第39話



朝早く学校に来て接客する生徒を数人の男子と一緒に着付けした後、僕自身も着物に袴姿の書生の格好に着替える。

手には外側は和綴の本に見えるように作られた小道具の伝票を持って落ち着かずに自分の全身を見回す。

見た目が普通の筆にしか見えないように作られた筆ペンを持てば元々の地味さも手伝って完璧で書生として違和感が無かった。

ちなみに伝票はハイカラさんの女子は、普通の伝票で書生姿の男子は和綴の伝票に装飾された筆ペンを使う事になっている。

和柄のリボンや他の小物でアレンジ出来て見た目が派手な女子に負けないようにどうしても地味になる男子は小道具で書生感を出すしかない。

最初は本物の筆を使うアイデアだったけど、墨汁を使う都合で周りを汚したりと色々問題があって取り回しが悪いので筆ペンを小道具班が筆に見えるように装飾する事になった。


僕なんかは黒髪の地味な田舎の書生だけど、普段から髪を茶色に染めたり毛先を遊ばせている生徒は、書生の格好をしていても都会系の書生とでも言うべだろうか。

当時の大正時代には居ないだろうけど、いい感じに味があってこれはこれでアリという女子からの評判だった。


僕のシフトは午後にピアノを弾く都合で午前の文化祭スタートから昼前までの時間になっている。


開始直後に入って来た恐らく誰かの保護者であろう女性と小学校低学年くらいの男の子が入って来て、教室を見回す。

教室の方は机にテーブルクロスを敷いて少しでも喫茶店っぽさを出しても教室の備品感は拭えない。

みんな基本的に予算を衣装とメニューに注ぎ込んだ結果他は簡素になってしまっている。


初めてのお客さんで固まっていた生徒の中から僕が接客するべく挨拶をする。

緊張で上擦ってしまった声に子供は何事かとこちらを見て母親の方は微笑ましく見てくれている。


その優しさは逆に僕の胸にくるものがあった。


その後も微笑ましく見てくれている親子連れから注文を聞いて頭を下げてからバックヤードへ注文を伝える為に戻る。


そこでぎこちない接客をした僕を彼女が笑って茶化す。


「表情が固いよ。もっと笑わないと」


彼女の真っ当な指摘に真顔で返す。


「笑顔の安売りは良くないよ。日本の接客は何でも当たり前にし過ぎてるから」


「闇堕ちしたマクドナルドなの?」


スマイルが無料でメニューにあるバーガーチェーンを例に出して彼女がツッコミを入れる。

それを周りで聞いていた他の生徒がつられて笑う。


不本意ながら今のやりとりで緊張が和らいでみんなの表情も自然な笑顔になっている。


ボケとツッコミをやって和んでいる間に準備された注文の品を受け取ってお盆に載せて先程の親子連れの所へ届ける。


「先程は失礼しました。こちらはアイスコーヒーとフルーツポンチになります」


朝早くから抽出されたコーヒーを冷やしたアイスコーヒーと抹茶とコーヒーだけでは飲める人が限られるからと考案された子供向けに用意されたフルーツポンチをテーブルに置いた。


午前の時間帯は軽く食べられる軽食を中心に注文があって程よくバラけているので提供に時間がかかり過ぎる事もなくシフトの時間は過ぎようとしている。


彼女の容姿が目を引いて来店した人を中心に口コミが広がって彼女目当ての人達が多かったけど、彼女が上手く捌いているのでトラブルになる事もなく、

予定を聞いてきた人にさり気なく午後は体育館でピアノを演奏するから居ないなどと言って宣伝までしている余裕ぶりだ。


どうにか慣れない接客をこなして午前のシフトが終わりが見えた頃に時間ギリギリになって来店した夏織さんは私服姿で何故か小さなスーツケースを持って来ていた。

彼女が席を外している為に僕が彼女の代わりに接客をする。


「いらっしゃいませ。お席へとご案内いたします」


他のお客さんと違って自然と知り合いにこの姿で接客すると違和感というか恥ずかしさがある。


それは夏織さんも同じだったようで、僕の姿を見て笑いを堪えている。


「どうぞ、お客様、存分にお笑い下さい」


それでも出来ないなりに朝から接客をしていたので知り合い相手になら冗談めかして恭しく頭を下げて笑いを誘うくらいは出来るようになっていた。


僕の三文芝居にとうとう笑いが堪えられなくなった夏織さんが笑いだした。



「笑ってしまってごめんなさい。とりあえず落ち着かないのでいつもの口調に戻して貰っていいですか?」


笑い終わると、開口一番に申し訳無さそうに謝罪する夏織さんのリクエストに応えていつも通りの口調でやり直した。


「いらっしゃい。よく来たね」


言いながら僕はメニューを夏織さんへと差し出した。



「とりあえず、最初の注文は姫柊さんかな?」


彼女は間が悪くお手洗いで席を外している。

だからこそ僕が接客しているのだが、夏織さんもお姉ちゃんに接客して貰った方が嬉しいだろうという判断だったが、夏織さんはからかわれていると思ったのか不満そうだ。


「さっき、笑った事の仕返しですか? そこまでシスコンじゃないです」


「ごめんごめん。姫柊さんに会いに来たんだろうから、その方が良いかなって」


「そうですか。とりあえず注文お願いします」


僕は手に持っていた和綴の伝票と筆ペンで夏織さんの注文を取る。


「抹茶と団子のセットをお願いします」


「こちらのセットはスタッフが目の前で抹茶を点てさせて貰う事になってるけど」


メニューにも注意書きがあるけど念の為確認をする。


「それがなにか?」


「姫柊さんは抹茶を点てる人の中に入ってないから他の人になるんだけど」


「構いませんよ」


「わかった。じゃあ少しだけ待っててくれるかな」


僕はそれ以上余計な事は言わず、伝票を持ってバックヤードへと戻った。



「注文俺が持って行っても良い?」


バックヤードに戻るなりそう言って来た明るく髪を染めた都会系書生に伝票を見せる。


「残念ながら、抹茶と団子のセットだから抹茶を点てる人になるかな」


「そうか。せっかくお近づきになるチャンスだったのに」


「じゃあ、私が行って来てもいい?」


そう言って立候補したのは、女子側で唯一抹茶を点てる事が出来る生徒で午後からのシフトの筈だけど、既に着替えて準備万端でここに居る。


「ごめん。色々お世話になってる子だから僕が持って行きたいんだけど良いかな?」


「まあ、元々篁君が接客していたお客さんだし、いいけど」


「ありがとう。じゃあ、持って行って来るよ」

僕は夏織さんの前へ抹茶と和菓子を置くと一礼だけしてそのまま伝票を置かずにバックヤードへと戻った。


会計待ちが居ないタイミングで会計担当の生徒へと伝票とお金を渡して先に精算をする。


夏織さんへのお礼としては足りないくらいだけど、ピアノの練習で散々お世話になっている。

これくらいやってもバチは当たらないだろう。




僕らがそんなやり取りをしている間に一人で座っていた夏織さんに彼女目当てで来た人が話しかけているのが聞こえてきた。


「俺ら、凄い可愛い外国人の女の子が居るって聞いて来たんだけど、君も可愛いね」


露骨なナンパに夏織さんは困ったように愛想笑いを浮かべている。


それを手応えアリと思ったのか、さらに前のめりになって話しかけにいく。


「君名前なんていうの? ていうか日本語わかる?」


黙ったままの夏織さんが日本語がわからないと思ったのかスマホを取り出して翻訳機能を使って会話を試みている。


僕はそこに割り込むように立ち塞がると夏織さんの姿を相手から見えないように隠した。


「お客さんへの執拗なナンパ行為は禁止になっているのでこれ以上の迷惑行為は退場になります」



「俺たちはお客様なんだけど、お客様は神様だろう? それに少し話しかけていただけだろうが」


「それなら他の神様に迷惑です。それにしても神様って色々ありますよね。疫病神とか貧乏神とか」


最大限煽るように言うと男たちの沸点は随分と低いのか立ち上がって腕を振りかぶるとそのまま僕目掛けて拳を振り抜いた。



闘病の時の薬の副作用や痛みに比べたら大したことないなと他人事のような感想を懐きながら自分の状態を確認する。

殴られた左目が熱を持っているのがわかる。

目を開くと視界が半分赤く染まっている。

遅れて顔の左側にぬるりとした感触が伝わってきた。


無事な右目で周りを見ると周りが騒然としている。

バタバタという音が聞こえて体格の大きな先生が何人も入って来て殴った人間を手荒に取り押さえる。

遅れて擁護教諭が入っきて救急箱を片手に簡単な診察と手当をしてれる。


彼女は僕の横に来ると心配と怒りと色々混ざったような声で問いかける。


「なんでこんな事したの? もっと安全なやり方が

あったよね?」



それに対して僕はあの時に思った事を話す事にした。


「夏に色々あった時に、何も出来ないのが悔しかった。だからかな、あの時は見てるだけだったけど今回は理性より先に体が動いた」


客観的に見て賢い解決策とは言えないのは理解している。

それでも夏に何も出来ずに見ていた時と違って清々しさを感じている。


「そっか。ありがとう」


自分でも言葉足らずな説明だと思う。

それでも彼女は伝えたい事を汲み取ってくれたのか、それ以上何を言うでもなく寄り添ってくれていた。













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