第一章 1

                     1



 グラド・グロスターは今日も『薔薇のため息』にやってきていた。

 長身を屈め、白い扉を開くと、カランと音がする。

「らっしゃい」

 店主は相変わらず、いつもと同じ低い声である。

「香茶をくれ」

「パンケーキあるよ」

「香茶でいい」

「パルフェなんかどう?」

「いや、香茶をくれ」

「そうかい」

 一度料理を注文した客は、しばらく食べ物を勧められるようだということに気づいたのは最近のことである。しかし、それに応じる愚か者はいないだろう。身の安全のためだ。 店内にかぐわしい香りがたちこめ、これこれ、この香りのために来たようなもんだ、と鼻をひくひくとさせていると、突然扉が乱暴に開けられてガランとベルががなった。

「大佐、大変です」

「なんだ、俺は今休憩中だ」

 その時、店主が呑気に香茶を持ってきた。

「香茶お待ち」

「それどころではありません」

「まあ落ち着け。話なら香茶を飲みながらでも聞ける。座れ」

 グラドは部下を座らせて、話を聞いた。

「なに事件だと?」

 思わず声を上げたグラドを、部下が諫めた。

「しっ、声が大きいです」

 グラドは辺りを見回して、他に客がいないことを確かめた。

「事件?」

「大通りの銀行に賊が立て籠もって、人質をとっているんです。逃走経路の確保と、馬を準備しろとわめいています」

 グラドは渋面をつくった。

「そんなことはできん。厳密に対処しろ」

「しかし人質が」

「対策班がいるだろう」

「急なことで人数が揃わないんです」

 ひそひそ声でやりとりしていると、いつの間にか店主がやってきて尋ねた。

「ご注文は?」

 その完璧な気配の消しように、グラドと部下は飛び上がった。

「三日月ゼリー食べない?」

「え? えーと」

「待て。食うな」

「リゾットとか」

「それじゃあ」

「食うな。死ぬぞ」

 香茶を追加だ、グラドは店主に言うと、部下と向き合った。

「とにかく、緊急に人を集めろ。アレイとニコルをここに呼べ。リセ軍曹とホワイト曹長もだ」

「はっ」

「あれ? 行っちゃうの? 香茶は?」

「あとで戻って来る。その時に頼む」

「へーい」

 店主は頭をぽりぽりとかいて奥へ戻っていった。

 間もなく、グラドの呼んだ者たちが集まってきて、物々しい雰囲気となった。

「よそでやってくんない?」

「ここが大通りに近いんだ。頼むよ」

「香茶注文するから」

 テーブルの上に銀行内部の地図を出して、グラドは部下たちと話し合った。

「ここが正面だ。裏口は、こことここ」

「死角がここになります。ここから突入できます」

「潜入班の情報によると、人質はここに集められているとのことです」

「じゃあこっちから行けばいい」

「そうすると、ここから丸見えです」

「うーん、じゃあこっちから」

「そうするとここががら空きです」

「じゃあどうすればいいんだ」

 グラドと部下たちはどん詰まりになって、頭を抱えた。そして誰も案を出せなくて、しーんとなった。

 そこへ何杯目かの香茶のおかわりを持ってきた店主が、

「ここから入っていけばいいんじゃない」

 と図を指さして言った。

「ん?」

 グラドの口髭が、ぴくりと動いた。

「ここ、ここ」

 その白い指が、小さな一点を指さしている。

「なんだここ?」

「……よく見えないな」

「通風孔だよ」

「なに?」

「あの銀行行ったことあるから知ってるけどね、ここんとこ通風孔があるの。そこから入っていけばいいんじゃない」

「なるほど。身体の小さい数人が入っていって制圧すれば、あるいは……」

「香茶のおかわりは?」

「じゃんじゃん持ってきてくれ」

「はいよー」

 グラドは突入の作戦を明確に練り始めた。

「大佐、犯人たちが差し入れを要求しています」

「差し入れー?」

「食べ物です」

「そんなものは知らん」

「ですが、人質も腹は減ります」

「うーん困ったなあ」

 グラドは腕を組んだ。

 そして、店主と目が合った。

「……あんた、握り飯握れるか」

「できるよ」

「少々不安はあるが、握り飯なら大丈夫だろう。人数分の米を炊いてくれ。費用はこちらで出す。頼む」

「へーい」

 店主はかなりの数のばかでかい握り飯を握り、それを差し入れとした。

 グラドはそれを部下に持たせて、銀行の入り口に持って行った。

「待て! 味見をする。毒なんか入れてないだろうな」

「そんなことするか。人質も食べるんだぞ」

「目の前で食べてみて、変な味がしたら人質を殺すからな」

 犯人の一人が出て来て、握り飯を一口食べた。そしてもぐもぐと咀嚼して、ぶっと吐き出し、

「うううううまずい! なんだこりゃ。人間の食べるもんじゃねえ。誰だこんなもん作ったのは。もっとまともなもん持ってこい! ふざけてんのか」

「大佐、まずいです。怒らせてしまいました」

「なんだ、握り飯でもだめか。あいつの料理の腕はどうなってるんだ」

 グラドは困り果てて、作戦を変更しなければならなかった。

 そして賊の緊張が緩み始めた真夜中過ぎ、それは一気に進められた。

 軍のなかでも比較的身体の小さい、選ばれた者たち数名が古い通風孔から銀行内部に忍び込み、賊を制圧して人質を確保し、こうして事件は解決されたのである。

 急遽事件の司令部となっていた『薔薇のため息』は終日貸し切り、香茶が売りに売れて店主は上機嫌であった。

「世話になったな」

「またどうぞ」

「あんた、名前は?」

「客はライアスって呼んでるよ」

「ライアスか。俺はグラドだ。この国の軍隊の、大佐をやってる」

「へえ、若いのに、偉いんだね」

 大して関心もなさそうに言うと、ライアスは店を閉めに行った。帰りが遅くなったことなど、なんとも思っていないようだった。

 なんの気配もなく忍び寄ったことといい、銀行であんな小さい通風孔に気がついていたことといい、あの女何者だ?

 その背中を見ながら、グラドはそんなことを考えていた。いつもの興味とは別の関心が、あの女に沸いていた。

 またあの店に通う理由ができちまった。まあいいか。

 苦笑いすると、官舎に帰るために寒空の下を一人、歩いて行った。


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