第18話
五月の初頭とは思えないほどの熱気が、閉め切られた室内に充満する。
私は無言で立ち上がり、窓を開けた。
弱い風が吹き入れられ、換気が行われると、自然、香奈も窓の外に目を向けた。
「……暑いですね、今日」
ポツリとそう溢し、再び口を
「たしかに。これ三十度近くまで上がるんじゃない?」
そういえば、朝の天気予報を観ていなかったなと思い出す。私はほとんどテレビを観ないので、香奈が来てからも習慣的に点けていなかったのだけれど、中身のないバラエティ番組でもかけておけば、この重苦しい空気も幾らか和らいだのではと、気の効かない自分を責めた。
まぁ、家族が他界した直後に誰かの笑い声など耳に入れたくもないだろうが。
「そういえば、今年のGWは夏日が続きそうって言ってましたね」
「そうだっけ」
大型連休であろうが、私のようなサービス業では全く関係がないため、いちいち連休情報を確認することはなくなっていたので、五月に夏日が続く日が来る予定であったなど初耳であった。
「――そう言えばさ、俺は今日仕事だけど、よく考えたら香奈ちゃん、学校休みだよね? なんで制服着てるの?」
「……」
僅かに言い淀んだ後、「部活です」と、目を逸らして言った。
「へー、何やってるの? 部活」
「……文化系の――文芸部です」
文化系の文芸部? 最近は運動系の文芸部もあるのだろうか。
「そうなんだ。本、好きそうだもんね」
「まぁ……それなりには」
「どんな本読むの?」
「京極夏彦です」
即答だった。しかも食い気味に。
「なんか、難しそうな響きだね、名前からして」
「読み易いですよ、意外と。文字数は多いけど。今度貸してあげます」
「あ、うん。ありがと」
私はあまり読書が好きではないので、文字数が多いと言われてしまうと拒否反応を示してしまうが、彼女が勧める本であれば、多少は興味が湧いてくる。
と、気付けば二人の間の鈍重な空気は払拭されていた。やはり、あれほどのショッキングな光景を目の当たりにした直後である、二人共ナーバスにもなろうというものだ。況して彼女は肉親が殺されてしまったのだから。
「――ん?」
肉親が殺された? たしか彼女は『毒を盛った』と言った。そして私達が見に行った時には、刺殺体と絞殺体が置かれていた。では、彼女は犯人ではないのか?
――いや、そもそも、香奈の発言を完全に鵜呑みにしていた私は、彼女が嘘を吐いているとは露とも思わず、犯人は彼女ではないと、確信していた節もあった。
それは本当に正しいのだろうか。
彼女は本当に毒を盛っただけなのだろうか。
とどめを刺したのは、他でもない、彼女なのではないだろうか。
ならば、私のところに来た理由はなんだ?
――もちろん、罪をなすりつけるため。それ以外にあるわけがない。
「……? なんですか?」
自問自答しながら、思わず目を見開いて彼女を見詰めている私を、キョトンとした香奈は切れながらの目をこちらに向け、ズズズと紅茶を啜る。
「あ、いや、ちょっと……」
まさか。
まだ十五だぞ? そこまで綿密に計画を立てて犯罪行為を遂行するだろうか。
ほぼ面識のない私をスケープゴートにして、自らは被害者になろうと画策したとでも言うのか。
――しかし、子供だからとて侮ってはいけない。
最近の子供はネットからたくさんの情報を仕入れているだろうし、少し検索すれば、人の殺し方や自殺の仕方まで、きちんとレクチャーしてくれるサイトまであるそうだし、どこぞの掲示板などで知り合った誰かが授けた策なのかもしれない。
それに、彼女は文芸部だと言っていた。先程挙げていた作家がどんな作品を書いているのかはわからないが、もし推理小説を好んで読んでいるのであれば、フィクションで行われた犯罪を流用したり、応用したりもするだろう。
いつから立てていた殺害計画なのかは不明だけれど、そう考えると色々なところで辻褄は合う。
合って、しまう。
「……松岡さん。息が荒くなってますけど、気分でも悪いんですか?」
「――っ! あ、ちが――」
額に手を遣ると、汗が浮かんでいた。こんな風に掻く汗は始めてだ。
「――それとも、何かに気付いたんですか? 事件の真相、とか」
心臓が跳ね上がりそうな感覚に、思わず「ひっ」と口走ってしまう。
「ひ? 何ですか、ひって」
これは……試されているのか? 自分が犯人であると
「し――真相は、闇の中、かな。今のところ」
「はぁ?」
怪訝に顔を歪め、「変なの」と、馬鹿にしたように呟き、座椅子に寄りかかる。
「あの、さ。つかぬことを聞くけれど」
「はい」
「……理由、教えて欲しいんだ」
「理由?」
「そう。殺した理由」
「……」
彼女は少し驚いたような顔で押し黙り、下唇を軽く噛むと、「……どうしても言わなきゃダメですか?」と上目遣いで訊き返してきた。
「――知りたいね。できれば」
「……」
殺害動機を知ったからとて、彼女を犯人と断定することは難しいかもしれないけれど、それでも有用な手掛かりにはなり得るだろうし、その理由次第では彼女の疑いを晴らすこともできるだろうと私は踏んだのだ。
――断定するも晴らすも、あくまでも、私が感じている疑惑に関してだけでしかないのだが。
それでも、共犯者であり、共同戦線を張らなければならない間柄になってしまった私達にとって、疑惑の目を向け合うことは極力避けなければならないのは事実で、そういう意味では彼女がもしも私を犯人であると疑っているのであれば、それも晴らさなければならないのは言うまでもないが。もちろん、私が犯人というのは物理的に不可能だけれど。
とにかく、今は彼女が犯人ではないであろうと思われる根拠を――たとえこじつけであったとしても、ひとつでも多く収拾する必要が私にはあるのだ。
「……できれば、言いたくなかったんですけど」
そんな風に勿体振りながら、ここでもまた適当に流して言わないのだろうと予測していた私の予想に反し、明確に、端的に答えてくれた。
「好きな人がいて、その人との交際を反対されたから殺しました」
「……」
なんて理由だ。
――ふざけているのか? と憤りそうになるくらいにふざけた理由であると私は考えてしまうが、実際、親に反対されて、泣く泣く恋人と別れることになったカップル達からすると、大袈裟かもしれないが、それは死活問題であり、自分達の恋路を邪魔する大人たちは、人生をも邪魔する大きな障害であることには間違いないのだろう。
その障害を取り除こうと画策するのはなんら不自然ではないし、不思議でもない。
邪魔だから殺す。
実に単純明快な殺害動機であると、褒めてあげたいくらいだ。
「――なるほど。君はその彼氏と別れるように言われて、ついカッとなって毒を飲まし、そして――」
「? 毒を飲ませましたけど、刺したりはしてませんよ。もちろん首絞めも。というか、それ以前に付き合ってもないですし、その人とは」
「付き合ってない? それじゃあ、これから付き合おうかって段階でストップをかけられたってこと?」
「いいえ。そこまでもいってません。好きな人ができたって話をしてて、そしたら凄く怒られて、それで」
過保護が過ぎる彼女にとって、親から否定されることは耐え難い屈辱だったのかもしれない。
甘やかされて育てられた者は、少しでも叩かれると途端に投げ出し、そして攻撃的になる者も多いと聞く。それは確かにそうなのだろう。蝶よ花よと撫で付けられてきた頭をある日突然叩かれたら、憎しみのひとつも湧き上がったところでおかしくはない。
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