1-10 結局二コラは「愚かな人間」でいたいようです

「そうか、この国を出るか……」


翌日俺は、魔王ヒルディスの元に来ていた。

出国するために一度挨拶をするべきだと思ったことと、もう一つお願いしたいことがあったからだ。



「ええ……。この国の人たちは、確かに俺達と違って……本当に、愚かではなく……賢く、優しく、他人のことを第一に考えてくれました……」


その発言に、魔王ヒルディスは意外そうな表情を見せた。


「そうであろう? 彼らは利己的な裏切りなどすることは決してないはずだ。……それなのに、イルミナに不服があったのか?」

「そ、そんなわけありません! イルミナは……本当に素敵な人でした。優しくて、献身的で、社交辞令じゃなくて本当に、俺にはもったいない相手でした! ……お願いだから、魔王様も彼女を大事にしてください!」

「ふむ……。解せぬな」


そういうと魔王は、俺の方を見てみた。



「それほど素敵な女と添い遂げるのがなぜ不服なのだ? ……そもそも、お前の今の体調はなんだ? 少し異常だぞ?」



俺は彼女に尽くしてもらい続けたことがいつしかストレスになっていた。

すっかりやせ細り、やつれた俺を見て魔王ヒルディスは少し意外そうな表情を見せた。



「これは……あまりに幸せすぎたせいで、瘦せてしまったんです……」



俺はそう答えた。

間違っても、イルミナを……いや、この国の人を責めるようなことを言うのはごめんだったからだ。


魔王ヒルディスは不思議そうに首をかしげる。


「実はな。お前の前にも何人か同じようなものが居たのだが……彼らもみな、同じようなことを言って、国を出ていったのだよ」

「え、俺以外にも?」

「そうだ。……てっきり私は……お前ら愚かな人間が、彼女たちから何もかも搾取し、酒池肉林の生活を送るものだと思っていたがな……正直な本音を打ち明けてはくれぬか?」



もしそれをやっていたら、魔王からの粛清を受けていたのだろうことは想像できた。



(魔王様は話がわかる人みたいだし……。この際、はっきり伝えてもいいか……)


そう思った俺は、本心を打ち明けることにした。



「きっと……俺達が『愚かな人間』だからですよ」

「どういうことだ?」

「見ず知らずの人のために大切な人が命を失うのも嫌ですけど……大切な人のために、見ず知らずの人が死んでしまうのも嫌なんです」

「ほう?」

「それに、大切な人に尽くしてもらうのは好きですが……大切な人に尽くすのも好きなんです! イルミナたちは、俺がしてほしいことはなんでもしてくれるのに、俺『に』してほしいことなんて、何もなかったじゃないですか!」


正直、献身的に愛してもらえるだけの関係は、むしろ俺にとっては負担だ。

特に自分の子どもが、自身の幸せよりも俺の幸せを第一に考えて人生を棒に振るなんて、想像しただけでも吐き気がする。


だが、魔王は理解が出来ないような表情で首をかしげる。


「イルミナはお前がしてほしいことをすべて受け入れ、見返りも求めず叶えてくれたのだろう? 求めずただ与えてくれる相手の何が不満なのか、私にはわからぬが……」




魔王ヒルディスは、おそらく他者のために尽くし、そして相当に手ひどく裏切られた過去があるのだろう。

だからこそ、無条件な献身と、自己犠牲をいとわない奉仕を他者に求めるようになったことは容易に想像できた。


その気持ちは痛いほどわかる。

……だからこそ、この国のあり方は否定せず、俺が出ていく選択をしたのだ。



「やっぱり俺達人間は、どこまでいっても『与えあう』よりも『奪い合う』愚かな生き物なんですよ! 命を譲り合って差し出しあうくらいなら、争って奪い合って、それで淘汰しあう方がまだマシなんです! これはもう理屈じゃない、感情の問題です!」




「感情の問題、か……」



そこまでいうと、魔王ヒルディスは少しだけ理解したような表情を見せた。


「なるほど……。つまりお前たちは……求めあい、奪い合い、憎み合い、蹴落としあい、そして裏切る……そんな『愚かな部分』を持つからこそ、人でいられると……そう思っているのだな?」


その通りだと俺はうなづく。


「ええ……。魔王様、あなたの国は素晴らしいかもしれない。けど、ここに永住していたら……俺は人間じゃなくなる。みんなから奪いつくすのを当然と思うようになるか、或いは与えられることに疲れて壊れるか、いずれにせよここにはいられないんです……」




俺は後者にはなりたくない。だが、前者になるくらいなら今ここで魔王ヒルディスに粛清される道を選ぶ。


この世界ならおそらく俺は、元の国で勇者がやっていたような『育児もしないで子作り三昧のハーレムライフ』も送れたのだろう。



だが、俺は『愚か』であっても『人間』でありたい。

この国でそれをするような獣になるくらいなら、独身を貫いて死ぬほうがマシだ。



「そうか……人間は……愚かであることそのものが、人間たらしめているというのか……。私を倒そうとした勇者も……それを私に言おうとしたのかもしれないな」



そういうと魔王ヒルディスは、遠い目をしてつぶやいた。



「フン。お前たち『愚かな人間』のことが少しだけ理解できたな。……だが私は、今の国の形を崩すつもりはない。貴様らとは違う形の世界を……ようやく作れたのだからな」



俺は魔王ヒルディスの考えにはついていけなかった。だが、彼の考えも作った国も、間違ったものではないとは断言できる。


逆に間違っているのは俺たち人間の方だというのはわかっている。

そして俺たちはその間違いを正すことはないだろうし、やろうとしても出来ないはずだ。


だからこそ、彼の作った『間違っていない世界』に、俺が住む資格がないとも思っていた。



「ええ、それは否定しません。こんな美しい理想郷を……俺達も目指したいですから……魔王様とは少し違った形にはなりますが」

「よくわかった。では、そなたの出国を許可しよう。……お前たち人間はやはり、愚かだな。……だが、少しだけお前たちのことが理解できた気がするよ」



そう魔王ヒルディスが立ち上がったのを見て、俺はもう一つ言い忘れたことがあったことを思い出した。



「すみません、魔王様。一つお願いがあります……」








そしてその日の夕方。


「そうなの……出国するのね?」

「ああ。イルミナ、本当に……本当にありがとう、イルミナのことは本当に好きだったよ」

「……嬉しいわ。私も少しはあなたを幸せにできたのね?」



やっぱりそうだ。

この期に及んでもイルミナは『私も好きだった』『二コラがいてくれてよかった』なんて口にしてこない。



彼女は俺のことを愛していたわけではない。ただ親切にしてくれていただけだ。

……その『親切心からしてくれること』のレベルが俺達人間とは比べ物にならないほど高かっただけだったのだ。



(俺の国にいた『勘違い野郎』は……。この国なら幸せになれたのかもな……)



『親切心で優しくしてあげた男が勘違いしてきて、勝手に恋人面しながら体の関係を迫ってきたせいで、男性不信になった』という話は、俺もよく耳にする。


イルミナはそのような勘違い男に対しても『親切で』恋人関係になってくれるし、『親切で』体を差し出せる。

当然『イルミナは俺のことが好きらしい』と勘違いすることも、許してくれたのだろう。



だが、それは一方的な親切心の搾取でしかない。

そう思うと、やはり俺は彼女と結婚しなくてよかったと思えた。



「それと最後に……キスしていいかな?」

「勿論よ。……そうだ、お別れになるなら最後に一度、ベッドに行く?」


そう、彼女は近くにある連れ込み宿を指さした。



「結局二コラ、私を一度も抱かなかったでしょ? 最後に気持ちいいこと、したくないの?」

「それは……」

「それに、この先も厳しい旅が続くんでしょ? 私の魔力、もうちょっと持って行ったほうがいいと思うわよ?」

「いや、ここでキスしてくれれば満足だよ。……目を閉じて、イルミナ?」

「うん。……いっぱい魔力貰って、強くなってね?」



本当にイルミナは俺に親切にしてくれるんだな。

そう思いながらも俺はイルミナをギュッと抱き締め、そして唇にキスをした。



「……ありがとう、イルミナ……」


この時、俺は魔王ヒルディスにお願いして、魔力を数時間だけ『貸して』もらっていた。

報酬に寿命数年分くらいは覚悟していたが、本音を話してくれたお礼として無償で貸与してくれた。


そのおかげで現在の魔力は俺の方がわずかに彼女より上回っている。



「……え? どうして……?」



俺の唇を通して魔力がイルミナに流れ出した。

それに気づいたのか、イルミナは驚いたような表情を見せた。

俺は唇を離して、イルミナに笑いかける。


「イルミナにもらった魔力、全部返すよ……ありがとうな」



俺の身体から、イルミナにもらった分の力が抜けていくのが分かった。

代わりに胸の内から湧き上がるのは、肩の荷が下りたような、すがすがしい気持ちであった。



「それじゃあ、またな。イルミナ……それとその国のみんなにもよろしくな」

「うん! 辛かったら、いつでも帰ってきてね!」



そう言うと俺はこの国から出ていった。





そしてその日の夜。

俺はキャンプをするために食材をいくつか出した。


これは全部イルミナが、出立の直前に持たせてくれたものだ。

本当に俺は、最初から最後までイルミナに与えてもらってばかりだった。



「こうやって、一人で食事をするのも久しぶりだな……。なあ、イル……」


隣にイルミナがいないことに気が付いた。

ここしばらく、ずっと傍にはイルミナが居たから、それが当たり前になっていた。……だが、あんな風に「与えてもらってばかり」の人生を送るのは俺には出来なかった。



彼女は、圧倒的な魔力を含めて『対等な関係』まで与えてくれようとしていた。

だが、そんな形で与えられる関係性が対等になるわけがない。



俺は彼女に作った借りの重さから、きっと彼女には絶対服従することになる。

彼女に対する愛情も、常に持ち続けなければならないと覚悟を持つことになったのだろう。



「ありがとう、イルミナ……。けど、今度の国では……本当の意味で、対等な関係の結婚相手を見つけたいな……」



そう言いながら、干し肉を削り、ふかしたサツマイモの上に乗せ、齧った。

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