第40話

文化祭の翌日朝から軽い倦怠感と熱っぽさを感じて目を覚ました。

どうやら昨日ピアノを弾いて脳を酷使したせいで知恵熱を出したらしい。

昨日は慣れない事が多くて精神的に消耗した事も関係したのかどちらにしても貴重な休みをベッドの上で過ごす事に勿体無さを感じる。

それでも疲労感に負けてベットで大人しくする事にした。


昨日のピアノを演奏した後は本当に大変だった。

演奏が終わった後に立ち眩みを起こした事もあって彼女が病院に付き添うと言い出したのをどうにか止めてクラスの打ち上げは病院へ行くからと断って帰った。


出血した左目の方は目の近くの付近の皮膚を切っていたので見た目が派手だったが、幸い目の方は血管の方に損傷が見られるくらいである程度は治るそうだ。

むしろ深刻なのは元々の持病の方で視野が欠けてきていて今後誤魔化しながら生活するには少しずつ違和感が隠しきれなくなるだろう。


そういえば夏織さんには文化祭の時に違和感を持たれていたようだけど、いつから気付いていたのかはわからない。

思えばピアノを教えてもらう時に楽譜を全て暗譜するように言われたのは演奏しながら楽譜を目で追っていると手の動きが間に合わないからだと思っていたけどあの時には既に気付いていたのだろうか。

こればっかりは一人で考えても答えが出ない事で途中で思考を打ち切って眠る事にした。



次に目を覚ますと壁際の時計が十時を過ぎている。

完全に寝過ごしたので、もう両親は仕事に行っている時間だ。


とりあえずお腹に何か入れようと思ってスマホを持ってリビングに降りようとしてスマホを取るとスマホにメールが届いてる事に気付いた。

内容は昨日の怪我を心配する内容で昨日付き添いを断って病院に行って全部終わった時には遅い時間だったので何も連絡を入れていない事に思い至った。


急いで文面を考えて怪我はしているけど問題無い旨をメールで伝える。

彼女からの返事はすぐに来てお見舞いに来たいとだけ送られてきた。



「本当に怪我以外にはなんともなさそうだね」


「心配してくれたのはありがたいけど、メールで伝えた通りだよ」


どうやら僕が怪我の状態を誤魔化していると思って今日は直接確認に来たらしい。


少しだけ彼女に隠し事をしている身としては、何とも反論に困るけど素直に心配してくれていた事はありがたい。


「それにしては少し表情が怪しいかな」


隠し事に対する後ろめたさを表情から感じたのかそんな事を言ってくる。


「いや、それは平日の昼間から家で過ごしてる事に違和感を感じて、なんか変な感じだなって思っただけで」


「それね、確かに振替休日だから、他の人は学校や仕事をしている訳でズル休みしてるような気持ちになるよね」


「まあ休みの日に学校へ行った訳だから、ズル休みとは思わないけど」


ズル休みとは思わないけど、普通に平日の昼間から後楽園や、倉敷のアウトレットや美観地区に制服のまま遊びに行ってなかったかと言いかけて夏織さんがいるのでそこは黙っておく。


言いかけた言葉が気になったのか僕の返事に彼女が続きを促す。


僕は言葉を選びながら慎重に答える。


「思わないけど、普段から病院がある日は平日に普通に休んでるから抵抗が他の人より少ないかな」


「それはそうかもね。そもそも初めて話したのも平日の病院だし」


この反応で彼女は夏織さんには平日に病院が終わった後に遊びに行っている事を秘密にしている事を察した。


彼女も僕が何を言いかけてやめたのか、察してくれて話題を変えてくれた。

その変えた話題が病院なのがなんとも言えないけど。


「最近は病院で顔を合わす事も減ったよね」


僕の若干の探る意図で投げた言葉を彼女は普通に躱わす。


「まあ、その分学校で会うからあまり変わらないけど」


結局、踏み込んで欲しく無さそうな彼女を相手にこれ以上聞く事はやめて隣で居心地悪そうにしている夏織さんの会話を振ってみる。

そもそも何故、平日の昼間に中学生で別の学校に通っている筈の夏織さんがここにいるのか。

誰も何も言わないから気にしないようにしていたけど違和感が凄いので流石に指摘する事にした。


「ところで、なんで夏織さんはここにいるの?」


「お姉ちゃんが怪我のお見舞いで様子を見に行くというので、私もついてきました。流石に私にも責任はあるわけですし」


ここにいる理由を答える夏織さんにそうじゃなくて何故平日の昼間に学校はどうしたのかという意図で聞いたけど、それは当然わかっているだろう。

その上でかわしてきた。


「いや、そうじゃなくて」


「それとも、何か私が居ると都合の悪い事でもありますか?」


意地悪そうな顔で揶揄うように言う夏織さんになんだかこの感じのやり取りも懐かしいなと思っているとすぐに真面目な表情に戻って種明かしをしてくれた。


「冗談です。元々この日に病院の予定を入れていただけです。私も普通に午前中は病院に行ってたので、平日で学校は普通に授業がありますけど、別に一日くらい休んでも問題ないですし」


「それなら納得」


内心では病院終わりに学校に行かずここに来るあたり姉妹そっくりだなと思って微笑ましく思う。

夏織さんも多分彼女が病院の時は終わった後に昼間から遊んでいるとバレても特に何も言わないのではと考えてから姉として妹の前では真面目な姉でありたいのだろうと思って何も言わないでおく。


そのままの流れでクラスの打ち上げには参加出来なかったからここで打ち上げをする事になる。


正当な休みとはいえ平日に遊びに出かける事に抵抗があったのと病院を理由に休んでいる夏織さんが万が一学校にバレた時の配慮だ。


近くのスーパーへ三人で買い出しへ行ってお昼の材料とお菓子を買う。


三人で使うには手狭な台所で料理を作るとダイニングテーブルに料理を並べた。


「なんだか、まだ文化祭の延長みたいだね」


「僕らは調理の方には手を出してないから少し新鮮だったかな」


「篁君も少し慣れた感じで包丁使ってたけど、一人でも料理するようになったんだね」


「簡単なものだけね」


「最初はみんなそんな感じだって、やるだけでも偉いよ」


「人を子供か何かだと勘違いしてないかい?」


僕の非難に姉妹揃って笑って和やかな食事の時間が過ぎる。  


粗方食事が済んで彼女がお手洗いで席を外すと万が一にも彼女に聞こえないように小声で確認してくる。



「ところでちゃんと病院には行きましたか?」


「うん。両目ともね」


「それなら良かったです」


自分からその話題を振ってくれたのなら好都合で

夏織さんにいつから気付いてたのかを聞いてみる



「最初に違和感を覚えたのはピアノを教えている時のミスタッチが本来弾く鍵盤から少しズレているのと、鍵盤を叩く指が中央じゃなくて端の方を叩いていたので変だなと思って、後は楽譜を読み間違えた時も途中の一音を飛ばしていたり、ミスの性質がどれも共通していたので、恐らく視覚的な問題を抱えているのかと、そもそもお姉ちゃんと会ったのが病院って話ですし」


言われた事はピアノの基礎を教えてくれた夏織さんだから気付いた事で本番前の弾けるようになった後に伴奏していた彼女にはバレていないだろう。



「それで暗譜を勧めてくれたの?」


「それもありますが、一番の理由は楽譜を頼りに弾くと、どうしても指が追い付かなくなりますからね。暗譜した方が弾く方に集中出来てスピードもカバー出来ますし」


「どちらにしても、最初から暗譜で弾くように勧めてくれたお陰で助かったよ。ありがとう」


アクシデントがあっても演奏を中止にせず済んだのは暗譜を勧めてくれたお陰なので改めてお礼を伝える。


「私からも質問してもいいですか?」



「うん。僕に答えられる事ならなんでも答えるけど」


「不躾な事を聞きますが、貴方たちはなんで全部隠して何でもないふりをするんですか?」


「それは、知られるのが怖いんだよ。二度と元の関係に戻れない気がして」 


自分ではどうしようもない事で他人から向けられる憐れみも憐憫も御免だ。



「同じ立場のお姉ちゃんにもですか?」


「そうだね。同じ立場だからこそ、頑張っている姫柊さんの前では弱音なんて言えないかな」


「難儀ですね。それこそ素直にしんどい時はしんどいって言えばいいのに」


「言えないよ」


「それなら何の為にピアノを弾いたんですか?」


「それは、独りにしたくなかったから、同じ目線で話せる相手だと認めて欲しかったから」


「その上で相手には言って欲しいのに、自分は言いたくないと」


「まあそうなるね」


「たったそれだけの事を伝える為に随分と回りくどい事をしましたね」


「それをしたのは夏織さんの姉なんだけど」


「それはそうですけど、こんな時はどうすればいいか知ってますか?」


「さあ?」


「思っている事を素直に相手に話してみたらいいんですよ」


「それは、夏織さんも同じじゃないかな? 何か思う事があるんだろう?」



なんとなく今回の件で夏織さんが彼女よりも僕に肩入れしている事で姉妹の間になんらかの不和がある事は察していた。

僕の言葉を受けて夏織さんは僕から顔を逸らしてドアの方を見ながら言う。



「姉妹って誰よりも近くにいる存在だけど、だからこそ難しいというか、近すぎるから他人よりもお互いに色々思う事があるんです」


「そうかもね。ここで話すのもあれだから良ければ上に行かない?」


そうして指で階段を示すと音をたてないようにして階段を登って部屋へと向かった。


部屋のドアを閉めると僕から視線を逸らして窓の景色を眺めながら話し出す。



「同じ両親から生まれて片方は病弱、もう一方は、健康でも病弱な姉の方には圧倒的な才能がある。肉体的なハンデがあってもなお勝てない。そんな人とずっと比べられる気持ちがわかりますか?」


その気持ちは文化祭で少しピアノを弾いただけで圧倒的な才能や実力差を実感した。

確かにあの気持ちをずっと感じてきたとしたらそれはキツイのは理解出来る。


「それは昨日実感を伴ってわかったよ」


借りたままのキーボードに触りながら僕はそんな気持ちを込めてしみじみと言う。



「そうでしょう!」


「何をやっても比べられていったい私はなにでなら勝てるんですかって感じです」


「容姿?」


夏織さんが彼女に競える要素としてすぐに思いついた。

見た目的に顔立ちが似ていて髪と瞳の色合いは異なるがどちらも美人である事には変わりない。


「それ事実でも言葉にするのはやめた方がいいですよ。今の時代抹殺されても文句は言えないですから」


「それはごめんね。でもそれを事実って言えるあたり自己評価が高くないかい」


「そこは客観的な事実と言いますか、お姉ちゃんに似て可愛いねとずっと言われてましたし」


姫柊さんに似て可愛いとずっと言われてたと聞いて、夏織さんの物差しはあくまで姫柊さんが基準になっていると実感する。

お姉ちゃんに似ているから可愛い、ピアノも恐らく他の事もお姉ちゃんに勝てるかどうか、それが評価の基準になっている。

それは随分と息苦しい生き方だ。

夏織さんは客観的に見て容姿もピアノも今日手伝ってくれた料理の技術も同年代と比べたら上から数えた方が早い位置にいると思う。

それでもお姉ちゃんには劣るからと自分を肯定する事が出来ずにいる。


「それで何で僕を助けてくれたの?」


彼女が勝手に申し込みをした事が原因だからという理由では説明出来ないくらいの時間と労力を費やしてくれた。



「私が本気でやってもお姉ちゃんは本気になってくれないんですよ。競う相手と思われてないというか」


「だから僕を助けて代わりに勝負がしたかったの?」


「私だって貴方と同じでお姉ちゃんに同じ目線で話せる相手だって、頼っても大丈夫なんだって思って欲しかったんです」


夏織さんが抱える姉に対する劣等感と姉に頼っても大丈夫だと思われたいという複雑な思いを聞きながら僕は考える。


今回彼女は自分で勝手に申し込みをしておきながら僕の練習を見る役割を夏織さんが代わりにやるのを見守っている感じだった。

多分彼女はまだ何かを隠している気がするけど、決定的な部分は見えてこない。

それも含めて僕も夏織さんも一度彼女と話し合う必要があるのだろう。


「多分さ、姫柊さんはまだ色々と言ってくれない事もあるんだと思う。だからこそ僕も夏織さんも一度素直に話すべきなんだろうね」


近い未来で彼女とは、建前を捨てて本音で話す必要がある。

その過程でお互いに傷付くような事も少しはあるかもしれない。

それでも望む関係になるにはそれが必要な気がした。

夏織さんとの話が終わると部屋へ上がった口実の為にキーボードを専用のケースにしまってリビングへ降りた。

リビングに戻ると彼女が僕らが戻ってくるのを待っていた。


「二人で二階に上がっていたみたいだけど、何してたの?」


僕は予め準備していた口実を答える。


「文化祭のピアノの練習で借りていたキーボードを返すのに、ケーブルとかキーボードのケースへの片付け方を確認してもらってだけだよ」



「そっか。キーボードを片付けたらいよいよ文化祭も終わったんだって実感が湧いてくるね。これで本当に終わりなんだって」



僕も彼女に同意して密度の高い一カ月を思い返す。


「そうだね。一カ月間本当に忙しかったけど、振り返ったら部活みたいな感じて楽しかったよ」


「それなら良かった」




「じゃあ、私たちもそろそろ帰るね」


「うん。キーボードは重いから送って行くよ」


「悪いから別にいいよ」


「流石に借りた側としては、重いのに持って帰って貰うのは良心が咎めるというか」


キーボードは本体の重さが何キロもあるし長さがあるので結構な荷物になる。

本当は休日にでも彼女の家に直接返しに行くつもりだったけど、口実に使った為に今日持って帰る事になってしまっていた。


「そこまで言うなら、お願いしてもいい?」


「勿論」


申し訳なさそうに言う彼女からキーボードを受け取って買い物があるからと遠慮をする彼女たちを駅前まで送って行った。


家に戻ると来客のあったリビングを片付けて部屋に上がるとすっかり習慣になったキーボードを弾こうとして一人部屋で苦笑した。

部屋の机の上に置いてあったキーボードは既になく一人で以前の日常に戻って文化祭が終わった後の一抹の寂しさを抱いている。

それでも初めて友達と参加した文化祭は心から楽しむ事が出来るものだった。
































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