第12話
「そろそろ警察を呼ぼうと思うんだけど」
私は腫れた頬を押さえながら、こちらをジト目で睨んでいる中須香奈に心の準備ができたかを暗に問うと、
「……ロリコン変質者であるご自分を捕まえてもらう為ですか?」
と、素っ気なく言い放ち、スカートの裾を伸ばす。
「だからごめんって。あれはそういうつもりじゃなくて――」
「言い訳は結構です。まさかこの様な状況になってから性欲を剥き出しにしてくるとは思いませんでした。浅はかな私にも責任はあるんでしょうけれど。成人男性は年齢とともに徐々に性欲が低下するとどこかで見ましたが、松岡さんは年々性欲が増しているんじゃないですか? コントロールできなくなる前に更生施設なり刑務所なりに収容してもらった方がご自分の為にもいいんじゃないですか?」
取り付く島もない。思春期の少女であるとはいえ、ここまで拒否反応を示すものだろうか。
「まいったな……」
私は手の中で買ったばかりのスマートフォンを弄び、いっそ自分が警察に状況を話せばいいのではないのでは思案していると、
「――警察を呼ぶのはもう少しだけ待ってもらえませんか?」
中須香奈は、私の心を読んでいるかのようなタイミングでそう言った。
そこには私を批難がましく半眼で睨みつけていた
「……待ってどうするの? それとも、証拠隠滅でもする気かな?」
「それもいいですけど、むしろ逆です」
「逆?」
「そう、証拠を消すのではなく、見つけるんです。私達が」
「見つけるって――」
……達?
「あれ、俺もその調査団に加わるってことなのかな?」
「もちろんです。あなたがリーダーですから」
「リーダーって……あの、ちょっと一旦――」
「落ち着いていますし、もうこれ以上無駄に時間を費やしたくはありません。とにかく、犯人を捕まえることは不可能でも、犯人が残した痕跡を発見することは可能です。それを見つけに行く必要があります」
「行くって――」
「もちろん私の家です」
学生鞄を一瞥し、中をゴソゴソと漁りながら、「最低限の対策はしないと」と、軍手を取り出した。
「はい。松岡さんはこれをつけて捜査を行ってください。私は自宅なので指紋がついていてもおかしくありませんから、素手で捜査をします」
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなの警察がやってくれるでしょ。素人の俺らが――」
「いいですか、松岡さん。状況は犯人を分かり易く示しています。昨日、私と母は、珍しく大きな声で口論をしました。近所の人が聞いていてもおかしくはありません。そしてその翌日に、両親は死に、娘は近隣に住む男の家に転がり込んでいる。これがどういうことか分かりますか? この事件の一番有力な被疑者なんですよ、私達は」
「そんな……。いや、っていうか、俺も?!」
「当然でしょう。こうして私を匿っていますし、これから指紋を消しに行きますが、あの部屋には松岡さんの指紋がたくさん付着していますからね。……全く、不用意にあちこちベタベタと触られたお陰で、余計な仕事が増えました」
いちいち彼女の発言に対し苛々している暇もなければ余裕もない。
つまり、私が今、警察に通報しようものなら、
「いや、ちょっと待ってくれ」
「先程から何分も待っていますが」
「そういうことじゃなくて。君はともかく、俺まで疑われるっておかしくない? まぁ全く疑いがないというわけにはもちろんいかないだろうけれど、君が――香奈ちゃんがここに来たのは香奈ちゃんの意思で、俺が強要したわけでもなければ、拉致してきたわけでもないでしょ。ということは、明らかに俺、巻き込まれてるだけじゃない?」
「そうですよ。確かに私が突然松岡さんの家へ押し掛け、こうして今ここにいるんです。その認識で間違いありません」
――私達二人の間では。
ダークブラウンの瞳が怪しく光ったような気がした。もちろん気がしただけなのだが。
「いいですか、よく聞いてください。今、松岡さんが警察を呼んだとしましょう。まず、私達は参考人として警察署で話を聞かれます。私には家族間での問題やさっき松岡さんが私に訊いたようなことから、もっとプライベートなことまで根掘り葉掘りでしょうね。私の貞操のことまで言及されるかもしれません。そして松岡さんには、私との関わり、そして両親との関係性の有無や
「ほ、本当に? だって俺はただの隣人で――」
間に一件挟んでいる為、正確には隣人ではないが、それでもただの近所に住む青年に過ぎない自分を、いくらなんでもいきなり重要参考人としてそこまで徹底的に洗われるようなことになるだろうか。
しっかりしていそうに見えても、所詮はまだ十代半ばの子供だ。眉唾ものの知識を振り翳したくなる年頃であり、それらを全て事実であると受け入れるのは、三十路を前にした大人としてあるまじき行為だと自責する。
「考え過ぎだよ、香奈ちゃん。国の組織っていうのはね、とっても巨大で、指揮系統だってちゃんとしてるんだからさ。捜査機関だって――」
「何を根拠に警察を信頼しているんですか? 松岡さんは。まさか昔野犬に襲われていたのを近くの警官が命を
「残念ながらそんな経験はないけれど、でも警察を信じなくて何を信じたらいいの? 実際、たくさんの事件を解決しているわけだし、科学捜査だって年々進歩してるって聞くよ。大丈夫、きっと犯人を見つけてくれるよ」
「はぁ……いいですねお気楽で。人生楽しくてしょうがないって感じです」
齢十五の子供にそこまで言われて怒らないのは、人としてどうなのだろうかとも思うが、今彼女は、彼女の人生の中で、精神的には恐らく相当下方にいるはずだ。傷心し、誰かに噛みつくことで、自らの痛みを緩和しているのだろうと思うと、悪口も可愛げあるものとして受け入れられる。
「まぁ、それなりには楽しんでるけどね。香奈ちゃんは逆に考え過ぎだと思うよ。それだと人生つまらなくなっちゃうよ」
「考える必要があるから考えているだけです。考えなくてよくなれば何も考えずに日がな一日太陽の昇沈する様を眺めて過ごします」
ふぅっと、わざとらしく息を吐きつつ「もう一度説明しますね」と、人差し指を立てる。
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