第一章

 タップ王国の城下町にはなんでもある。

 娼館から占いの店、図書館に食堂、宿に酒場に寺子屋、銀行、雑貨屋屋台に食料品店、そして忘れてはならないのが喫茶店である。悪名高いその店はその名を『薔薇のため息』といった。

「行くか? 『ばらため』」

「ああ、あそこは香茶は味がいいんだが、どうにも内装がなあ」

「まあ、見なけりゃいいんだ」

 そう口々に言いながら、今日も『薔薇のため息』に常連がやってきた。

 白い、木造りの扉を開けると、それと同時にカラン、とベルが鳴る。

「らっしゃい」

 低い声が響く。

「香茶だ」

「俺も」

「香茶だけ?」

「ああ」

「そっちも?」

「そうだ」

 声の主は確認すると、少し黙って、そして奥に消えていく。しばらくするとそこから馥郁たる香りが漂ってきて、盆に乗った香茶が運ばれてきた。

「香茶だ」

 店主が不愛想にどん、と香茶を置くと、また奥に下がっていく。客商売だというのに、まるで笑顔というものがない。

 店内は悪趣味な桃色の壁で統一されていて、所々に白いリボンが飾られている。ぽつり、ぽつりと赤い点々がまるで血のように無意味に散らばっていて、不気味だ。小さい絵が飾られているが、なにが描かれているかまではわからない、まるで意味不明なめちゃくちゃなものである。

 これが店の常連が訪れる度に辟易する『薔薇のため息』の内装である。

「相変わらず香茶だけは格別にうまいな」

「香茶『だけ』はな」

「聞いたか? この前、街の反対側から来たじいさんがなんにも知らないでここの料理を食ったらしい」

「そいつあ命知らずな真似を」

「どうなったか知ってるか」

 常連の男は声をひそめ、背を縮めてそっと言った。

「病院送りになったらしい」

「恐ろしい話だ」

 『薔薇のため息 メニュウ』と記されたその品書きは、以下のようになっている。


 天使のいたずらパスタ ~森の香りを添えて~

 乙女の初恋パルフェ ~初めてのくちづけは野いちごの味~

 秘密の水晶の谷の泉の水を汲み上げた三日月ゼリー

 ふわふわ雲のパンケーキ ~月の雫を添えて~

 星の降り注ぐ夜空に揺蕩うオーロラのかけら

 悪魔の誘惑、沈黙の誓い

 香茶


 パスタはだいたいが芯の大分残った固いものだし、森の香りだかなんだか知らないがただのキノコを、塩すら入れないで調理したものである。パルフェは市場で買って来たいちごを洗って切っただけのものだし、三日月ゼリーは寒天をざく切りにしただけ、雲のパンケーキはいつも生焼け、オーロラのかけらは琥珀糖と謳ってはいるものの、ただの角砂糖である。悪魔の誘惑、沈黙の誓いに至っては、生の唐辛子をこれでもかと入れた地獄のような味付けの生米リゾットだ。

 これで金を取るというのだから、恐ろしい話である。

 趣味の悪い内装にこの料理では潰れてもおかしくない喫茶店ではあるが、『薔薇のため息』はそこそこ繁盛していた。

 なぜなら、香茶の味が抜群にいいからだ。

 開店初日に店主の料理を口にしていっせいに食べたものを吹き出した客たちは、口直しに飲んだ香茶の味でこの店に通うことを決め、同時に食事は二度と口にしないと心に固く誓ったのであった。

 さてそんな昼下がりのある日、一人の客が『薔薇のため息』にやってきた。どうやら、一見の客のようだ。

「らっしゃい」

 店主はいつものように低い声で客を迎え、品書きを渡した。客は店内の悪趣味な内装を面白そうに見回すと、

「この、悪魔の誘惑ってのはなんだい」

 と店主に聞いた。

「リゾットだよ。辛いやつ」

「へえ、うまそうだな」

 それにするよ、と肘をつきながら客が言ったので、常連たちはそちらを見て大層驚いた。「わっばか、なにやってんだあの客」

「死ぬぞ」

 それと香茶を、と頼む客、はいよ、と応じて奥に行く店主、常連たちは息を飲んでそれを見守っている。しばらくして、油を引く音、そして、とんでもなく辛いにおいが店のなかまで漂ってきた。

「大事だぜ……」

 大惨事の予感である。

「おまちどおさん」

 どん、と料理が運ばれてきて、とてつもなく辛い香りが別のテーブルまで香ってくる。「どれどれ」

 客は料理を一口食べて、

「……」

 顔色を変えて固まったかと思うと、顔を上げて、

「これ、あんたが作ったのか」

「そうだよ」

「ほんとに?」

「うん」

「あっちで?」

「そう」

「……香茶を持ってきてくれ」

「はいよ」

 見ると、客の顔からは滝のような汗が噴き出ている。それはそうだろう。店中に漂うような量の唐辛子を口にすれば、そうなるのは目に見えている。

「水も欲しいな」

「はいはい」

 店主が水を持って来ると、客は水を一気に飲み干した。

「もう一杯くれ」

「はいよ」

 そしてまた飲み干すと、また一杯ねだった。そして香茶が来ると、

「……これは誰が淹れたんだ」

「私だよ」

「それは本当か」

「そうだよ」

「……」

 客は店主の顔をまじまじと見上げている。

 女にしては、背が高い。

 切れ長のうす青い瞳に、黒い髪。どう考えても喫茶店の店主には見えないが、ひとは見かけによらないというではないか。

「うまい香茶だな」

「みんなそう言う」

「いくらだ」

「銀貨一枚」

 客は支払いを終えると、また来る、と言って立ち上がり、リゾットを残して行ってしまった。

「あーあ、行っちまった」

「あれ、戻って来るかな?」

「常連になるに銀貨一枚」

「戻ってこないに二枚」

 常連たちが賭けに興じていると、また見知った顔がやってきて、香茶を頼んだ。

 この店をよく知る者はみな、香茶しか頼まないのだ。

 そうして一日が終わろうとしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る