Epilogue ⑤

「……ん」


 ピピピピと煩く鳴り響く目覚ましに起され、枕元の時計を見ると、時刻は六時を差していた。

 遮光カーテンの隙間から太陽の光が入り、いつもと同じ朝の始まりを感じさせる。


「はぁ……腹パンパンだよ……」


 膨れ上がった腹部に目を向けると、タオルでも詰めているかのようにこんもりとしている。

 昨夜、香奈はあのまま最後まで食卓に戻ることはなかった。


 父親はビールで腹を満たしてしまい、おかずに手をつけることはなく、母親は香奈の分まで平らげていた為、必然的におかずのほとんどを私が食べることになったのだけれど、大盛りご飯を四杯食べ切った辺りでリバースしないようにと、あの時の私の顔はそれはもう必死の形相だったことだろう。


「ふぅ」


 とりあえず水を飲もうとキッチンへと向かう途中、リビングのテーブルの上に何かが置かれているのに気付く。


「……手紙?」


 それは便箋に入れられているわけではなく、学生が友達に渡す時に作る、長方形の折り紙遊びのような折り方がなされていて、こんなものを私に送る者の心当たりは目下、ひとりしかいない。


「っていうか、玄関の鍵閉めて寝たはずなのに……」


 いつのまにやら鍵を盗んでいたのか、あの泥棒少女は。


「まったく……」


 几帳面に折られた紙を、破かないようにそっと開いていくと、思ったよりも少ない文字が書かれていた。


『昨日はごめんなさい。ご迷惑をおかけしました。大変失礼な態度でした。ごめんなさい。謝ってばかりなので、私はもう松岡さんに謝りません』


 そして、空白部分がだいぶあり、一番右下の隅に『生涯。』と書かれていた。


「……どれだけ謝りたくないんだよ」


 もしかしたら嫌われたかも――と、帰宅直後に少し反省もしたけれど、これで良かったんだとすぐに思い直した。

 彼女のこれからの人生を考えても、こんなにも歳の離れた人間と交際するよりは、同年代の男子と愛を育んだほうが教育的にも道徳的にも良いに決まっている。


「ま、昨日一日のサプライズな出来事ということで――」


 手紙をテーブルに置こうとした時、不図気付く。


「あれ、これ『生涯』の前に、何か跡が」


 確認し易いように光に照らしてみると、たしかに筆跡を感じさせる溝がある。芯を出さない状態のシャーペンで書いたのか、インクの切れたボールペンで書いたのかは定かではないが、何かしらを彼女がメッセージとして書き残したのは間違いなさそうだ。


「面倒だけど、試してみるか」


 時間はまだ多少の余裕がある。最悪、朝食を抜きにすれば仕事には十分間に合う。

 私は最近すっかり使う機会のなかったシャーペンを探す。仕事鞄に入っている筆入れから長年愛用しているシャーペンを取り出し、芯が入っているのを確認して、その筆跡の上から斜めにシャッシャと黒く塗っていく。


「……なんだかなぁ」


 私は何とも言えない気持ちで苦笑う。嬉しいのか、それとも面倒だと感じているのか。自分でも定かではないが、浮かび上がった文字を見て、少なくとも心は動かされたようだ。


「はぁ…………。ま、今日はちゃんと仕事に行くかね」


 手紙はハラリとテーブルに落とした。丁重に扱うと、まるで私が浮かれているかのようで、気恥かしかったからだ。


「――死が二人を分かつまで、か」


 私をニヤケさせた『生涯。』に続く最後の一行にはこう書かれていた。



『共犯は運命共同体ですよね、』

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503号室 入月純 @sindri

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