子も一緒に用意してほしいとのことだ」

 と言われ、ぶつぶつ言っていたが、

「謝礼は欲しいまま」

 と言われ、掌を返したように仕込みをしていった。

「あんたが作る菓子はだめだぞ」

「えー」

「取り寄せろ。厳命だ」

「むー」

 そこで、隣国に行ってこれはと思うものを取り寄せたり、実際に味見をしたりして色々なものを試した。茶葉も、王侯貴族が口にするものだから滅多なものは出せない。それに、香茶は気温や水温によって微妙に味が変わるものだから、当日の気候に合わせて複数用意しなくはならなかった。

 そうして、五番目の月、青竹の月がやってきた。

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