第19話

「でも、それにしたって、まさか殺してしまうだなんて」

「殺してはいませんよ。殺すつもりはなかったですし」


「よくわからない理屈だけど、殺意がなかったから私が殺したんじゃありませんってこと?」

「違います。私は確かに毒――まぁ正確には睡眠薬ですけど――睡眠薬を飲ませました。でも、死にますか? 普通」


「ちょ、ちょっと待ってよ! え、飲ませた毒って、睡眠薬なの? 青酸カリとかそういうのじゃなくて!?」

「そうですよ。睡眠薬です。あれだって立派な毒ですよ、飲み過ぎれば」


 ……そりゃあそうだろう。どんなに優れた栄養素であっても、摂り過ぎは良くないだなんて小学生だって知っている。睡眠薬にも種類があり、一般的に流通しているような睡眠薬では、大量摂取しようとも死に至ることはまずないそうだが、とある種類は脳の機能を停止させてしまう作用もあり、通院していても処方してもらえないと聞いたことがある。以前、私が所属するホームの高齢者が夜眠れないと嘆いていたので、色々調べた時にその存在を知ったのだが、処方されていた時代は、この薬を以って服毒自殺を図った著名人もいたとのことである。


「でも、なんでそんな物が家に――」

「さぁ。母は昔ナースをしていたので、その伝手で入手したのでは?」

「あ……」


 そういえば、そんな話をしていたのを思い出す。それならば納得できる。できるが――。


「お母さん? なのかな。それを普段から服用していたのは」

「そうだと思います。寝付きが悪いって言ってたし」


「でもさ、――俺も詳しいわけじゃないから良く分かんないんだけど、どうしてそんな強い薬を常用していたんだろう。あれって、よっぽどじゃないと処方されないってどっかで見たんだけど」


「それもわかりません。そもそも薬の名前を見て飲ませたわけじゃないし、松岡さんが言ってるやつと同じものかどうかも分かりませんし」


 それは確かにその通りだ。普段、母親が飲んでいる薬は睡眠薬だと知っていれば、わざわざ名前を調べることもしないだろうし、殺意はないとも言っていたし。


「殺意がないのに、どうして飲ませたの?」

「だから。その好きな人のことを悪く言われたからですって」

「悪く言われたからって……そんな悪い男の子なの?」

「……私は悪いとは思ってませんけど」


 それはそうだろう。恋は盲目と言われるくらいなのだ、年端もいかない少女であれば尚更、夢中になっては相手の人間性などどうでもいいと、視野が狭窄してしまっていてもしかたがない。


「……お父さんも否定的だったの? 交際には」


「そうですね。父は終始笑顔でしたけど、私と母がヒートアップして言い争いになって、最後に私が離席する時に『今度お父さんに紹介しなさい。お父さんがその人ぶっ殺してあげるから』と」

「……」


 堅気の台詞じゃあないだろう。流石放送作家というべきなのだろうか。何かそんな番組をやったばかりだったからだと信じたいが。


「とにかく、私の恋路を邪魔しようとする二人を私は許せなかったんです。でも、初めから殺そうとは思いませんでした。――ちょっと懲らしめてやろうって思っただけで」


「懲らしめるって……睡眠薬で? 寝坊させちゃえ、みたいなことかな?」


「父の場合はそうですね。仕事に送れて怒られればいいって。母は偏頭痛持ちだから、これで頭が痛いってなればいいかなって。ほら、寝過ぎた後って頭痛くなるじゃないですか」

「うーん……」


 饒舌になってきたと思ったら、突然子供っぽさが顔を出した気がする。

 この話を聞く限りだと、どうやら嘘は吐いていないようだけれど。


「じゃあ、朝、二人がどうやっても起きないことから、死んでしまったと思い込んで、俺のところに来たってことでいいのかな?」


「はい。よく考えたら、脈とかまでは確認してませんでした。心臓もまだ動いていたかも知れません。でも、寝息を立てるでもなく、ぐったりしてたし、放っておけば死んじゃうだろうなって」


「すぐに救急車呼びなよ!」

「でも、そうしたら事件になるじゃないですか。両親にも迷惑がかかるし」


「俺には迷惑がかかってもいいのか……。というか、両親の命がかかってるんだけどね、迷惑以前に。命と迷惑天秤にかけて迷惑をかけないことを選ぶって、なかなか凄いことだけど」


 人が死んだという話題でこんなにふざけた態度を取っていいものかとも思うが、彼女と話していると、どうもこんな調子になってしまう。


 それは、きっと彼女が本心では泣いているのを、空元気で誤魔化そうと必死なのではという疑念があるからでもあって、だからこそ早々に疑惑を晴らしてあげたい気もするのだけれど。


「……事件の流れは分かった」

「分かってもらえてよかったです。解決できそうですか?」

「いや無理だよね。俺は探偵でもなければ警察関係者でもないし。知識も経験もゼロだからね、殺人事件なんて」


 それに、証拠だって見つからなかったし。


「証拠……犯人は、一体誰なんでしょうね」

「……」


 もしも本当に香奈ではなく、他の第三者だとすると、動機が見えて来ない。


 先程、手掛かりを探している時に、通帳や財布などを念の為確認してもらったのだけれど、一円たりとも取られてはいないと思うと香奈は言っていた。流石に小銭の金額前は把握していないだろうが、少なくとも三人の財布全てにお札は入っていて、父親の財布には十五万円もあったらしい。しかもそれはリビングのソファーの上に置かれていたので、強盗に入ったのであれば家探しするだろうし、それに気付かないほど間抜けでもあるまい。ということは、物取りの犯行ではないという可能性が高い。いや、もちろん、途中で気付かれて急いで逃げ出したという線もあるだろうけれど、それにしても、白昼堂々と、しかもマンションの五階にある一室に狙いを定めて押し入るだなんて考え難いのではないだろうか。


 況して、専業主婦である香奈の母親がいるのだ。それならば、まだ隣の女子大生の家に盗みに入る方が、成功率は上がりそうだ。

 では、なにが目的なのか。

 香奈の両親は、誰かに恨みでも買っていたのだろうか。


 眠りこける二人を見つけ、これ幸いと、刃物を突き立て、首を絞め、殺害後に現場から逃げ出したのだろうか。


「心当たりはないんだよね、香奈ちゃん」

「ないですね。私が言うのもなんですが、二人は恨みを買うタイプでもなかったでしょうし」


 それは私も否定しない。あれだけ感じが良い人達が、そこまで強い殺意を向けられるとは思い難い。


「あ、もしかして、香奈ちゃんの好きな人って奴が犯人なんじゃないかな」

「……それは、ないと思う」


「なんで? 昨日反対されたことをその人にも伝えなかったの?」

「……いいえ、伝えてません」


「そっか。なら違うか。逆上してさ、それで――」

「多分そんなことできる人じゃありません。女々しくて、気が小さい人なので」

「……なんか、あんまり良い印象を与えなさそうな人だね」


 両親に反対されるのも分かる。そんな男、私が親であっても反対するだろう。


「そうなると、外部の人間ではなさそうだね」

「そうですね」


 ……外部の人間の仕業じゃないなら、犯人は誰なんだ?

 角度を変えて考えてみよう。

 あの二人を殺すことができたのは、誰なんだ?


「……」

「……また考え事ですか? 考えても答えなんか――」

「ごめん、繰り返しになるけど、もう一度、昨日から今日に至るまでの中須家のこと、色々と教えてもらってもいいかな」

「はぁ……まぁ、いいですけど」


 訝しむ香奈に対し、手詰まりだったロールプレイングゲームの突破口を見つけた時と同様の高揚感を必死で抑えながら、私は彼女の目を見て、自信を隠し切れずに告げる。


「分かったかも知れない。誰が犯人なのか」

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