第20話
犯人の正体を告げる前に、念の為、私はもう一度香奈に昨日からの顛末を話してもらうことにする。
「ええと、どこから話したらいいのか……。とりあえず口論の後からでいいですか?」
口論と言っても、些細な親子間での口喧嘩に過ぎないのだろうけれど、彼女が両親に対する悪戯心? を抱いた起点はそこだ。
「うん。そこからでいいよ」
「――ごはんを食べました」
主語を飛ばした香奈であったが、誰が――などという余計な突っ込みを私は入れなかった。簡潔に話してもらった方がこちらも話を進め易いので、彼女のテンポで話してもらって一向に構わなったからである。
「食前だったんだね、その、言い合いがあったのは」
「そうです。で、ごはんを食べて、私はお風呂に入りました」
「お父さんはどのタイミングでお風呂に?」
「私の後ですね。食事を始めたのが八時近くで、私がお風呂に入ったのが九時頃でした」
よく、一家の大黒柱である父親が一番風呂に入ることが暗黙のルールとなっている家庭があると聞くけれど、それらの習わしはきっと昭和の時代で終わっているのかもしれない。
「で、父がお風呂に入り、母が食事の片づけをしてる間に、二人の寝室へ行って、睡眠薬を盗み取りました」
「それは減っていても気付かれないものなの? 一個や二個じゃなかったんでしょ?」
大事なポイントである。だが、もし仮に気付くことがあったとしても、飲まされた後に気付いたところで、どうしようもないだろうけれど。
「透明なプラスチックのケースに大量に入れられてたから、気付かなかったんじゃないでしょうか。分かりませんけど」
「お母さんは毎日服用していたの? 睡眠薬」
「どうでしょう。毎日かどうかは分かりませんが、多分眠れない時だけかと。抗体? ができて効き難くなるって言いますし」
「そうだね。元ナースさんだもんね。薬の知識はあるだろうし、その辺はコントロールしてたんだろうね」
「はい。で、その後しばらく自室で時間を潰して、二人が寝る時間が来るのを待ちました」
「寝る時間は大体同じなの?」
「そうですね。父が仕事で遅い時以外は、割と同じくらいの時間に寝てるみたいです。母は日付が変わる頃に布団に入ります。父はそれより少し早いくらいでしょうか」
「ふむ。で、その直前に、二人に薬を飲ませたというわけだ。でもどうやって飲ませたの?」
「――まず母にはホットミルクを作ってあげました。私はたまに自分で作って飲んでいるので母には『さっきの仲直り』という建前で作ってあげて、その中に睡眠薬を大量に入れました」
それはなんだか母親が気の毒に思える。せっかく娘と仲直りできる切っ掛けになるだろうと、喜んで受け取っただろうに。
「ま、仕方ありませんね。それに可愛い悪戯ですよ。少し頭が痛くなればいいなくらいの、悪戯心です」
事もなげに悪戯で済まそうとする彼女の中には、罪悪感など微塵も存在しないのではと訝しんでしまう。
「軽く言うけど結構酷いよね、それ」
「まぁ今更反省したところで母は生き返りませんから。で、次に父ですが、健康オタクの父は毎晩、寝る前にドクダミ茶を飲む習慣があります。それを利用しました」
「利用って、その中に入れて渡したの?」
「はい。お風呂上りに冷たいものが飲みたくなるだろうと思い、いつも以上にお風呂を熱めにしておきました。意地っ張りなところがあるので、私が熱いお湯に入っていたと知れば、絶対に温めないのは分かっていましたから」
これも酷いな……。この子が人心を把握するときは、相手に嫌がらせをするのが目的のときであることは間違いないのではないだろうか。
「出てきた時は首から下が真っ赤になっていました。あれは写真に撮っておくべきでしたね。失敗です」
「それは撮らなくて失敗どころか大正解だったよ。遺影にでもするつもりだったの?」
「その時は殺意はありませんでしたけど、まぁ結果的にこうして帰らぬ人となってしまいましたからね。最後にコミカルな父の姿を見て、哀しみを紛らわせられればという、せめてもの親孝行です」
「哀しんでるのは親の方だけどね。まぁ、それはいいとして。で、お父さんにも飲ませることに成功したわけだ」
「はい。程なくして二人は眠りに着いたはずです。私も夜は基本十時くらいには寝てしまうので、昨日はそのまま部屋に戻って寝てしまいました」
「じゃあその後確実に二人が深い眠りについたのを確認したわけじゃないんだね?」
「そうですね。でも、少なくとも母は欠伸を何度もしていたので、眠かったはずです。いつもは布団でゴロゴロとして一二時間眠れないなんてこともザラだってぼやいてましたから」
「お母さんには効いたのかもしれないね。お母さんが処方された薬だもんね。……いや、処方されたかどうかはわからないのか。――で、お父さんは朝、お風呂場ら辺で倒れてたんだよね?」
「ええ。多分、歯を磨きに行ってそのまま寝ちゃったのか、それとも寝惚けて脱衣所に行ったのか……その辺は分かりませんけど」
「なるほど。とにかく、朝起きたら二人はそれぞれ違う場所で倒れていて、大量に投薬し過ぎてしまったと焦った君は、うちを訪ねてきたわけだ」
「まぁ焦ってはいませんけどね。あぁ、殺してしまったと。多少の混乱はしていたような気もしますけど」
「確かに、随分落ち着いてたからね。人を殺しましたってあんな冷静に言えないよ、普通」
「そうでしょうか。意外とそんなものだと思いますけど」
君が特別なんだよ、多分。
「で、それじゃあ君はお母さんを刺してもいないし――」
「父の首を絞めてもいません」
「うん。わかった、信じるよ」
「助かります。変に疑いの目で見られるのも嫌ですからね」
「元から疑ってなんかいなかったからね。全面的に君を信じていたし」
「……というわけでして、以上が私の体験した出来事です。未遂に終わってしまいましたから、殺人犯ではないようで、ホッとしています」
言葉とは裏腹に、彼女の態度から安堵は感じられなかった。これから私が口にする真相を訊くまでは安心できないのだろう。
「うん、そうだね。特に尊属殺人は罪も重いらしいし、未遂で終わってよかったよ」
「まったくです。で、犯人は誰なんですか?」
「ん? あぁ犯人ね。犯人は――」
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