第21話

「……」


 言いかけて、躊躇ってしまう。ここで事件の真相を詳らかにしてしまうことは、果たして彼女にとって良いことなのだろうか。むしろ、傷付けることにはならないだろうか。


「正直、伝えるのははばかられるけど、仕方ないか……。勿体振る気はないし、言わせてもらうよ。犯人は――君のお父さんだよ」

「……父が?」


 案の定、驚いた様子の香奈を見て、言葉を選びながら告げようと決心するが、生憎私は説明が得意ではない。ここで変に上手いことを言おうとすると、逆効果になり兼ねないので、彼女の疑問に答えられるようにあれこれ配慮を考えながらも、ストレートな表現を敢えて選び、伝えようと決めた。


「そう。お父さんが二人を殺した」

「――母を殺した後に、自殺したということですか?」

「その通りだ。残念だけど」

「……経緯を詳しく説明してもらえますか?」


 私は楽な姿勢を取り、粛々と、そして淡々と語る。


「事件は至ってシンプルだよ。先ず、前提としてお父さんには睡眠薬は効いていなかった」

「……効いていない?」

「そう、正確には、『飲んでいなかった』のさ」

「でも、確かに私の目の前で――」

「睡眠薬は錠剤だよね?」

「はい」


「冷やしたお茶に、錠剤を入れても簡単には溶けないんじゃないかな? 多分、口をつけた後に固形物を口内で感じたと思う。そして、口から吐き出してみると、どうやらお母さんが飲んでいる睡眠薬じゃあないか。……そんな風に、お父さんは不思議に思ったろうね」


「……」


「お父さんは考えた。何故、自分に睡眠薬を服用させようとしたのか。しかも本人には気付かれないように。――そして、気付いた。妻は自分に殺意を抱いているのではないかとね」


「……」


「夫婦間で何があったのかは流石にわからないから、ここからは推測になってしまうんだけれど、恐らく女性関係か何かで揉めていたんじゃないかな。何となくなぁなぁになっていたその問題を、錠剤を手にしながら思い浮かべたお父さんは、ひとつの結論に辿り着く。『妻はとうとう、実力行使に出た』と。そこに気付いたお父さんは、とりあえず飲んだふりをして、その場をやり過ごした」


「でも、お父さんに渡したのは私ですよ。――ダジャレみたいな言い方になってしまいましたけど、本当に」

「うん、わかってる。でもお父さんは、それすらお母さんの謀略のひとつだと看做したんだ」


「……敢えて自分ではなく、娘から渡すことによって自分に対する疑いを避けようとしたのでは、と?」


「そう、その通りだ。そしてお父さんは、飲み込んだていで、家族が寝静まった後、脱衣所で横になる。溶け切らなかったとはいえ、若干はお茶にも成分は混ざってしまっているし、それを飲み干したであろうお父さんは、不覚にも眠りについてしまったんだ。眠剤に対する免疫もないし、ちょっとの量でも効いてしまったのかもしれないね。そして朝、目覚めた君は、二人が目を覚まさないことに驚き、外へと飛び出していく。……そのドタバタで目を覚ましたのかはわからないけど、とにかく君が家を出た直後、目覚めたお父さんは、寝室で眠る妻の元へと移動する。――手には包丁を握ってね。そしてお母さんは、そのまま永久とわの眠りについてしまった」


「……」


「刺した時、血が飛び散っただろう。床の血痕は拭いた形跡があったよね? でも、床を拭いている時に、、大量の返り血を浴びていることに気付いたお父さんは、先に血を洗い流そうと、シャワーを浴びるため浴室へと向かう。拭きながら返り血を床に垂らしてしまっては、二度手間三度手間になってしまうからね。そして血を洗い流そうとした時に、突然罪の意識に苛まれ始める。……もしかしたら、殺害時に既に感じていたのかもしれないけどね。どちらにせよ、ここでお父さんは自死を選択する。最愛の妻を殺めてしまったという胸の痛みに耐えられなかったんだろう。家にあったロープをかけ、首を――」


「――それが、松岡さんの見解ですか?」

「……そう、これが俺の見解であり、事件の真相だ」


 謎を解き終え、私は香奈の部屋がある方角へと目線を馳せる。

 そして、その視界に入る香奈の表情を窺うと、香奈は難しい顔で首を傾けていた。


 ――やはり、彼女には辛い真相だったか。


 今は受け止められなくても仕方ない。しかし、これが紛れもない真実である。いつか、受け入れられる日が来るだろう。

 何より、この真実は、彼女が犯人ではないという重要な論拠でもあり、見方を変えれば大変喜ばしい事実なのである。

 ……肉親が落命して喜ばしいもないだろうけれど。


「あの」


 顔の位置を真っ直ぐに直した香奈は、私に向き直り、言い難そうに口を開く。


「……ひとつ、確認したいのですけど」

「うん、どうぞ」

「父の服、血がついてましたか?」

「……」


 言われてみれば――どうだったろう。私はしっかりと確かめたわけではないから当然記憶にはないのだけれど、付着していた……かな。上から見下ろす形でチラリと数秒見た程度なため、実際血に塗れていたかどうかは確認していないのでなんとも言えない。


「ちゃんと見てはいないけど、きっとついてるはずだよ。それか、着替えたのかも」

「シャワーを浴びる前に?」


「うーん、やっぱりシャワーを浴びるのは止めて、着替えるだけに留めたのかもね」

「……もうひとつ訊いてもいいですか?」

「いいよ」


 認めたくない気持ちも分かる。今はあらゆる可能性をぶつけて、自分を納得させるのもいいだろう。


「なんで脱衣所に横になったんですか? 母と一緒に寝ればいいんじゃないですか?」

「それは……なんでだろう。でも、何か思惑があったんじゃないかな。それに、もしかしたら寝室に行こうとしてたのかもしれないし」


「うーん。因みに、父と母は女性関係でも金銭関係でも一切揉めたことはありません。私に隠れて揉めていたというのであればもちろん知り得ませんが、少なくとも今まで一度も罵り合いや小競り合いは見たことがありません」

「……それも、なにか理由が――」


「殺した後に罪悪感で自殺というのも無理がある気が……。なくはないでしょうけれど、父はそんな玉ではない気がします」

「あぁ……」


「何より、お風呂場や脱衣所にロープをかけて首を吊れる場所なんてありましたっけ? 父は身長も百七十五センチくらいありますし、多分体重は七十キロ近くあると思います。その身体を支えられる何かがあるとは思えないんですけど……」

「……言われてみれば」


「それに、床で倒れていたということは、死後地面に落ちたということでしょうか。壁から少し離れた位置にあったあの死体を見る限り、首を吊った、というよりは、絞めて殺害したという方がしっくりきます」

「……たしかに」


「そもそも、睡眠薬を飲まされそうになったからって、いきなり相手を殺そうと思いますか? うちの父はサイコパスかなにかでしょうか」

「……そう言われると」


「母の身体からは、思ったよりも出血はありませんでしたし、床に落ちていた血もそれほど多くはありませんでした。恐らく私の見立てでは、生命活動を停止した後、心臓付近へ刃物を突き立てられたのではと考えられます。それは恐らく、返り血を極力少なくするという目的もあったでしょうし、もしかすると怨恨が強く、絞め殺した後にそれだけでは物足りなくて刺した可能性もあります。どちらにしても犯人にしか理由は分かり得ませんが」


――とにかく、松岡さんの説には疑問点が多過ぎます。

 捲し立てるように言い切った香奈は、ズズっと紅茶を啜る。


「つまり……」

「……」


 私の推理は――


「全くの見当外れということですね」

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