第3話 頑固な私

 私は身動きが取れないよう羽交い絞めにされ、再び手の平で口元を覆われた。

 配達員の男は気配を殺してやり過ごそうとしている。

 どうにかしてお姉ちゃんに今の状況を知らせないと……中に居るのだと言う事だけでも伝えなきゃ!


 「っち、時間かけてられねーな。

 大人しくしてろよ、すぐ終わるからよ」


 男が私のズボンに手を掛けた。

 必死に抵抗して思う様に出ない声で「やめて」と叫ぶと、また顔を殴られ、その衝撃でぐったりと床に転がる。

 私はシクシクと泣き、顔を伝う涙に意識を向けるしか出来なかった。


 「嘘だろ……?」


 男がベルトをカチャカチャしていると、ふいにそんな言葉を発した。

 その直後、パリンとリビングの窓が割れる音が鳴り響く。

 この部屋は18階。

 窓が割れると同時にビューっといっきに風が流れてくる音が聞こえた。


 私はぐったりして天井を眺めている。

 誰かが私の上を横切った。


 お姉ちゃん!

 お姉ちゃんが助けに来てくれた!

 怖くてずっと見れなかったけど、横たわったまま体を動かして男が居た方を見ると、すでにお姉ちゃんが男を取り押さえていた。


 お姉ちゃんはすごく怒っていて怖い顔をしている。

 お姉ちゃんの姿をちゃんと見れて私は安堵した。


 「澄玲ちゃん、フロントに連絡とれる?」


 私は小さく頷いた。

 でも、体を起こす事が出来ない……なんで!?


 「無事じゃないようね。

 大丈夫、そのまま休んでいて」


 お姉ちゃんがそう言うので、私は体の力を抜き、ぐったりしながらお姉ちゃん達の方を眺めていた。


 「私は今から電話をかける。

 動くつもりがあると判断したら腕の骨を折る。

 微動だにするな」

 「わかった、言う通りにする」


 お姉ちゃんが電話しようとした隙に、男が動こうとした。

 しかし、一瞬でお姉ちゃんが組み伏せ、ボキッと鈍い音と共に男が悲鳴を上げる。

 お姉ちゃんは男を取り押さえた状態でコンシェルジュに通報するよう電話で伝えた。


 しばらく経つと体を起こせる様になった。

 不思議な気分……なんだか力が湧いてくるみたい。

 それに、あんなに怖かったのに、今は全然平気。

 

 私に危害を加えた男の横にいって見つめると、男は私を睨みつけた。

 威嚇……きっとこの人は哀れな人だ。

 なんだかとても悲しい気持ちになってきた。


 「怖かったね、私はあなたに何もしないよ」


 私がそう言って頭を撫でると、男はキョトンとした顔をしている。

 お姉ちゃんも驚いた顔をしていた。


 「お嬢ちゃん、優しいんだな。

 それならついでに俺の事見逃してくれないか?

 腕も折られてすげー痛いんだよ」


 男はこびを売る様な目で私を見て来た。

 私は何も知らなかった。

 こんな人がすぐ近くにいたなんて。

 私がこの人に伝えたい言葉が出て来なかった。

 だから私は、やさしく頭を撫でながら伝える。


 「本当によく頑張りました」

 「頑張りましたって……ああ、頭打っていかれてやがんのか」


 「疲れているんですよね? 楽になっていいんです。

 少しだけ、お休みしましょう」

 「ハハッ。

 おい! でかいねーちゃん、このお嬢ちゃん病院に連れていった方がいいんじゃねーのか?

 俺なんかに構ってたら助からないかもしれないぜ?」


 お姉ちゃんは「動くな!」と言って強く男を押さえつけると男は「ぐぅぅっ」と苦しそうな呻き声を出した。


 「私は平気です。

 それより、あなたの事が心配。

 生きるのに疲れているんですよね?」

 「さっきから……何言ってやがる?

 お前みたいなガキが分かった様な事を」


 「何も知りませんでした。

 私はあなたに傷つけられて、すごく怖かった。

 だから、私は、誰かを傷つける事の方が怖いと思ったんです。

 それが出来るあなたは、もっと怖い思いをして来たんですよね?」

 「ああ、畜生! なにを聖人ぶってんだこのイカレタガキがよぉ!

 自分が安全圏に立ったからって調子に乗るんじゃねえ!

 イライラするんだよ、偽善者が!」


 「私は美鈴澄玲みれい すみれ

 お名前を教えてもらえますか?」

 「ハァッ? 名前ぇ?

 ……一色甚五郎いっしき じんごろうだよ、バカヤロー」


 「甚五郎さん、ちゃんと覚えておきますからね!」


 インターホンの音が鳴る。

 動ける様になっているので、私が玄関を開け、警察の人達を中へ案内した。

 お姉ちゃんが警察の人に伝えてくれたので、事情聴取なんかは後日する事に。

 甚五郎さんは警察の人に連れていかれ、お姉ちゃんと二人になると、お姉ちゃんは私を優しく抱き締めてくれた。


 お姉ちゃん……体が少し震えているし、涙も流している。

 あんなに強いのに、お姉ちゃんもきっと怖かったんだ。

 私からも強く抱き締め返して「大丈夫だよ」って伝えて、安心してもらった。 

 

 「病院へ行くわよ」

 「大した事ないし、大丈夫ですよ」


 「それでも行くの!」


 お姉ちゃんがそう言うので、病院へ行く事になってしまった。

 病院まで来るまで連れていって貰い、診断を受けてみたけど、やっぱり特に異常はなかった。

 

 私が診断している間に、お姉ちゃんが窓の修理を頼んでいてくれた。

 病院から帰って来て部屋に戻ると、すでに割れた窓ガラスは新しいガラスに差し替えられている。

 ガラス片も見当たらない……。


 「この段ボール……」

 「その段ボールがどうかしたの?」


 「甚五郎さんが持って来た荷物。

 置いて行っちゃったみたいです」

 「甚五郎さんって……あの人は強盗よ?」


 「でも、同じ人ですよね?

 甚五郎さんはとっても悲しい人なんだと思います」

 「ええ……? 怖かったでしょ?

 もう関わりたくないわよね?」


 「私はそんな風には思わないです。

 あの人はきっと、怖かったんですよ。

 自分がいなくなっちゃうのが。

 だから、私は甚五郎さんの事を忘れません」

 「変な子ねぇ……関わらせないわよ? 私は。

 そんな風に考えるのはよくないと思うんだけど、澄玲ちゃんは何をどう感じたの?」


 「人って同じにはなれないじゃないですか。

 どんなに認めたく無くても優劣は勝手につけられる。

 きっと生きていると誰もが、無意識だったとしても体感している。

 どんなに理不尽な事でも受け止める事を強要させられる。

 そんな事ばかりだと、きっと疲れちゃいますよね?

 疲れたらどんどん心がなくなっていっちゃいます。

 私もさっきそんな風に感じました。

 心にあるバッテリーの充電がどんどんなくなっちゃうんです。

 心が無くなったら人は死んでしまいます。

 心が死んだ人は誰からも忘れ去られます。

 それって悲しい事だと私は思いました。

 だから、私は甚五郎さんの事、忘れないでいようと……」

 「あの人が落ちぶれたのは結局の所、本人の努力不足。

 人生色々あるんだし、少し辛い事もあるかもしれないけど、真っ当な生き方なんて出来てあたりまえなの。

 その道を外した人に同情なんてする価値はないのよ」


 「そんな風に切り捨てられると、きっと人並みの努力も出来なくなるんじゃないですか?

 信じてくれている人がいたら、きっとその人は少しだけ頑張る事が出来ると思うんです」

 「あら、澄玲ちゃんって結構頑固なのね」


 「分からず屋とは言わないんですか?」

 「私は人の考えを尊重出来る……お姉さんなのよ。

 澄玲ちゃんがそう言う考えを持っているのなら、否定なんてしない。

 きっと苦労する生き方になると思うけど、応援してあげる」


 「やっぱり、千草さんは素敵なお姉ちゃんです」

 「はいはい、私は素敵なお姉ちゃん。

 澄玲ちゃんも可愛くて優しい素敵な、私の妹よ」 


 

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