第15話

「松岡さんは指紋の拭き取りをお願いします。あくまでも触ったところのみ、ですよ」


 そう言われても、緊迫したあの状況で自分が触れた場所などそう正確に覚えているわけもなくて、何となくで軍手の甲を使い、それっぽい場所を拭き取る。


 こんなことで効果はあるのだろうかと懐疑的ながらも、私は彼女の言うとおりにした。


 あらかた拭き終えた段階で彼女の姿を探すが見当たらなかった。

 おーい、と呼んでみようかとも思ったが、万が一近隣住民に聞こえてしまっては面倒なことになると、思い止まる。


「ん、あそこは」


 彼女の両親の寝室の扉が開いていた。恐らくあの部屋にいるのだろう。


「香奈ちゃ――」


 彼女は母親の死体前で、頭を垂れ、祈るように胸の前で手を合わせていた。

 その姿は不謹慎にも、感動的なドラマのワンシーンを彷彿とさせ、私は涙が出そうになるのをこらえる。


「――あぁ、指紋、終わりましたか?」


 特に感慨深そうな様子もなく私に処理状況を確認する彼女に、頷いて肯定を示し、「そっちはなにか見つかった?」と、情報提示を求めたが、彼女は首を振り「なにも」と短く答えた。


 それにしても――やはり、痛ましい死に様である。厚手のタオルケットは先程同様かかったままだったので、死体に触れたりはしていないようだ。あくまでも、現場のものには触れずに、その上で彼女なりの捜査を行うつもりなのだろう。


「両親を除けば、この世で誰よりも私がこの家の日常風景を知っています。いつもと違う箇所に、いつもと違う物が置かれていれば気がつきますし、家族が踏み入らないスペースに汚れがあれば、それは犯人に繋がる手掛かりになるのではと思うんです」

「うん。俺もそう思うよ」


 捜査とはいえ、所詮は素人である。指紋採取すらできない私達に、警察すら見落とす可能性のある現場証拠を見つけ出せるとは到底思えない。

 しかし、私は彼女の行動を否定する気は全くなかったし、むしろ応援したいと心から思っていた。


「俺は何をしたらいいかな。下手に動かすのもあれだし……」

 とりあえず彼女に指示を仰ぐ。ここは香奈のテリトリーであるのだから、できるだけ勝手な行動は慎むべきだ。

「そうですね。それでは床に這いつくばってください」

「……さっきの裸を見せてくれの仕返しかな?」

「いえ、それもありますが、足跡です」


 それもあるのか。


「足跡? 室内なんだし、足跡はさすがにないんじゃないかな」


「埃が積もっているところに足を踏み入れた可能性もありますし、血痕を踏みつけて足の裏についたままどこかを歩き回った可能性もあります。それに、室内は蒸し暑いでしょう? どうやら暖房のスイッチが入ってたみたいなんです。――誰が入れたのかは不明ですが。だから、もしかしたら足の裏に汗をかいていたかも知れません。足の形がはっきりわかるほどくっきりとしているのであれば、少なくとも足のサイズから大凡の年齢や性別が判断できるかもしれないですし、手掛かりに充分なり得ます」


 なにも考えていないと指摘された時に、憤慨しなくて良かったと心からホッとする。


 確かに彼女に比べたら、私などなにも考えていないに等しい。言われるがまま、彼女の命令を遂行することくらいしか、今の私にはできることはないと勝手に決め付け、そして実際その通りにしか動けない自分を情けないと思わないところが、私の悪いところなのだろう。


「なにを暗い顔してるんですか? 嫌なんですか? 這い蹲るの」

「……そりゃあどちらかといえば嫌だけどね。そういうことじゃないんだ」

「じゃあどういうことなんでしょうか」


「――君は強いなって。親が死んで、それでも既に次の段階のことを考え、模索し、こうしてここで証拠を探している。賢くて、行動力があって。とても俺には真似できないよ。君みたいにフットワークも軽くないしね」


 最後は冗談めかしてみたが、十五の彼女は自分の倍近くも生きているの卑下交じりの称賛をどう感じたのだろうか。


「……ここは私の家ですから。私の判断に従って動くという選択肢は当然かと思います。それと、やたらと私を冷静だと評しますが、言うほど落ち着いてなんていませんし、これでも切羽詰まっていますよ。もしもひとりだったら諦めて泣いているはずです。現実逃避して、憔悴して、ごはんも食べないで。――最悪、両親の後を追っているかもしれませんね。でも、今は松岡さんがいてくれますから。ひとりじゃないから。だからこんな風に虚勢を張って、その勢いに引っ張られて活動的に見えているんだと思いますよ。……なので必要以上に自分を責めることはありませんし、こう見えても感謝しています」


 私の憂鬱な気持ちを吹き飛ばすかのように、彼女は私の目を見て断言した。

 そして、ありがとうと感謝を告げようとした私を遮るように、「それと」と、彼女はもう一言つけ足す。


「私には香奈という名前があります。君ではありません」

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