第6話

「確かに殺人を犯した現場に戻るなんて気が進まないよね。でも、嫌なことから逃げていると、いつか大変なことになるよ。君ももう高校生でしょ? あと二三年して大人になったら、嫌なことだらけなんだから。今の内から嫌なことこそ、進んで経験するようにしないと」


「……お説教ですか? 不謹慎な台詞を言ったり、女子高生に対してグロテスクな話を嬉々として語った松岡さんが、私に世の常識を上から目線で諭そうということですか?」


 再びぐぅの音も出ない。思わず頭をもたげて謝罪をしてしまいそうになったが、いや、こちらは態々君の為に時間を割いて、こうして話合いの場を設けているんだぞと、弾劾裁判宜しく批難批判の嵐をお見舞いして鬱憤を晴らそうかと、思わなかったと言えば嘘になるけれど、でも、どこか、彼女の必死さというか、何かを隠している様子が見て取れて、どうにも放ってはおけない衝動に駆られてもいた。


 それは『殺人ごっこ』という嘘ではなく、もっと別の、何か触れてはいけないような、そんな不思議な空気感を纏っていた。


「いや、まあそうだね。確かに俺が言える立場じゃ――」


「嫌なことから逃げない為に、私はここに来たんです。……死体処理なんて普通嫌じゃないですか? 嫌なことを進んでやる。私は自分の成長の為に、行動しようと決めたんです。悩んでいても、ひとりで悶々と考えていても、何も解決しない。行動して、後悔しないように、その為にここに来たんです」


「わかった。わかったから落ち着いて。――ごめん。そうだよね。殺人を犯した直後なんて不安でいっぱいだよね。確かに配慮がなかったよ」


 殆ど一息で喋り切った彼女は、小刻みに呼吸をし、紅潮した頬に触れ、冷静さを取り戻す為か、大きく深呼吸を二度三度と繰り返した。


「八時か……」


 何となく気まずくなって時計を見上げると、あと少しで八時になるところだった。通常であれば電車に揺られながら隣の市に到着しているはずの時間だ。


「学校は、大丈夫なの?」


 話題を変えてみようと、制服姿の彼女を見て、そういえば学生はもう学校に行く時間だなと思い出す。


「大丈夫です」と短く答え、「あとで電話しておきますから」と、何故連絡すらしていないのに大丈夫と断言したのか問い返そうとも思ったが、「ぐ~」と、彼女の腹部から音が漏れ、気勢を殺がれてしまった。


「……お腹減った?」


 恥ずかしそうに両手でへその辺りを押さえている彼女にそう訊くと、プイと顔を背ける。

 そういえば、両親は死んでしまったという設定なのだ、朝食の準備などされていないと、彼女なりに練った設定で、こうして私との会談に臨んだのだろう。


「よかったらなにか作ろうか? お腹減ってるとネガティブな方へと思考も傾きがちだしね」


 私は腰を上げ、キッチンへと向かう。

 すると、「結構です」と、毅然とした態度で断りを入れる中須香奈。


「食事を作ってもらいにきたのではありません。唯でさえ相談を聞いてもらっている立場なのに、そこまで甘えることはできません」


 どの口が言うのだろうか。これまでの彼女の立ち居振る舞い全てが無礼千万なものだと感じるのは、私の精神が未熟故なのだろうか。

 と、またも「ぐ~」と音が鳴る。


「――丁度俺も食べようと思ってたから。いいよ、一人分も二人分も大して手間は変わらないし」

「うぅ……」


 またも恥ずかし気に腹部に手を置く彼女は暫し俯き、弾かれたように顔を上げて、「それなら私が作ります」と、素早い動きでキッチンへと移動し、ハンドソープで手を洗いだす。


「いやいいって。お客さんなんだから、座ってて――」

「いいえ、それは聞けない頼みです。松岡さんこそ座っていてください」

「頼みというか……まぁ頼みか。――そうじゃなくて、俺がやるから君こそ座って待ってなよ」


「――しつこいですね。私がやると言っているんです。何故人の気持ちを汲み取ろうと努力しないのでしょうか。それでよく仕事が続けていられますね。まさか首の皮一枚で辛うじて残してもらってる、お情け社員さんですか?」


「お情け社員とはどういうものなのか社会人生活がそろそろ十年になろうとしてる俺にも分からないけど、仕事は何とかやれてるよ、お陰さまでね」


「そうですか。それは皮肉のつもりなのでしょうけれど、――この挽き肉、賞味期限が切れてますけど」


 話ながらも冷蔵庫を漁っていた彼女は、昨日食べようと思っていた三日前がリミットだった挽き肉をシンク台の上に出し、他にも次々と取り出し始める。


「……野菜は結構あるんですね。健康思考ですか? お肉もあるからベジタリアンってわけでもなさそうですが」


「あぁ、野菜は好きなんだよ。健康を考えてっていうのももちろんあるけど、キャベツとかでも意外と腹に溜まるし、肉がなくても満腹感味わえるからね。ちなみに、ベジタリアンでも肉を食べる人もいるらしいよ」


「そうなんですか。世の中偽物だらけですね。似非菜食主義者といい、似非パシフィストといい」


 チラリとこちらを見遣り、レタスとニンジン、玉ねぎなどをシンクに置き、腕を捲る中須香奈。

 似非扱いされ、不快に思うよりも、難しい言葉を知ってるんだなと少し感心してしまった。


「誰が似非パシフィストだ。それなら君はリベラリストのつもりなのかな?」

「は? 難しい言葉使って頭良いアピールですか? 恥ずかしいから止めたほうがいいですよ」

「……」


 お前が先に言い出したんだろうがという突っ込みが喉まで出かかったけれど、そもそもリベラリストは難しい言葉ではないだろう。パシフィストの方が認知度は低いんじゃないか?


「人は自ら学ぼうとして得た知識と、偶々どこかで見聞きして得た知識があります。私のパシフィストは後者です。だからリベラリストを知らなくても全然不思議ではありません。飛行機を知っているからと言って自転車を知らない人がいても別に不思議ではないでしょう?」


「自転車を知らないのは正直不思議だと思ってしまうけれど……まあ、確かにそうだな。知識なんてそんなもんだ」


 ピーラーで手際よく人参の皮を剥き、「そうですよ。自分の知っている常識を相手に押し付けるのは横暴です」と、口と手を器用に両方動かし続ける。


「……何か手伝うことはある?」


 気付けば完全に彼女のペースに陥り、私は我が家のキッチンながら助手のポジションに甘んじることになってしまったが、どうやら彼女はそこそこ料理慣れしているようで、迷いなく食材を切り分けていく。


「特にしてもらうことはありません。ウロウロされていても邪魔なので、座ってテレビでも観ていてください」

「……ここ、俺んちだよね?」

「そうですが?」

「……いや」


 言い返す言葉を見失ってしまった為、すごすごとリビングへと引き返す。


「……俺は何をやっているんだ」


 思わず愚痴を独りごちてしまった。

 会社を遅刻し、近所の女子高生とごはんを食べようとしている。


「犯罪的だ……物凄く、犯罪の匂いがする……」


 一人暮らしの男が住まうマンションの一室に、女子高生と二人きり。

 客観視すればこの状況は誘拐事件に発展してもおかしくない。最近流行りの『事案』というやつに名乗りを上げてしまうのが、私はとても恐ろしい。


「……」


――ここで一旦、考えを整理してみようか。

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