第17話

 眉根を寄せて鸚鵡返おうむがえしする私に香奈は、「その元彼女のことだけじゃなくて」と前置きをし、身体を起こす。


「今日もですよ。全部私に主導権を握られて、されるがままになってるじゃないですか」

「でもあれは君も――香奈ちゃんも言ってたじゃないか。『ここは私のうちだから』って」


「それはそれ、ですよ。むしろあそこで変に意地を張られて俺は俺のやりかたでなんて言われてたらどうしようもないポンコツだったんだなと見切りをつけていましたよ。それ以外のこともです」


 ということは、私は彼女の中ではポンコツ以上であるのだなと、よく分からない安心感を覚えたのを、香奈は見過ごさなかった。


「そういうところもですよ。なんというか、相手に依存し易いというか――迎合し易いというか。よく『自分がない』って言われません?」


 これは図星だった。

 依存心が強いとは思っていないが、迎合し易いという癖は確かにある。


 そして『自分がない』と指摘されたことは一度だけではなく、良くも悪くも割と何でも受け入れてしまいがちであるのは否定できない。


「まぁ、そういう見方をされることもあるかな」


「楽観視してるみたいですけど、大問題ですよ。いいですか、私が善良だからこそ、今のところ成果こそないものの、松岡さんを貶めるような事態にはなっていませんが、もしも私が悪意を持って接していたら、今頃松岡さんは女児監禁、強姦未遂の犯罪者ですよ」


 ――この上更に、殺人教唆が加わる予定ですけどね。と香奈は物騒な一文をつけ加え、嫌いだと言っていたアールグレイに口をつける。


「ひとつとして心当たりがない罪を問われるのは心外だけれど、確かに悪意を持って迫られていたら、簡単に人生破滅してしまうタイプなのかもね」


 特別、他人を信用し易いというわけでもないのだけれど。


「だからこそ性質たちが悪いんですよ。信用していないのに相手の意見や要求を簡単に鵜呑み、受諾する。こういう人って日本人には多い気もしますけど、いい大人が子供の発言に右往左往していてはみっともないですし、示しもつきませんよ」


 香奈のペースが大分戻ってきたようで、喜びたいのは山々だったけれど、少し悪態の度が過ぎてはしないだろうか。

 身内の死に哀しむ彼女を傷付けるようなことだけはしたくないので、今は苦笑いを返すのが無難なのだろうけれど。


「……松岡さんの悪いところをひとつ、見つけました」

「……どこ?」


 ひとつしかないはずなのに、朝から悪意の籠った指摘を何度されたことか。


「相手のことを思っている振りをして、自分が傷付かないようにしているところです」

「……」


 ――どう、答えたらいいのだろう。

 これは、その通りだと肯定したい。しかし、その通りだとは認めたくない。


 というのも、それを承知の上で八方美人を気取り、施設にいる高齢者含め、色々な人に知ったような口振りでアドバイスをしてきたのだ、今更責められるようなことではない。


 それに、他人に優しく接することで、自分も相手から優しくされたいというのは当たり前の行動でもあり、ほとんど接点もなかった彼女に非難されるような筋合いはないはずだ。


「これも図星、ですか?」


 決して勝ち誇ったような顔をしているわけでもないし、挑発的な笑みを浮かべているわけでもなく、彼女は私の目をじっと見詰め、どうやら私に嘘はかせてはくれないようだった。


「……否定はしないよ。自分が偽善者であることは誰よりも分かってるし、他人と接する自分を客観視してみる度に湧き起こる葛藤だって人並にはあったよ。でも、それが間違っているとは思わないし、これから変えていこうとも思わない」


「間違ってはいません。ただ、優柔不断になってしまっていては、大事なものを見落としてしまうかもしれないですよという私からの忠告です」

「大事なもの……」


 失ってしまった大事なもの。

 ひとつは母の存在。そしてもうひとつは彼女の存在。

 どちらに対しても依存心の欠片もないような、薄情な対応を見せてしまった私は、むしろ香奈の言う依存や迎合傾向とは真逆の振る舞いをしているのではいだろうか。


「……こんな子供に大きな口を利かれるのは腹立たしいでしょうから、松岡さんの人間性であったり人生そのものにとやかく口出しするつもりはありませんけど、でも、松岡さんを見ていると、心と身体のズレみたいなものを感じて、なんというか――」


 ――哀しくなります。

 表情を曇らせ目を逸らした香奈は、身体を手前に折り畳みながら、消え入る声でそう呟いた。


「多分、松岡さんは他人に対しての執着心がないんだと思います。だからこそ、表面的には相手を傷付けないように、最大限に相手の意見を尊重して、慣れ合いの関係を築こうとしているのかなって」

「……」


「お母さんが死んだって話をしてた時も、何だか本当に興味がなさそうで、でも、興味がないことは悪い事なんだって、だから自分は本心では母親の死を悼んでいるだって、そう言い聞かせているみたいだったし、仕事で接するお爺さんお婆さんに対しても、きっとそういう感じなんじゃないかなって。――あくまでも私の想像ですけど。……それに、私の両親が死んでいるのを発見した時も、私に同情心を感じているわけではなくて、私が哀しんでいる風だったから慰めたって、そんな感じが凄くして……」


 香奈は私を罵倒している時とは違う口調で、本当に私を案じてくれているのが伝わってくる声音で、寂しそうな目を向けた。


「正直、両親が死んでしまって、私は哀しいし、こうしている今も苦しいです。でも、それは普通の感覚なんだと思います。私は今までドライだとか、冷めた振りをしているだとか、――さっき私が松岡さんに言ったことですけど――そんな目で見られがちで、実際、感受性も豊かとは言えないですけど、それでも人並には哀しみます。故人を偲びます。松岡さんは、どうですか?」


「俺は――」


 どうなのだろう。本当に、香奈の言う通り、俺は他人に対して全く執着できないのだろうか。


 それではまるで、――ひとでなしではないか。


「――哀しめるよ、ちゃんとね。確かにさっきは母親が死んでも泣けなかったとは言ったけど、ほんとはちょっとだけ泣いたような気もするし」


 自分でも意味のわからない言い訳を並べ、何となく気まずい空気になってしまった私達は、それから暫くの間、互いに一言も話そうとはしなかった。

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