第2章:侵入者:400km上空の危機

 国際宇宙ステーション「ニュー・ホライズン」の中央制御室。

 ジョン・ハリソンは、いつものように朝のシステムチェックを行っていた。ホログラフィック・ディスプレイには、ステーションの各部分の状態を示す数値やグラフが浮かび上がっている。地球の引力圏内を周回する巨大な人工構造物の全てが、この部屋から監視され、制御されているのだ。


「良好だ」


 ジョンは呟いた。


「環境制御システム、正常。電力供給、安定。軌道補正推進器、待機状態」


 そのとき、サラ・チェンが制御室に入ってきた。


「おはようございます、ジョン」


「やあ、サラ。今日も元気そうだね」


「はい。昨日の重力制御システムの異常は解決できましたか?」


 ジョンは軽く頷いた。


「ああ、外部からの微小な隕石衝突が原因だったようだ。幸い、深刻な損傷はなかった」


 サラは安堵の表情を見せた。

 しかし、その安堵感は長くは続かなかった。


 突如として、けたたましい警報音が制御室に響き渡った。

 ホログラフィック・ディスプレイが赤く点滅し、緊急事態を知らせている。


「何だ!?」


 ジョンは即座に警報の発信源を確認しようと、操作パネルに手を伸ばした。


 サラも慌てて隣のコンソールに駆け寄る。


「ドッキングポートDからの不正アクセス!? 今日は誰も来訪の予定はないはずですが……」


 ジョンは素早く監視カメラの映像を呼び出した。

 そこに映っていたのは、黒い宇宙服に身を包んだ数名の人影だった。

 そして、その中心にいる一人の女性の姿に、ジョンは息を呑んだ。


「まさか……スターダストか!」


 スターダスト。それは通称・宇宙海賊と呼ばれる犯罪集団だ。

 そして画面に映る女性はそのリーダー。

 アレクサンドラ・フロスト。

 彼女の美しく冷酷な笑みが、ジョンの背筋を凍らせた。


「サラ、すぐに全セクションに警戒態勢を敷け。そして地球との通信を確立しろ。緊急事態を知らせるんだ」


 ジョンの冷静な指示に、サラは必死に頷いた。


「了解しました!」


 サラが通信システムの起動に取り掛かる中、ジョンは迅速に対応策を練り始めた。まず、ステーション内の全クルーの安全を確保しなければならない。


「全セクションに緊急避難指示を出す。研究員たちを安全な区画に誘導するんだ」


 ジョンは内部通信システムを起動し、落ち着いた声で指示を出した。


「こちらジョン・ハリソン管理責任者。ニュー・ホライズンに不審者が侵入。全員、直ちに最寄りの安全区画に避難せよ。これは訓練ではない。繰り返す。これは訓練ではない」


 その間にも、監視カメラの映像は次々と切り替わり、スターダストの侵入の様子を映し出していた。アレクサンドラは、冷酷な笑みを浮かべながら、ステーション内を進んでいく。彼女の部下たちは、抵抗する研究員たちを容赦なく制圧していった。


「くそっ」


 ジョンは歯噛みした。


「サラ、地球との通信は?」


「まだです!」


 サラの声には焦りが滲んでいた。


「スターダストが通信システムを妨害しているみたいです」


 ジョンは一瞬考え込んだ後、決断を下した。


「よし、バックアップシステムを使え。量子暗号通信だ。彼らにはそう簡単には解読できないはずだ」


 サラは頷き、新たな通信プロトコルの設定に取り掛かった。


 その時、制御室のドアが突然開いた。

 早くもアレクサンドラ・フロストが、二人の部下を従えて現れたのだ。


「こんにちは、ジョン・ハリソン」


 アレクサンドラは甘美な声で言った。


「お久しぶりね」


 ジョンは身構えながら、サラを自分の後ろに庇うように立った。


「俺はもう二度と君のツラは見たくなかったがね。さて、君の目的は何だ?」


 アレクサンドラは優雅に肩をすくめた。


「そんなに警戒することはないわ、ジョン。私たちが欲しいのは、ただ一つ。この素晴らしいステーションで開発中の革新的エネルギー技術よ。その設計図さえ頂戴できれば、大人しく帰るわ」


 ジョンは冷静さを保ちながら、頭の中で様々な対応策を練っていた。直接対決は避けなければならない。アレクサンドラの部下たちは、若くて身体能力が高い。この状況では、ジョンたちに勝ち目はない。


「残念だが、そんな大事なものをお前たちに渡すわけにはいかないな」


 アレクサンドラの笑みが消えた。


「そう……残念ね」


 彼女は部下たちに目配せをした。


「探せ。このステーションの隅々まで探し尽くすのよ。その間にあたしがこのじじいをなんとかするわ」


 部下たちがステーション内の探索を始める中、アレクサンドラはジョンに向き直った。


「ジョン、あなたの賢明さは知っているわ。無駄な抵抗はやめて、大人しく設計図の在り処を教えてくれれば、誰も傷つかずに済むのに」


 ジョンは微動だにしなかった。


「君の言う通りだ、アレクサンドラ。私は賢明だ。だからこそ、人類の未来を左右するかもしれない技術を、君のようなテロリストの手に渡すわけにはいかないんだ」


 アレクサンドラの目が危険な光を帯びた。


「テロリスト? 私たちは自由の戦士よ、ジョン。この腐敗した世界を変えるために戦っているの」


「自由の戦士が、罪のない科学者たちを脅すのか?」


 アレクサンドラは冷笑を浮かべた。


「時には、大義のための犠牲が必要なのよ」


 その言葉とともに、彼女は制御パネルに近づいた。

 ジョンは、彼女の意図を察して身構えた。


「サラ、システムのロックダウンを!」


 サラは素早くキーボードを叩き、ステーションの重要システムへのアクセスを遮断しようとした。しかし、アレクサンドラの動きの方が一瞬早かった。


 彼女は、ポケットから取り出した小型デバイスを制御パネルに接続した。瞬時に、ホログラフィック・ディスプレイが乱れ、システムへの不正アクセスが始まった。


「無駄よ、ジョン」


 アレクサンドラは勝ち誇ったように言った。


「このステーションは、もう私たちの手の中にあるの」


 ジョンは歯を食いしばった。しかし、彼の頭の中では既に次の一手が練られていた。ステーションのシステムを熟知している彼なら、まだ勝機はある。


「サラ」


 ジョンは小声で言った。


「私の合図で、環境制御システムのバックアップを起動してくれ」


 サラは困惑した表情を浮かべながらも、小さく頷いた。


 アレクサンドラは、ステーションの様々なセクターの情報を次々と呼び出していた。


「さて、どこに隠しているのかしら。あの素晴らしい発明を」


 その時だった。


「今だ!」


 ジョンの声が響き、サラが素早くコマンドを入力した。


 突如として、ステーション全体が暗転した。


 非常用の赤いライトだけが、不気味に明滅している。


「何!?」


 アレクサンドラが驚いた声を上げた。


 ジョンは、暗闇の中で素早く動いた。彼は長年の経験から、この環境での動き方を熟知していた。一方、アレクサンドラたちは、突然の状況変化に戸惑いを隠せない。


「サラ、私についてこい」


 ジョンは、サラの手を取り、制御室の隠し出口へと向かった。アレクサンドラたちが気づく前に、二人は部屋を脱出することに成功した。


 廊下に出たジョンは、すぐさま次の行動に移った。


「サラ、君は安全区画Cに向かってくれ。そこで他のクルーと合流し、私の指示を待つんだ」


「でも、ジョンさん! あなたは?」


「心配するな。私にはまだやるべきことがある」


 サラは躊躇したが、最終的にジョンの決意に満ちた表情を見て頷いた。


「気をつけてください」


 サラが去った後、ジョンは深く息を吐いた。これからが本当の戦いの始まりだ。彼は、ステーションの確執迂路を使って移動を始めた。アレクサンドラたちの動きを把握し、クルーの安全を確保しながら、反撃の機会を窺う。そして何より、革新的エネルギー技術の設計図を守り抜かなければならない。


 ジョンの頭の中で、様々な戦略が練られていく。

 彼の豊富な経験と、ステーションに関する深い知識が、今こそ真価を発揮する時が来たのだ。


 暗闇の中、ジョンの目は決意に満ちて輝いていた。この危機を乗り越え、ステーションと人類の未来を守るため、彼は全身全霊を捧げる覚悟を決めたのだった。


 ジョンは慎重に移動しながら、ステーションの状況を把握しようと努めた。彼のウェアラブルデバイスには、ステーションの簡易マップが表示されている。赤い点は、スターダストのメンバーの推定位置を示していた。


「やはり、彼らは主要研究区画に向かっているな」


 ジョンは呟いた。


 突然、近くの通路から物音が聞こえた。ジョンは素早く壁面のパネルに身を隠した。

 スターダストの二人の部下が通り過ぎていく。


「くそっ、この暗さじゃ何も見えないぞ」

「おい、何とかしろよ。お前、テクノロジー担当だろ」


 部下たちの会話が聞こえてくる。ジョンは思わず笑みを浮かべた。

 彼らが環境に適応できていないことが分かったからだ。


 部下たちが去った後、ジョンは再び動き出した。彼の目的地は、ステーションの中枢システムがある制御室だった。そこから、スターダストの動きを妨害し、クルーの安全を確保することができる。


 制御室に到着したジョンは、慎重にドアを開けた。幸い、中には誰もいなかった。彼は素早く主制御パネルに向かい、システムの再起動を開始した。


「さて、ここからが本番だ」


 ジョンは、長年の経験を総動員して複雑なコマンドを入力し始めた。彼の目的は、ステーション全体の環境をスターダストにとって不利なものに変えることだった。


 まず、彼は重力制御システムを操作した。特定のセクションの重力を急激に変動させることで、スターダストの動きを妨げる。次に、空調システムを利用して、彼らがいる区画の温度と湿度を不快なレベルまで調整した。


 そして最後に、ジョンは通信システムを再構築し、地球との連絡を試みた。


「ニュー・ホライズンから地球管制室、応答せよ。緊急事態発生。スターダストによる不法侵入と人質事態が進行中。至急、支援を要請する」


 しばらくの静寂の後、かすかにノイズの混じった返答があった。


「了解、ニュー・ホライズン。状況は把握した。救援部隊を即時派遣する。ETA約6時間。それまで持ちこたえてくれ」


 ジョンは安堵の息を吐いた。


「了解した。6時間か。長いな」


 その時、制御室のドアが突然開いた。アレクサンドラ・フロストが、冷ややかな笑みを浮かべて立っていた。


「さすがね、ジョン。あなたの手腕には感心するわ」


 ジョンは身構えながら、冷静に応じた。


「君の目的は分かっている。だが、それを手に入れることはできないぞ」


 アレクサンドラは優雅に肩をすくめた。


「そう簡単に諦めるつもりはないわ。あの技術は、世界を変える力を持っている。それを独占しようとする連中から奪い取り、真の自由のために使うの」


「真の自由? 君の言う自由とは、暴力と恐怖による支配のことか?」


 アレクサンドラの目が危険な光を帯びた。


「必要とあらば、そうよ。世界を変えるには、時に過激な手段も必要なの」


 ジョンは、アレクサンドラの狂気じみた確信に戦慄を覚えた。

 しかし、彼は決して諦めるわけにはいかなかった。


「そうはさせない」


 ジョンは、背後のコンソールに手を伸ばした。

 アレクサンドラが気づく前に、彼は緊急プロトコルを起動した。


 突如として、制御室の中が完全な無重力状態になった。

 アレクサンドラは、予期せぬ状況に一瞬バランスを崩した。


 ジョンは、この機会を逃さなかった。

 彼は長年の宇宙滞在で培った無重力での動きを活かし、素早くアレクサンドラの横を抜けて廊下に飛び出した。


「待ちなさい!」

 アレクサンドラの怒号が背後に響く。


 しかし、ジョンは既に次の行動に移っていた。彼は、ステーションの隠れた通路を使って移動を始めた。目的は、スターダストのメンバーを分断し、混乱させること。そして、何よりも大切な設計図を守り抜くことだ。


 ジョンの頭の中では、次々と戦略が練られていく。この危機を乗り越えるため、彼は全ての経験と知恵を総動員する覚悟を決めていた。


 暗闇の中、ジョンの目は決意に満ちて輝いていた。

 これまでの人生の中で一番長い6時間の戦いが、今始まろうとしていた。

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