第4話

 『それじゃあ今から君の家に行って死体を確認しよう』とでも言って、その死体とやらを拝ませて貰えばいい。恐らく今頃、朝食の片付けをしている彼女のお母さんが玄関口まで出てきて「何をやってるの、早く学校行きなさい。すみませんねぇ松岡さん。この子の我儘に付き合わせちゃって」みたいなやりとりが行われた後、私はそのまま会社へ向かい、彼女は不貞腐れながら学校へと向かう。


 そんな光景がありありと目に浮かぶ。


 しかし、私はその方法を選ばなかった。

 毒を喰らわば、ではないが、ここまで付き合ったのだ、最後の最後まで、彼女の『作り話』に付き合ってやろうじゃないかと、腹を決めたのだ。


 そして、理由はそれだけではない。

 彼女が何故この様な嘘を吐くのか。その訳を知りたかったのである。


 そこまで密な関わりがあるわけではないので、大凡の家族構成くらいしか彼女の家庭についての知識は持ちわせてはいないが、私の知る限り、温和な父親と、おおらかながらも心配症の母親といったイメージがあり、大きな喧嘩をするようなことは先ず考えられなかった。


 父親は出勤時間が重なることが多かったので、挨拶程度の会話は何度かしたことがあり、四十代後半くらいだろうか、若干白髪が混じり始めている髪の量は豊富で、豊麗線がなければ三十代でも通じるくらいには若さを保っていた。そして、口調の穏やかさもあり、こんな人が上司だったら働き易いだろうなと思わせる雰囲気を漂わせていた。


 そして母親は、この共有通路でも何度も挨拶を交わしているが、近所のスーパーでも何度か顔を合わせたことがある。

 感じも良く、今日は何を作る予定なのかを聞かれ、カレーとでも伝えれば、今日は何が特売で、あれを買ってみればいいだの、これはカレーに合うから試してみてだのと、田舎の世話焼きおばさんを彷彿とさせる四十台半ばくらいの女性である。


 彼女は娘に関しては少し心配し過ぎなきらいもあり、一度、夜の八時過ぎにチャイムを鳴らされ、出ると中須夫人がオロオロと目を泳がせ立っていた。


「うちの娘を知りませんか」と、今にも泣き出しそうな顔で私に尋ね、結局その後ニ十分もしない内に、娘は返ってきたそうで、「お騒がせして……」と態々わざわざ菓子折りを持って来てくれた。


 この様に、彼ら夫妻は人の良さを前面に出していて、悪い噂を立てる者など皆無であろうと思われる。


 もちろん、家庭内のことは他人には知る由もないし、実際、表の顔と裏の顔を使い分けていたのかもしれないが、少なくとも私の知る限りでは、たとえ口論になったとしても、殺害に至るような物言いをするような人達ではないと考えているのである。


 だからこそ、そんな人達を殺めたと言い張る彼女に、一抹の興味と不安が湧き起こった。

――心中を白状してしまえば、ただの興味本位とも言えるのだが。


「それじゃあまずは、動機から教えてくれる? 何で殺したの?」

「……」

「……言い難い? まぁ、もちろん、俺に聞かれたくない家族の話もあるだろうから、詳しい内容までは聞くつもりはないけど、でも、せめて概要だけでも教えてもらえると助かるな」

「――助かる? 助ける側は松岡さんですよ。助けられるのは私ですから」


――勘違いしないでください。


 そんな風に、所謂いわゆるツンデレな台詞を口にした彼女だったのだけれど、デレてはいないどころか、ドロっとした悪意しか感じられない口調と表情であった。


「うん。それはそうなんだけどね。でもまずは何が起きているのかを知らないとアドバイスしようもないでしょ? だから、何が切っ掛けでそんなことをしちゃったのかなって」

「……酷いことを言われたからです」

「酷いこと?」


 意外だった。彼女の両親はどちらも他人に罵声を浴びせるような人ではないと思っていたのだけれど。


「それは、お父さんが? それともお母さん?」

「……両方。特に父が酷いことを言ったので、それで」


 成程。口論の末、ついカッとなって手にかけてしまったのか。

……と、うっかり納得しそうになってしまったけれど、そもそもこれは彼女の作り出した作話さくわなのだ。あくまでも設定上の経緯に過ぎないことを忘れてはいけない。


「そっか。その内容は聞いても大丈夫なこと?」


 とはいえ、嘘に付き合うと決めた私は、優しく彼女に尋ねた。


「いえ、ダメなことです。何でもかんでも訊けば教えてもらえると思わないでください」


……入社当時、上司に近いことを言われ凹んだ記憶が蘇る。

 シチュエーションは全く異なるが。


「わかった。これ以上は訊かないよ。で、どうやって殺したのかな。刃物で刺しちゃった? それともその辺に置いてあった棒で――。あ、首を絞めたりとか?」


「……なんでテンション上がってるんですか。人が死んでるんですよ? しかも私の両親が。不謹慎じゃないですか? 少しは空気を読んで欲しいですね、大人なんだから」

「……ごめん」


 深々と腰を折り、頭を下げる。

 確かに不謹慎そのもの過ぎて、自分を殴り倒したい気持ちに駆られてしまう。無神経にも馬鹿馬鹿しいほどに明るく、まさかのジェスチャー付きで殺人場面を再現しようとはしゃいでいた。


 ぐうの音も出ないとはこのことである。彼女は完全に正論を言っているし、下手をすればこれでイニシアチブを彼女に取られてしまうかもしれない。

 元々彼女が握っていたという向きもあるかもしれないけれど。


「真面目に聞く気がないのならこれ以上言いません。どうなんですか? 松岡さん」

「ごめん。教えてください」

「ふぅ……。で、なんでしたっけ。殺害方法ですか?」

「はい……」


 イニシアチブどころか、僕は彼女に教えて頂くという立場にまで落ちてしまっていた。しかし、ここは我慢だ。お遊びに付き合うと決めた以上、途中で投げ出すのは大人として、子供の教育によくない。


「毒殺です」

「ど、毒!? ――どこで手に入れたの、それ」

「――うちにありました」


 桃や林檎などの果物の種にも毒性があるというし、実は毒性の強いものは身近にたくさん存在しているらしい。

 漂白剤や消毒液なども危険だし、嘘か真か、醤油を飲んで死亡した例があるとも聞いたことがある。まあそれは『過剰摂取は何でも毒』みたいな話だろうけれど。


 それにもうすぐアジサイの季節でもある。花には毒性の強いものも多くあるだろうし、酸性の洗剤なんかでも混ぜるだけで毒素を発することもある。


 そう考えると、毒殺というのも、強ち信憑性がないわけではなかった。

 女子高生の口から発せられると、如何にもフィクション臭さを感じてしまうが、現実に子供が計画的に殺人事件を起こす場合、抵抗され、返り討ちにあってしまう可能性を加味すると、物理的に攻撃を加えるよりはよっぽど成功率が高いという見方もできる。


「その毒って……」

「それは言えません。両親のプライバシーを侵害することになるので」

「あ、そう、なんだ。そっか、うん。そうだよね。根掘り葉掘り聞き出すのも悪いよね」

「ええ。ようやく理解してもらえたようで安心しました」


 まるで私の理解力の乏しさに辟易へきえきとしていたとでも言いたげな物言いだと受け取ってしまったが、彼女のことを子供であると見縊みくびって、対等に話してあげていなかったという指摘をされてしまえば、それに対する反論を私は持ち合わせてはいなかった。

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