第8話
「おまたせしました」
コトンとテーブルに置かれたのは、丁寧に盛りつけられた、シンプルな見た目の野菜炒めだった。
「あ、うん。……あれ、これだけ?」
「それだけですが」
料理は二品以上用意しろなどと、亭主関白な夫のような台詞を吐くつもりはないが……そうか、まぁ他人の家で勝手にあれこれ使うのも気が引けるだろうし、今からご飯を炊いたとしても時間がかかり過ぎるからな。
ならば色々な意味で一皿で完結できる野菜炒めというチョイスは正解なのかもしれない。
「それじゃあ、いただきます」
「どうぞ」
長ネギやもやし、キャベツ、玉葱に人参と豚挽き肉が主な材料で、香りは……普通、かな。
見た限りだと特筆すべき点はなく、ただ、全体的に良く火は通っているようで見た目は美味しそうではある。
キャベツと人参を箸で抓み、一口頬張る。
「……」
「どうですか」
感想を聞かれ、どう答えたものかと逡巡するも、あまり答えを保留してしまうと、何を言っても嘘臭くなってしまうので、思ったことをそのまま口にした。
「これ、味付けは……醤油?」
「してません」
「……」
無味、なのだ。いや、野菜本来の味もあるし、挽き肉からも肉の旨味を感じなくもないのだが、とにかく薄味を通り越して、ほぼ味がないのだ。
「それがなにか?」
いや、これを彼女が悪いとか、料理の上手下手の問題にしてしまうのは早計だ。
彼女の家では薄味が好まれているのかもしれないし、家庭の味がこれに近いのかも知れないではないか。
「ううん。問題ない。なんか――自然な味がして、美味しいよ」
「そうですか」
素っ気ないリアクションを返されたが、態度とは裏腹にホッとしたようにも見えた。
「家ではよく料理するの?」
「いえ、全く」
「あ、そうなんだ。その割には手際がいいね。慣れてないと野菜を切り分けるのも難しかったりするじゃん。ほら、皮を深く剥ぎ取り過ぎちゃってたりとか、繋がってたりとか」
「あぁ、まぁ、そうですね。でも、やってみればできないことはないんじゃないでしょうか。繋がってしまう人はその後にちゃんと繋がっている部分を切ればいいものを、横着してやらないだけでしょうし」
「……そう言われてしまえば、そうなんだけどね」
普段からやっていないと、繋がっていることにすら気付かないケースが多い気もするけれど、確かに料理は完成するまでの間に、何度でも微調整できる猶予がある。その辺もやりながら覚えていくものなのだろうけれど。
「松岡さんは料理は作りますか?」
「うん。独り身だからね。偶にスーパーとかで惣菜買って済ましたりもするけど、基本は自炊だよ」
「……なるほど」
中須香奈はうんうんと頷き、私の皿よりも一回り小さい皿に盛られた野菜炒めを平らげ、食器を流しへと持って行く。
躾けが行き届いているのだろうなと、完食後間を開けず水に付けに行く後姿を見て思った。
「……」
キッチンから戻ってきた彼女の両手には、並々とコップに注がれたオレンジジュースがあり、一つを私の前に置き、もう片方はテーブルには置かず、ズズズと熱いお茶を啜るように飲みながら、私が食べる様を見ていた。
音を立てて飲むのは作法違反なのだろうけれど、高校生にはなかなか難しい注文であろう。私も絶対に音を立てて飲んでいないのかと言われれば、回答を濁してしまいそうだし。
「……何? あ、ありがとね、ジュース。――食べるの遅いかな、俺」
仕事の休憩時間でも、いつも一時間目一杯使って食事を取る私は、小学生よりも食べる速度が遅いという自覚があり、友人にも度々指摘されている。
現に、私よりも少量であったとはいえ、彼女が食べ切って数分経つにも関わらず、私はまだ六割程度しか食べれていない。
「食が細いのか分からないんだけどね、昔から遅いんだよ。急いで食べるとお腹痛くなったり――」
「別に何とも思っていませんが。喋ることに口を使わずに、食べることに使ってはどうでしょう」
……怒られてしまった。
教師が生徒を窘めるように。早く片付けたい母親が子供を叱るように。
無言で喉の奥へと野菜を掻き込む僕に「慌てて食べなくてもいいですよ」と、今度は落ち着かせるようなことを言う中須香奈。お前が急がせたんだろうがと、内心非難がましい気持ちが湧き起こるが、今はとりあえず食べ切ってしまう方が先だと、頭を空っぽにして咀嚼する。
あと二口程で完食するところまできて、突然先程の虐待疑惑が頭を擡げる。
彼女は料理はしたことがないと言っていた。しかし、どう見ても経験者であることは間違いなさそうである。
味付けこそほぼ無いに等しかったけれど、あれはそれなりに作り慣れている手際の良さだった。
もしかすると、普段から親は料理を作っていないのではないだろうか。
彼女が代わりに作らされているとしたら……。
ここで、もう一つの可能性に気付く。彼女の母親は若干の肥満体質である。
極度に太っているわけでもないが、糖尿などの病を患っていても不思議ではない。
糖尿病罹患者が糖分や塩分を控えるのは当然であり、そう考えると、彼女の作る料理が味気ないのも納得できる。
普段から調味料を使っていないのだから、配分も分からないのだろう。
「――どうしました? 私の顔を
「いや……ごめん。なんか色々考えちゃって……」
「虐待ならされてませんよ」
「え?」
思わず箸を落としてしまったが、彼女から目を離すことができず、視線をそのままに手探りでテーブルの上を弄る。
「ネグレクトはありません。親との関係は世間的に見ても良好だったと思います。――色々と邪推されてたみたいですけど」
「……なんで、わかったの?」
心を読まれていたのではと、全身に鳥肌が立ちかけるが、彼女の口からネタばらしされてみれば、
「何でも何も、私が料理できることが不思議だったみたいですし、味がしないようなことを言いながら、思い付いたように憐れみの眼を向けられれば、そういうことなんじゃないかなと誰でも予想がつきます」
「あ……そ、そっか」
「そうです。さぁ、早く食べて下さい」
「はい……」
箸を拾い、最後に大口を上げて頬張り、細かく咀嚼した後、オレンジジュースで胃へと流し込む。
すかさず彼女は皿を取り上げ、流し台へ置き、ジャブジャブと洗い始める。食器は二皿しかないので、一分もかからず洗い終え、先程飲んでいたココアと彼女が飲んだオレンジジュースの入っていたコップは既に水切り籠に並べられていた。
私は手元のジュースを飲み干し、キッチンへと持って行くと、スッと手を出した彼女に預け、「ごちそうさま」と言った。
時計を見ると九時少し前だった。今頃朝礼が終わり、今日の連絡事項と簡単なミーティングが行われているだろうなと、職場の光景を思い浮かべる。
キュッという蛇口を捻る音が聞こえ、キッチンから出てきた彼女は、食事前に怯えていた様子は微塵も感じさせず、むしろ勇猛なる戦士、いや、還暦間近のベテラン刑事の如く、毅然とした態度で私に言う。
「さ、行きましょう。……どこへ? 事件現場に決まってるじゃないですか」
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