第7話 愛慕

 優しい温もりに目を覚ます。

 嵐は過ぎ去ったらしい。雨音は聞こえない。

 ゆっくり目を開けて————そして、飛び込んできた光景に思わず声を漏らしそうになった。

「っ!?」

 目の前に、綺麗なユリアの寝顔。その身体を抱き寄せている自分の腕。

 何がどうしてこうなったのか、ようやく昨晩の記憶が蘇って、同時に自己嫌悪に陥った。

 下心がある身でこんなことをするのはどうなんだ。いやでも、ユリアの方から寄ってきたし、セーフか? というか…あまりにも無防備すぎやしないだろうか。

 仮にも、そういう感情を抱いていると告白してきた相手なのに。もう少し危機感を待った方がいい。昨日のことといい、ユリアは少し自分のことに無頓着すぎる————。

「ん…」

 ぱちりと、その瞼が開いた。

 朝日に煌めく宝石のような瞳。吸い込まれそうな色に思わず息を飲んで————すぐにはっとして距離を取った。

「ご、ごめん」

 ユリアはふるふると首を振り、ベッドに手をついて上体を起こした。俺はというと、反射的にベッドに正座をして謝罪の体勢を取っている。

 ユリアは微睡む間もなく覚醒すると、淡々とした声で言った。

「入り込んだのは僕だから謝ることないけど…でも、ちょっと警戒心無さすぎじゃない?」

「…ハイ?」

 何を言っているんだと、思わず固まってしまった。

「俺に言ってる?!」

「それ以外に居ないだろ」

「いやいや!! こっちのセリフなんだけど!!」

 しかし、ユリアはきょとんとした顔をする。

「僕は王族じゃないし…寝込みを狙われたりはしないから問題ない」

「い、いや、だとしてもユリアは俺の命狙ったりしないんだから別に良くない…?」

 なんかズレてるなと思いながら返す。おかしいのは俺じゃないはず。でも、ユリアは同じ調子で言った。

「僕はしないけど、他人は分からないだろ」

 他人————それって、つまり。

「え、何、もしかして他のやつともこんなふうに寝たりすると思ってる…?」

 まさかと思いつつ尋ねれば、ユリアは少し考えた後に、真面目な顔をして言った。

「お願いされたら、しそう」

「するわけないじゃん!!」

 ならいいけど、と言って、ユリアはベッドから立ち上がった。

 そのまま自室に戻ろうとする背中に向かって、反射的に言葉を投げた。

「ユリアだけだよ、こんなことするの」

 いや、ちょっと、あれだな。言葉を間違えたな。

 誰とでもあんな距離で眠れるわけじゃないと伝えたかったのだけれど、重たい感情が前面に出てしまった。どう取り繕おうかと考えていると、ユリアは動きを止め、それからただ小さく相槌を打った。

「…そう」

 振り返ることなく、そのまま隣の部屋に帰って行く。

 パタン、と静かにドアが閉まった。思わず深い溜め息が漏れる。

「はぁ……まずかったかなー…」

 ユリアに嫌われてないこと、それどころか祝福が使えるほどに大切に思ってもらえていることは分かったけれど、未だ恋愛感情うんぬんについては答えを聞けていない。

 でもきっと、このまま答えがもらえることはないのだろう。それでいい。もともと、俺が押し付けただけの感情だ。ユリアがそれに対して気に病んでいないことが分かった今、ちゃんと言葉として答えを求める理由は無い。

 でも、さっきのように、その感情を押し出されるのは困るとか、花騎士として仕える上でやりづらいことがあるのなら、それは知りたかった。ユリアにとって居やすい場所で在り続けることが、俺の願いだから。

 どこかで聞けるタイミングはないだろうか。聞き方にも気をつけなければ。そんなことを考えながら、朝の支度を始めた。



 一人で執務室へ向かう途中で、出会ってしまった。いや、正確には、そいつがそこにぼうっと立っていた。

「ねぇ」

 通り過ぎようとしたところで声を掛けられる。

「…何」

 仕方なく立ち止まると、リーフィラは静かな声で言った。

「伝えておきたいことがあって」

 話したくない。声を聞いているだけで苛立ちが募る。

 けれど、無視するわけにもいかなかった。

「ユリアだっけ。本当はあの子に言おうとしてたんだけれど、君が邪魔しに来たから話せなくて」

 よくもまぁ、ぬけぬけと。

 その口からユリアの名前が発せられるのすらも許せなくて、低い声が出る。

「話の最中には見えなかったけど」

 しかし俺の態度にも一切怯むことなく、リーフィラは話を始めた。

「ネモに嫌われることは、僕にとって必要なことで…愛の形の一つなんだって、彼に教えてあげて」

「え…」

 驚いて、それまでの怒りが一瞬にして消えてしまった。

 まさかそんな核心に迫った話をされるなんて、思わなくて。

 混乱の中、リーフィラの言葉を反芻する。ネモに嫌われることは、必要なこと————つまり、呪いの正体は予想通りだったということか。

 リーフィラは、自分を嫌う呪いをネモにかけている。

 そして、それでも、こいつはちゃんとネモのことを愛している。

「…なんで、そんなこと」

 ユリアに探られることを、あんなに嫌がっていたのに。どんな風の吹き回しだと警戒する。

「理由は秘密。でも、あの子が知りたかったことは、これで十分分かっただろうから」

「…っ」

 まるでユリアの心を読んだかのような言葉に、思わず動揺する。確かに、ユリア自身がそんなことを言っていたが、どうしてこいつは、ユリアのそんな気持ちまで知っているんだ。

「さぁ、どうしてだろうね」

「なっ…」

 明らかに、思考を読まれた。

 魔法が使われた様子はないが、何か異様な気配は感じる。

 リーフィラにも、兄上のような特殊な力があるのかもしれない。人の思考や感情を読むようなものが————。

「そうだ、もう一つだけ」

 リーフィラの声に、思考が途切れる。

 そのグレーの瞳には、不思議な引力があった。目を逸らせない。じっと見つめられると、心の中を探られているような気持ちになる。

「君たちも色々上手くはいっていないようだけれど————たぶん、君が壊さないと何も変わらないよ」

「は…?」

 何の話だ。

 俺が理解するのを待たず、リーフィラは話は終わったとばかりに歩き去っていく。

 呼び止めるのも癪で、そのまま俺はひとりその場に立ち尽くした。

「壊す…君たちって…」

 文脈から考えると、君たちというのは俺とユリアのことだろうけれど————壊すとは、一体。

「…」

 上手くいっていない、という言葉に何も言い返せないことが、悔しかった。

 おそらく、リーフィラには人の心を知る特殊な力があるのだろう。ネモにかけているという魔法は、人の心を操るという、かなり高度な部類のものだ。それを使いこなしているということからも、人の感情や心に関する特殊な力が元々備わっているというのは、ほぼ確実に思えた。

 どこまで分かるのかは不明だけれど、その力で俺たちの少し複雑な関係を読むことが出来て、あんなことを言ったのだとしたら。

「…いや、壊すってなんだよ」

 アドバイスにしては抽象的過ぎやしないか。そもそもあいつの言うことなんて聞く必要あるのかというのもあるけれど。

 

     * * *


「今日は、来月の祝花祭について話をさせてほしいんだ」

 ロゼヴィアさんは、俺たち三人を見渡して言った。花騎士たちは騎士団の方に行っているため、集まっているのは四人だけだ。

「これまでも公務として参加しているから皆も知っていると思うけれど、祝花祭は国の繁栄を願う王族主催のイベントだ」

 祝花祭————通称花祭りと呼ばれているこの催事は、年に一回行われる、国を上げての盛大な祭りだった。

 パーティーやセレモニー、街への訪問など、祭り中の四日間、あらゆる場に出向いてなければならない。去年まではパーティに参加する程度だったが、今年はそうはいかないだろう。

「四日間、かなり予定が詰まっていてね…とりあえず僕の方で割り振らせてもらったから、意見をもらえると嬉しい」

 手渡された紙を見る。そこには綿密なタイムスケジュールが書かれていたのだが。

「えっ…」

 その日付に、思わず声をあげてしまった。

 花祭りの三日目は、ユリアの誕生日だ。

「どうかしたかな」

「あ、いや…何でもないです」

 何をするか具体的に決めていたわけではないけれど、誕生日くらい休みにさせて、お祝いをしたかった。

 でも、花祭りと被っているとなると、休みを取らせるのは不可能だろう。

 三日目の予定を確認する。まず、午前中は名誉ある人たち対象としたパーティが王宮で開かれる。これは、今の俺の立場的にさすがに欠席は出来ない。

 午後は、一人で伝統工芸品を扱う店への訪問。そして夜は民を招いた夜会で、しかも乾杯の挨拶が俺になっている。

「…」

 これは、無理だな。全てユリアも一緒になるし、休ませるどころか、普段よりも忙しい一日になってしまうだろう。

 こればかりは仕方がないと、ひっそり落胆を抱えた時だった。

「ランゼル」

 兄上に呼ばれて顔を上げる。

「三日目の訪問と挨拶、代わろうか」

「えっ」

 まさかの提案に固まっていると、兄上はすらすらと話し始める。

「午前中のパーティは重客を招いたものだから欠席出来ないけれど、夜会の方は招待制ではないから、不参加でも問題はないだろうし。そうしたら、午後はゆっくり出来るんじゃないかい?」

 それは、とても、とてもありがたいけれど————甘えていいのだろうか。

「ランゼルは、午後に何か予定があるの?」

 ロゼヴィアさんの問いに、兄上は首を振って答える。

「その日は、ユリアの誕生日なんだ」

「えっ…それは、ゆっくりさせてあげたいね」

 ロゼヴィアさんはそう言って、俺に笑いかけた。

「カゼルには一般公開する王宮にいてもらおうと思っていたのだけれど、別にそれは僕ら四人の誰かでなくても問題はないから…代わりに訪問へ行ってもらって、午後は休みにするといい」

 あっという間に話が進んでしまった。二人には頭が上がらない。

「すみません!ありがとうございます!」

「ふふ、ユリアと花祭りを楽しんでおいで」

 柔らかく笑ってくれたロゼヴィアさんに、もう一度深く頭を下げた。


     * * *


 手に入れた自由時間は、半日。時間としてはそれほど長くはないし、せっかくの誕生日なのだから、ちゃんと計画を立てて臨みたい。

「何しようかな…」

 遠出は難しいだろうし、ロゼヴィアさんの言ってくれた通り、花祭りを回るのがいいだろうけれど————果たして、何をしたら喜んでもらえるのだろうか。

 花祭りの資料を机に広げる。出店するお店は様々で、雑貨系や衣類、飲食など、ありとあらゆるジャンルの店が百店舗以上並んでいる。

 どれも非常に魅力的ではある、のだが。

「ユリア…物欲なさそうだな……」

 何度かユリアの部屋に入ったことがあるけれど、私物らしい物はほとんど何も置いていなかった。学校から来た時も大きくないトランク一つだけだったし、花騎士として必要な物以外の個人的な品は何も持っていないような気がする。給金を何に使っているのかも知らない。

「どうしよ…」

 何か欲しい物がないか聞いてみてもいいが、特に無いと言われる気がする。食べ物もあまり喜ぶイメージがない。豪華な食事に連れて行っても量的に辛いだろうし、かと言ってビュッフェ式のお店に行くのは立場上難しい。

「…いや、難しすぎないかこれ」

 椅子の背もたれに寄りかかって、天井を仰いだ。

 ユリアの楽しいことが、こんなにも分からないなんて。その事実に、少なからずショックを受けていた。

 結局、俺が知っているのは幼い頃のユリアだけ。庭を駆け回ったり、森を探検したり、ボードゲームをしたり、そんなふうに無邪気に遊んでいた頃のユリアしか知らないんだ。

 今のユリアのことも、これからもっと知れるだろうか。どんな物が好きで、どういう時に幸せを感じて、どうしたら笑ってくれるのか————その心が揺さぶられる瞬間を知ることが。

 でも今年の誕生日までには、もう間に合わない。だから、少しでもユリアにとって幸せな誕生日になるよう、今持っている情報で最善を尽くすしかない。

「…よし」

 幼い頃の記憶を振り返る。ユリアは何が好きだった? 何に喜んでいた? どんな時に笑っていた?

 思い出を辿っていくと、少しずつ俺の答えが見えてくる。そこに今のユリアを重ねて、プランを考えていった。

 ユリアは葡萄が好きだった。ゼリーとか、ジュースとか、そういうものに葡萄の選択肢にある時は必ずそれを選んでいたし、ランチボックスに葡萄が入っている時はお昼休みを楽しみにしているほどだった。今もそこまで好きかは分からないけれど、嫌いということはないだろう。それに、フルーツならば食事制限をしていても多少食べやすい気がする。

 騎士学校に入ったユリアへよく葡萄を贈っていて、その時に毎回お世話になっていたフルーツパーラーがある。あそこなら、頼めば融通を利かせてくれるかもしれない。

 食事はそこで済ませるとして、あとは何かプレゼントもしたい。せっかくの花祭りだし、花はどうだろう。花ならば飾るだけだから邪魔にもならないだろうし————。

 プランが組み上がっていく。考えを巡らせるうちに、少しずつユリアに楽しんでもらえるイメージもついてきた。

 それからは、空き時間を見つけてはユリアの誕生日計画を練る生活になった。

 花祭りに向けての公務も本格化して、毎日書類仕事に追われる中、その合間を縫ってこそこそ準備を進める。ユリアにバレないよう進めることにしたのは、事前に伝えて断られるのを避けるためだった。きっと真面目なユリアは花祭り中に休みを取るなんて了承しないだろうから。

 多少強引に連れていくことになるだろうから、どういう反応をされるかは少し不安だ。騎士学校に入ってからは、誕生日を祝うことなんてなかったかもしれないし、そういうのは要らないと言われる可能性もある。でも、人の思いを大切にするユリアのことだから、きっと最終的には俺のやりたいことに頷いてくれるはずだ————。

「左側、失礼しますね」

 悶々と考えながら、採寸を受ける。花祭り用に新しく服を仕立てることになったため、今日は仕立て屋の人を部屋に呼んでいた。幼い頃からずっとお世話になっている人だ。

「色はどちらがよろしいでしょうか」

「落ち着いた色であれば何でも…お任せしてもいいですか」

 かしこまりました、と言って、メジャーを仕舞い、何やら紙にメモをする。

 せっかくのお祭りですし華やかな方がいいですかね、花も飾ると思うのでレースを増やして————と話すのを聞いて、あることを思いついてしまった。

「…あの、花祭りまでにもう一着仕立てることとかって、出来たりしますか?」

「ええ、もちろん。四日間もございますものね、増やしましょうか」

「あ、いや…俺のじゃなくて」

 おや、と彼女は首を傾げた。

 こんな思いつきでいいものか。ちゃんと考えきれていないけれど、でも、思いついてしまったら欲望を堪えきれなくて。

「…ユリアのを、一着お願いしたくて」

 これはやりすぎなのかもしれない。でも、いつもの騎士服で花祭りへ行くわけにはいかないし、私服らしいものはシャツにスラックスしか見たことがないし————特別な日を過ごすのだから、衣装を用意するくらい、許されないだろうか。

「ユリア様ですか…? 騎士服はつい先月も一着追加のご依頼をいただきましたが…」

「いえ、騎士服ではなく、私服というか…ドレススーツ的なものが欲しくて————」

 幼い頃から世話になっている彼女は、ユリアのことも知っている。誕生日の話をすると、まぁ、と嬉しそうな声を上げた。

 それはとっておきのお召し物が必要ですね、と微笑んで、どんな物がいいかと色々案を出してくれた。

 形や色、装飾の量まで、細かく相談しながら決めていく。自分の物にはそこまでこだわりは無いけれど、ユリアに着てもらうとなると色々悩んでしまって、結局一時間以上も延長してしまった。しかも、気が付けば合わせる靴やアクセサリーまで、フルコーディネートでお願いすることになっていて。

「やばい…これはちょっと重いか…?」

 必ずユリア様に似合うお召し物をご用意します、と意気揚々と言って去って行く彼女を見送った後、ひとり部屋で冷静さを取り戻す。

 かなり気合いの入ったプレゼントになってしまった。他に友人と呼べる存在が居ないので、何を贈るのが一般的なのかも正直分からないのだが、これがやりすぎであることはさすがに分かる。引かれたらどうしよう。

 でも、自分の選んだ服を着るユリアを思い浮かべるだけで、頬が勝手に緩むほどに心が弾んだ。

 多少張り切り過ぎるくらい許して欲しい。八年ぶりにようやく一緒に過ごせる好きな子の誕生日なんだ。

「ユリア…喜んでくれるといいな」

 服はほぼ押し付けだが、その日の予定には色々と趣向を凝らしている。楽しんでもらえるようにと、たくさん考えてプランを練った。

 ユリアにとって少しでも幸せな日になることを願って————残る準備をするために、机に向かった。


     * * *


 ついに、祝花祭当日を迎えた。

 オープニングセレモニーに立つため、朝からきっちり着飾る。相変わらず白が基調とされた衣装ではあるものの、今回は差し色に王室色————グリーンが多く使われているため、前ほどおかしな感じではないのが救いだった。でも、全体的にレースが多くてひらひらしていて、さらに花の飾りが色々なところについているので動きづらさは相変わらずだ。

 支度が整って部屋を出ると、すでにユリアが待っていた。その装いはいつもと同じグレーの騎士服。唯一、胸元に花のコサージュをつけていた。

「…」

 ユリアは俺をじっと見つめる。着飾っているからだろうけれど、何だかちょっと気恥ずかしくて、ふざけた調子で尋ねてしまった。

「似合ってる?」

 ユリアの表情は変わらない。

「うん。…でも」

 俺の瞳を真っ直ぐに見て言った。

「なんだか、知らない人みたいだ」

「え、なんで」

 そんなに変わって見えるだろうか。化粧が濃いとか?と考えていると。

「…綺麗だから、かな」

 ユリアはゆっくりと考えるように、そんな言葉を溢した。

 その素直な感想に心臓が跳ねる。

「はぁー……ユリアってさぁ……」

「なに」

「…なんでもない。行こ」

 なんだよ、と食い下がって来るユリアを適当にあしらう。説明したってユリアにこの気持ちは分かりっこない。この天然たらしめ。

 セレモニーの会場へ向かう。客人を中庭に集め、そこに面した三階のベランダから開幕の挨拶をする予定だった。ほぼ同じ頃に他の三人も集まり、段取りを確認して定位置につく。

 ユリアたち花騎士はすぐに後ろで待機している。この花祭りの間は、常に主人の側で護衛をするのが彼らの仕事だ。

「ランゼル、準備は大丈夫?」

 ロゼヴィアさんに尋ねられ、はい、と頷く。

 カーテンが開き、セレモニーが始まった。

 音楽隊が楽器を響かせ、拍手に包まれる。見下ろす限り人だらけだ。手前に着席しているのは招待状を持った客人だが、その後ろに立っているのは全てこのセレモニーを見に来た一般民たちだ。最後尾が見えないほどに、どこまでも人が並んでいて少し驚いてしまう。

 ロゼヴィアさんの挨拶が終わると、こちらに目配せをしてきた。

 その合図を受け取って、取り出せるだけの魔力を器へ移す。目を閉じて、花が舞い散る様を心に描いた。見えない最後尾の人まで届くように、強い風で、たくさんの花びらを散らせて————。

 足元に魔法陣が光る。目を開けた。

「…」

 今、この手の中には、無数の花びらがある。そんなイメージを持って、それを投げるように手を振り上げた。

 色鮮やかな花びらが青空を埋め尽くす。わっと歓声が上がった。

「ふふ、さすが。見事だね」

 微笑む兄上に曖昧に笑い返す。こういう魔力消費が無駄に多い華やかな魔法は俺の専売特許だ。

 歓声に見送られながら中に入り、セレモニーが終わった。お疲れ様、と声を掛け合って、すぐに次の場所へと向かう。

 多忙な祭りの幕が上がった。

 今日の予定は、午前中に王宮でのパーティ、午後は兄上と共に王立劇場で観劇した後、城下街のレストランで開かれる食事会に参加して、最後は王宮に帰って魔法で花火を打ち上げる。

「いそがし〜…頑張ろ、ユリア」

 予定を確認しながらユリアに声を掛けたのだけれど、返されたのは素っ気ない返事だった。

「別に、僕は側についてるだけだから」

「立ってるだけってのも疲れるじゃん」

「いつもの公務に比べれば楽」

 確かに、命の危険はないしな。パーティや訪問は、悪魔狩りとはまた別の疲れもあるのだけれど、ずっとユリアと一緒だと思うと頑張れる気がした。

 それに、明後日という楽しみもある。よし、と気合を入れて、最初のパーティ会場へ向かった。

 ウェルカムドリンクを受け取って、会場を見渡して————すぐに一人と目が合う。

「おお! ランゼル殿下、これはこれは随分とご立派になられましたな」

「おかげさまで…ご無沙汰しております」

 微笑んで、グラスを軽くぶつける。確認せず受け取ってしまったが、飲んでみると中身はシードルだった。一日長いのに朝から酒はちょっとミスだったかもしれない。二杯目はノンアルコールにしようと心に決める。

 代わる代わる声を掛けてくれる来賓客と、当たり障りのない挨拶を交わした。常に笑みを絶やさず、朗らかに。美しい言葉を使って、所作にも気を付けて。

 社交場でのマナーは、兄上に徹底的に叩き込まれた。物腰は柔らかくおおらかに、しかし毅然とした態度は崩さず、王族の誇りを表面に出す気持ちで、意識して堂々とする————疲れるけれど、この立ち居振る舞いを教えてくれたおかげでどうにかこういった場を乗り切れているので、兄上には本当に感謝している。

「殿下、オードブルはいかがですか?」

「ありがとうございます。いただきます」

 繊細な料理が並んだプレートを受け取る。どれも美味しい。ユリアに食べさせられないのが残念だった。

 ユリアは常に俺の一歩後ろに立ち、一言も発することなくただ俺を見守っている。それが仕事なのは分かっているけれど、あまりにも視線が突き刺さるので少しだけ落ち着かない。

「…」

 ちらりとその方を見れば、案の定ばっちり目が合った。ユリアは何も言わず、視線だけで何かあったのかと尋ねてくる。

「…何でもないよ」

 話しかけたい気持ちをぐっとこらえ、ただ小さく笑いかけて再び前を向いた。世間の目がある公務中は、必要な時以外、花騎士に話しかけるべきではないと兄上から言われていた。王族としての威厳を保つためというのもあるが、一番は余計なトラブルを避けるためだ。

 ————『自分たちは常に注目されているという意識を持つこと。そしてその興味は、自分たちを取り巻く全てに向く可能性があるということを、忘れないようにね』

 身に着けるものから、交友関係まで————身の回りの物や人、その全てに皆が着目している。花騎士はその特別な役割故、良くも悪くも目立ちやすい。だから、彼らを守るために、あくまで仕事上の関係であるというふうに見せるべきだというのが兄上の考えだった。

 実際、ユリアは騎士学校で花騎士だからという理由で嫌な目に遭っていたようだし、警戒はするべきだろう。

 この花祭り期間、ずっと側には居られるけれど、ほぼ言葉を交わすことは無いのだと思うと、思わず溜め息が漏れた。

 

 一日は飛ぶように過ぎた。観劇は楽しかったし、ディナーもとても美味しいフルコースで、兄上と一緒だったのもあり話をするのも困らなかった。

 王宮に帰り、魔法で花火を打ち上げて、全ての予定が終わる。ようやく解散となった頃にはだいぶ夜も更けていた。

「お疲れ様、ユリア」

 どうだった?、と尋ねると、思わぬ反応が返ってきた。

「…楽しかった、すごく」

「え、観劇とか?」

「それもだけど…花祭りにちゃんと参加したの、初めてだったから」

 あんなにたくさんの人が楽しんでいるなんて知らなかった、街中が賑やかで胸が躍った————そんなことを語るユリアに目を奪われる。

 瞳が、宝石のように輝いている。まるで、あの頃のように。

「それと…王族は、本当にみんなに愛されているんだなって、思って」

 ユリアの話は、とめどなく続く。

「今日、たくさんの人から感謝を伝えられるランゼルを側で見て…僕らの戦いは、みんなの生活を守るためのものなんだって、あらためて思い知らされたというか…」

 思い知らされた、という言葉選びに引っかかっていると、ユリアは、眉を寄せて笑った。

「…ただ課せられた責務を果たすためだけに悪魔狩りをしてた自分が、浅はかで恥ずかしくなった」

「そんなふうに思うことないよ」

 考えるより先に、否定が口をついて出た。

 だって、ユリアがその身命を賭して戦っているという事実は変わらない。恥ずかしいだなんて、そんなことを思って欲しくなかった。

「ユリアが皆の命を守っていることは本当なんだから。俺だけじゃなくて、ユリアも今日はたくさんお礼を言われたでしょ」

「…うん」

 ユリアは小さく頷く。

 それから「ありがとう」と囁くように言って微笑んだ。



 二日目も、滞りなく全ての予定が終わった。

 今日はパレードがあり、露天が並ぶ大通りを歩いたのだけれど、その華やかな花祭りの景色を眺めるユリアは昨日と同じように目を輝かせていた。これならば明日も喜んでくれるかもしれないと、俺は一人心を弾ませた。

 今日は、花騎士の公開手合わせもあった。容姿でとやかく言われがちなユリアの腕を直接見てもらえるこの場を、俺は密かに楽しみにしていたのだけれど————俺の想像を遥かに超えた反応を得ることが出来た。

 闘技場に立つユリアは誰と比べても明らかに小柄で、特に身長も高く扱う武器も大きいガーバラさんやネモと対峙すると、あまりにも勝算は薄く見えた。

 しかし、総当たり戦での手合わせの結果は、フレジアさんのみが全勝で、他の三人はほぼ互角。勝利数だけ見ると、僅差ではあるものの三人の中ではユリアが一番多かった。ユリアの戦いぶりに感嘆の声が上がるのが気持ちよくて、俺は一人得意げになっていた。

 それにしても、フレジアさんは頭一つ抜けている。他の三人との差は、安定感から来る余裕だろうか。ユリアが一本取れそうになった瞬間もあったのだが、瞬時に体勢を整えられて叶わなかった。判断の早さや、手札の多さもフレジアさんの強みなのだろう。

 手合わせが終わってからのパーティでは、ユリアの戦いを誉めてくれる客人も多かった。ユリアは最低限しか口を開かないし、その表情も大きく変わったりはしなかったけれど、嬉しそうに会釈を返していた。

 そして、ついに迎えた三日目。俺にとっては、今日こそが運命の日だ。

「…よし」

 用意された衣装に着替え、使用人を呼んで髪を結ってもらい、支度を整えてから隣の部屋のドアを叩く。

「ユリア!」

 すぐにドアが開いた。

 いつも通り騎士服を纏ったユリアが現れる。その存在が、今こうして側に居てくれることに感謝しながら、お祝いの言葉を口にした。

「誕生日、おめでとう」

「…え」

 ユリアは目をぱちりと瞬いて。

「あ…今日か…」

 カレンダーを振り返って、呟いた。

 ちくりと胸が痛んだけれど、心を込めて、そっと頷く。

「…うん、今日だよ」

 そんなものかもしれないとは、思っていた。

 やはり、もう何年もお祝いなんてしていないのだろう。誕生日の特別感なんてものはなくなってしまっていても不思議ではない。

 でも、ユリアにとってそうでなくとも————俺にとっては、とてもとても大切な日だから。

 その手を取って、指先に口づける。

「素敵な一年になりますように」

 祈りを込めて囁いた。

 ユリアはこくりと息を飲んで、それから小さく口を開く。

「…ありがとう」

 行こうか、と言うと、ユリアは頷いた。一緒に部屋を出て、今日の最初の予定へ向かう。

 今日という日がユリアにとって、少しでも特別なものになりますように。午後からの時間に思いを馳せながら、一つ息を吐いた。


 パーティが無事終わり、その時が来た。

「ランゼル、ユリア、お疲れ様」

 ロゼヴィアさんがにこやかに声を掛けてくれる。その時点で、あ、と思ったのだけれど、少し遅かった。

「もうここは大丈夫だから、行っていいよ。後のことは気にせず、二人で楽しんで来てね」

 ロゼヴィアさんの言葉に、ユリアは不思議そうな顔をした。それを見て、ロゼヴィアさんははっとした顔をすると、申し訳なさそうに俺を見た。

「ごめん、秘密だった…?」

「あーいや…サプライズというより、事前に伝えて断られないように言ってないだけなので、お気になさらず…」

「え、なに…? どういうこと?」

 いいからいいから、とユリアを軽く宥めて、ロゼヴィアさんに頭を下げつつその場を去る。

「ちょっと、ランゼル————」

「俺たちの仕事は今日はこれでおしまいなの。だからちょっと付き合って」

 自室に着き、ユリアを促して中に入れる。

 そこで待ってて、と伝えて、クローゼットの中からプレゼントボックスを三つ取り出す。服の入った平たい箱と、靴の入った大きめの箱と、アクセサリーの入った小さい箱だ。

 こう見ると大層な物に見えるので、やっぱりちょっとやり過ぎたなと思うけれど、もうここまで来たら渡すしかない。

「これに着替えて!」

「え、ちょっと何これ、着替えって…」

「お願い!着方分かんなかったら言って!!」

 箱をユリアに押し付け、無理やり隣の部屋に押し込む。

 ドアを閉めて、ふぅ、と息を吐いた。

 完成した服は俺も見ていない。でもきっと、あの人が仕立ててくれたのだから素敵な物になっているはずだ。期待感を胸に、自分も着替えをする。花祭り用に仕立てたこの服では目立ち過ぎるだろうから、お気に入りのオリーブグリーンのセットアップを引っ張り出して着替えた。

 椅子に座って、ドキドキしながらユリアが着替えてくるのを待つ。

 五分ほど経っただろうか。ドアが、小さく開いた。

「…!」

 勢いよく椅子から立ち上がってしまい、ガタンと音が鳴った。

 ドアは躊躇いがちに開いて————着替えを済ませたユリアが、姿を現した。

 グレーがかったアイスブルーの、セパレートタイプのロングコート。ベルトで締めた腰から広がる裾のラインが美しく、ユリアのスタイルにもぴったりで。

 は、と思わず溜め息が漏れる。

 当の本人は、困惑したような顔をしていた。困らせてしまったのは申し訳ないけれど、でも作ってもらって良かったと、心から思った。

「よく似合ってる」

 全体的に薄くて優しい色味が、ユリアの綺麗な金髪に合っている。やっぱり、こういう明るい色が似合うと思っていたんだ。

 未だ戸惑った様子のユリアが、小さく呟くように問いかけてきた。

「サイズ、ぴったりなんだけど…わざわざ仕立てたの…?」

「俺の服をお願いしてる時に思いついちゃってさ」

 ユリアの方へ駆け寄って、その手を取る。

「今日は、特別な日だから」

 俺にとって、一年で一番大切な日だ。

 笑いかけると、ユリアの瞳が丸くなる。それから、じわりとその頬が染まった。

 恥じらうように視線を逸らし、ユリアは反対の手に持っていた物を俺に差し出す。

「これだけ、分かんなくて…これって髪飾り?」

 可愛くて、笑みが漏れてしまう。気付かれると機嫌を損ねそうなので、必死に堪えながら返した。

「かして、つけてあげる」

 いつも耳に掛けている髪を少しだけとって、指先でくるくると捻る。細くて柔らかい髪だ。ユリアは気まずそうに視線を落としているものの、されるがままでいるのが愛おしい。

 少し屈めばキス出来るような距離。そんなことは、絶対にしないけれど。

 ユリアは、俺がそういう感情を抱いていると知っていて、それでもこうして側に居てくれている。俺のことを、友人として好いてくれている。

 それはきっと、信頼があるからだ。

 親友として過ごした過去から続くそれを、俺は絶対に裏切ってはならない。

 耳の上あたりに、造花の髪飾りを留める。

「…はい、できた」

 ちらりと上目遣いで俺を見て、ありがとう、と囁くユリア。その顔が、あまりにも可愛くて。

「…うん、可愛い」

 思わず、言葉が漏れてしまった。

「可愛いってなに」

 案の定、ユリアはむっとする。ごめんごめん、と謝って、咳払いをして仕切り直しをする。

「じゃ、今から花祭りに遊びに行こう!」

「遊びにって…僕はともかく、ランゼルが行ったら騒ぎになるだろ」

「それは魔法で誤魔化すから大丈夫。得意なんだよね、変装の魔法」

 何それ、と言うユリアは胡散臭そうな顔をしていたけれど、本当に効果抜群だ。これを使って何度も街に遊びに行っているけれど、一度もバレたことはない。

「目と髪の色を変えるの」

「それだけ?」

「それだけ」

「…それ、普通にバレない?」

 大丈夫と返して、魔法をかける。変わってないけど、と言うユリアに、ユリアにはいつも通り見えるようにしていると伝える。こんな細工が簡単に出来るのも、刻印のおかげだ。

「本当に効果あるの…?」

「心配性だなぁ。ほら、鏡見てごらん」

 ユリアが鏡を覗き込み————そして、あっと声を上げた。

「変わってる…」

 魔法の効果が外れるのは直視している時のみなので、今みたいに鏡越しだったり、カメラを通したりすると、皆と同じように見える仕組みだ。

 変装についてはとりあえず納得してくれたものの、剣を持っていくと言って聞かないユリアとまた一悶着があった。

 仕事じゃないんだから、そんなの持ってたらすぐにバレるから、そう言ってもなかなか頷いてくれなくて、プライベートだろうが護衛であることは変わらないとか何とか、とにかくユリアの真面目なところを論破するのが大変だった。結局十分ほど言い合いをして、ナイフを隠し持つというところで着地した。

 ようやく部屋を出る頃には少し予定よりも時間が押していて、ユリアを急かすようにして車に乗り込んだ。

 街に辿り着く。礼を言って車を降り、ユリアの手を取った。

「よし! じゃあ最初はこっち!」

 大きな花のアーチが並ぶ華やかな道を進むと、噴水広場にたどり着く。ぐるりと立ち並ぶ花屋の店先には、色とりどりの花が咲き乱れていた。見渡す限り花が飾られたその景色はとても綺麗で————ユリアは、目を見張ってしばらく立ち尽くしていた。

「花、プレゼントさせて」

 その手をそっと引いて、店の方へ誘う。しかし、ユリアは遠慮するように言った。

「いいよ、もうプレゼントはもらったし————」

「それは俺の自己満だから」

 花祭りには、大切な人へ花を贈る習慣がある。花に想いを込めて、家族や友人、恋人に花を渡す。毎年俺も兄上に渡しているし、騎士学校にいるユリアにも送っていた。きっとユリアは、花祭りだからなんてことには気付いていなかっただろうけれど。

「俺が、ユリアに贈りたいんだ」

 今年は、初めて直接渡せる。それがどれだけ幸せなことか。もはやこれも、ユリアのためというより、俺の願いを叶えるために贈ると言ってもいい。

 店に着き、どれがいい?、とユリアに問いかけた。

「…」

 ユリアは溢れんばかりに飾られた花をじっと見つめている。何色を選ぶのだろう。その気持ちが固まるのを待っていると、不意に俺の方を見上げて。

「プレゼントなら、ランゼルが選んで」

 そう、俺を見上げて小さな声で言った。

「………分かった」

 深呼吸を一つ。

 本当に、勘弁して欲しい。

 これで何にも意識してないんだもんな。俺じゃなかったら確実に勘違いする。気を付けろって言った方がいいのかな。

 悶々とそんなことを考えながら、花を選ぶ。瞳の色に合わせた薄い紫とかもいいけれど、でも、やっぱり。

「これ、三本お願いします」

 ご自身で選びますか、と尋ねられ、せっかくならばと自分で三本選んで店員さんに渡すと、綺麗にラッピングしてくれた。

 お金を払い、店を離れてから、それをユリアに渡す。

「はい」

「…ありがとう」

 ユリアの手に渡った白い薔薇の花束。白が似合うとずっと思っていたけれど、やっぱりよく似合う。

 ユリアは花束を見て、小さく笑った。喜んでもらえてよかったと安堵しながら、再びその手を取る。

「じゃ、次のところ行こ!」

「うん」

 顔を上げたユリアは思いの外嬉しそうな顔をしていて————その笑顔に、胸がきゅっと締め付けられる。

 また笑ってくれるようになって、本当に良かった。今日のこの時間だけでも、全部忘れて楽しいことだけ考えてくれることを願って止まない。

 次の目的地は、フルーツパーラーだ。慣れた通りを進んで、店に辿り着く。

「お待ちしておりました、殿下」

 俺を見るなり店主が出迎えてくれた。毎回こうして変装してこの店に来ているので、もう分かっているというだけなのだけれど、隣に居たユリアは緊張を露わにした。

「顔馴染みのお店だから。大丈夫」

「…」

 どう振る舞うべきか迷っているのだろう、ユリアは何も言わずただこくりと頷く。

「いつも通りでいいよ。リダさん、こちらがユリアです」

「ええ、もちろん存じておりますよ。ご立派な花騎士様ですね」

 彼は優しく微笑むと、「お会い出来て光栄です」と言ってユリアへ恭しく礼をする。ユリアは驚いたような顔をして、それから礼を返した。

 二階のテラスに案内してくれた。俺たちのために用意してくれた特別席だ。そこに向かい合うようにして座り、落ち着いたところで疑問を口にした。

「なんでさっきびっくりしてたの?」

 ユリアは少し困ったような顔をして言った。

「立派なんて、言われたことなくて」

 この見た目だから、と小さく付け足したユリアに、思わず前のめりになってしまう。

「誰が何と言おうと、ユリアは立派だよ」

「いや、別に気にしてるわけじゃないから————」

「俺は、花騎士がユリアで良かったって思ってる」

 ユリアは小さく息を呑む。

 それを見て、俺もはっとしてしまった。

 俺の花騎士がユリアで良かった————それは言ってはならないことだと、ずっと思っていたから。

「あ…これは、その」

 花騎士に選ばれたせいで苦しめられていたユリアを、俺が肯定することだけは絶対にしてはならなかったのに。

 弁明したい。でも、なんて言えばいいんだ。単に否定するのは違う。だって、あれは紛れもない俺の本心だ。

 言葉に迷う俺に、ユリアは静かな声で言った。

「…なら、よかった」

 その声は温かくて。気分を害した様子はなかった。

 ユリアは、どう思っているのだろう。

 花騎士になって良かったとは、さすがに思ってないだろう。辛い思いをして花騎士になったのだから、喜ばれた方がマシ、とかだろうか。でも、何だかそこまで否定的な感じもしない。

 聞いてみたい。けれど、嫌な思いはさせたくない。せっかくの誕生日なんだから、楽しい話だけをしていたかった。

 結局、それ以上の追及は避け、他愛無い話に戻した。テラス席からは賑やかな花祭りの様子が見えるので、それを眺めながら言葉を交わした。

「お待たせいたしました」

 運ばれてきたのは、事前にお願いしていた物だった。

 大ぶりの葡萄がカゴに二房と、プレートの小皿にも数種類の葡萄。色々な葡萄が楽しめる盛り合わせにして欲しいとお願いしたのだが、思っていた以上に種類があって俺も心が躍る。

 リダさんが一つ一つ品種を説明してくれて、ユリアも興味深そうにそれを聞いていた。

「葡萄酒などはいかがでしょうか? 良い物が入っているので、よろしければと思いまして」

 そういえば、ユリアがお酒を飲んでいるところは見たことがない。もしやアルコールに弱いのではと思い、酒は飲めるのかとユリアに尋ねようとして————毒に慣らされているくらいなのに、酒に慣らされていないわけはないなと思い至り、質問を変える。

「ユリア、葡萄酒好き?」

「好き…だけど、飲酒は…」

「今日はいいんじゃない? ね?」

 ユリアは困ったように眉を下げる。強引に話を進め、赤と白ならどちらが好きかと尋ねると、躊躇いながらも赤と答えてくれた。

「じゃあ俺は白にしようかな。一杯ずつお願いできますか?」

「もちろんでございます。すぐにご用意いたしますね」

 彼が去って行ってから、ユリアはふっと笑って、ありがとう、と言った。

「ほら、食べてみて」

 促せば、ユリアは葡萄を一つ手に取り口に入れた。

「…!」

 目を輝かせる。あまりにも分かりやすいその表情に、思わず笑みが溢れてしまう。

「葡萄好き?」

「うん」

 ユリアは頷いて、次の一粒を手に取る。

 ぱくぱくと美味しそうに食べるユリア。それを見ているだけで、胸が苦しくなるほどに幸せだった。

 この時間がずっと続けばいいのに。

 幸せなことだけに囲まれて生きてほしい。その未来を摘み取ったのは、他でもない自分だけれど。

「…食べないの」

 ユリアは少し気まずそうな顔をして、食べる手を止めた。慌てて、俺も葡萄に手を伸ばす。

 瑞々しい葡萄だった。芳醇な香りが、口いっぱいに広がる。

「ん! 美味しいね」

 うん、とユリアは頷いて、再び葡萄を食べ始めた。

 本当に好きなんだろうな。可愛いな。こんなに好きなら、いつでも食べられるように用意してあげたいけれど、それはやりすぎかな。

「果物は好きなだけ食べていいの?」

「ん…いや、果物も糖質は高いから無制限ではないけど…でも、普通に食べるくらいなら、大丈夫」

 食べ進めていると、リダさんが葡萄酒を持ってきてくれた。

 銘柄の説明をして、テーブルにグラスを置き、それぞれ注ぎ入れる。そして、大きなプレートをテーブルに置いた。

「お酒のあてに、よろしければどうぞ」

「わ…! ありがとうございます!」

 チーズやオリーブがいくつか乗った、お洒落なプレート。事前にユリアの食事制限については伝えていたからだろう、そこにはシンプルな酒の肴が並んでいた。

 気遣いに感謝しながら、葡萄酒とともにそれを戴く。どれもとても美味しくて、ユリアも嬉しそうに食べていた。

 二人で葡萄酒を飲みながら、美味しいものを食べて、笑い合う————こんな幸せが許されるなんて、思いもしなかった。

 何度でも幸せを噛み締めてしまう。ユリアを愛おしく思う気持ちと一緒に。

 日が暮れてきた頃に全て食べ終えて、お店を出た。それからは、二人で露天を見て回って、ユリアが興味を示した店で足を止めた。大体が小さな置物などを扱った雑貨屋で、こういう物が好きなのかとまた一つユリアのことを知れた気がして嬉しかった。

 時間はあっという間に過ぎ、気が付けばすっかり夜になっていた。

 そろそろこの夢のような時間も終わりだ。

 あまりにも楽しくて、不意に名残惜しさゆえに溜め息が溢れそうになるのをぐっと堪える。

 最後の場所へ、ユリアを連れて行く。路地を入ったところにある、今は使われていない建物だ。外に設置された螺旋階段を使って、屋上へのぼった。

「なんでこんなところ知ってるの」

「たまにね、一人で来てたんだ」

 自分の非力さを嘆きたくなった時。ユリアへ思いを馳せる時。そんな、一人で少し静かに過ごしたい気分の時に、ここへ来ていた。

「ここからだと、花火がよく見えると思うんだよね」

 今日花火を打ち上げるのはロゼヴィアさんだ。これも本当は俺の仕事だったから少し申し訳ないけれど、楽しませてもらおう。

 ほどなくして、暗い空に大輪の花が咲き始めた。眩しいくらいに、空が明るく光る。

 遠い賑やかな歓声を聞きながら、それを見上げた。この花が散った時が、今日の終わりだ。そしてその時は、もうすぐそこまで来ている。

 明日からも、ユリアは側に居てくれる。俺を友人として慕い、俺の花騎士として共に戦ってくれる。

 分かっていても、寂しさは拭えない。

 ちらりとユリアの方を見ると————その目も、こちらを見ていた。

「…!」

 目が合って、驚きに固まってしまう。

 そんな俺を見て、ユリアはくすりと柔らかく笑った。

 そして、俺の贈った花束を大事そうに抱えて口を開く。

「ありがとう、ランゼル」

 光に照らされたユリアの顔はとても綺麗だった。

「すごく楽しかった」

 糸のように目を細めたその笑顔に、心が激しく揺すぶられる。

「っ…」

 ああ、好きだな。どうしたって、ユリアが好きだ。

 感情が溢れ出す。

 望まないなんて無理だ。

 やっぱり、ユリアの特別になりたい。

 触れたいし、キスがしたい。ただの友人じゃ、全然足りない。

 でもダメだ。これ以上を望んだら全て失う。

「…良かった。喜んでもらえて」

 抱き締めたい衝動を抑え込んで、何とかそう口にしたのに。

「————うん、本当に嬉しかった」

 ユリアは両手を大きく開いて————そのまま、俺の身体に腕を回した。

「…!」

 一気に体温が上がる。熱さに、頭が茹る。

 本当に嬉しかった————このハグは、その言葉通りの意味なのだろう。友人に対して、感謝と喜びを伝えるためのハグ。

 分かってる。分かってるけど、でも、俺はどうしてもそれだけにはなれない。

「…」

 ユリアの身体に腕を回して、そっと背中に手を置いた。

 もう一度、好きだって伝えたい。でも、もうユリアを困らせたくない。

 側に居て欲しい。今日みたいに、無邪気に笑って欲しい。そのためには、俺は友人でいなくてはならない。

 感情が絡まる。行き場のない愛おしさをどうすればいいか分からなくて、腕に力が込もった。

 隙間がなくなるくらい、強く、強く抱き締めて————それから、ゆっくり腕を解いた。

 一歩下がって、距離を取る。友人として、正しい距離に戻す。

「また、来年も祝わせて」

 ユリアは、きっと俺の感情に気付いた。そんな顔をしていた。

「…うん」

 頷く声と同時に、最後の花火が散った。


     * * *


 四日目も予定通りに進み、花祭りは無事に幕を閉じた。

 働き詰めだったからと翌日は休みになったが、これと言ってやることはない。結局、部屋で本を読んだり、魔法の練習をしたり、ベッドに寝転んで微睡んだりして時間を過ごした。

 ユリアは相変わらず朝から出て行ったけれど、夕方になって帰ってきた。最初に兄上の部屋の方に行った後は訓練場に居たので、フレジアさんと鍛錬でもしていたのだろう。…これは契約による不可抗力で、断じてユリアの行動を把握するために居場所を認識していたわけではないと、誰にともなく言い訳をする。

「…あ、そうだ」

 三日目の帰り道、花瓶がないと溢したユリアに、貸すと言ったことを唐突に思い出す。あれからもう二日も経ってしまったけれど、どうしているのだろう。

 催促しに来なかったということは、適当なコップにでも挿しているのかなと思いつつ、花瓶を持ってユリアの部屋のドアを叩いた。

「どうしたの」

「すっかり忘れてたんだけど、花瓶使う?」

「え?」

 ユリアはぱちりと目を瞬いて。

「あ…えっと」

 それから、視線を泳がせた。

 その様子から、何かあったことを察する。枯らしてしまったとかだろうか。四日目も忙しかったし仕方がない。たった一日放置したくらいでは、飾れないほど萎れたりはしないような気もするけれど。

 何にせよ、気にしなくていいと、そう言おうとした時だった。

「その…ずっととっておきたくて…花屋に送って、プリザーブドフラワーにしてもらうことにした、から…花瓶は、大丈夫」

 ユリアは途切れ途切れに言った。

「え……」

 雷にでも打たれたような衝撃に、言葉を失う。

 ずっと、とっておきたくて。

 俺のあげた花を。ずっと手元に置いておくために、プリザーブドフラワーに。

「…そ、か」

 喉がカラカラに乾いて上手く声が出ない。

 ユリアは気恥ずかしそうに目を伏せて、こくりと頷いた。

 どくどくと心臓が高鳴る。ダメだ、もう、勘弁してくれ。

 気に入ってくれてよかった、届いたら見せて、そんなことを早口に伝えて、ドアを閉めた。少し乱暴だったかもしれないけれど、許してほしい。心の余裕が全くない。

 そのままその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。

「もう無理…かわいすぎる…」

 これって普通なのか? 同性の友人にもらった花束をプリザーブドフラワーにするのって普通? いや、そもそも同性の友人が花束を渡すというのが普通じゃない、のか?

 ユリアしかまともに友人の居なかった俺には難題過ぎる。考えても分からなくて、動悸は全然治らなくて————居てもたっても居られず、俺は助けを求めて部屋を出た。

 向かう先なんて、一つしかない。

「兄上…」

「おや、ランゼルもかい?」

 出迎えて開口一番に言われた言葉に首を傾げる。

「俺もって…?」

「今朝はユリアが来てね。少し話をしたんだ」

「えっ」

 フレジアさんではなく、兄上に会いに行っていたのか。予想外のことに驚いていると、兄上はくすりと笑った。

「ふふ、ではランゼルの話も聞かせてもらおうかな。こちらにおいで」

 部屋に招き入れられ、ソファに腰掛ける。フレジアさんは居なかった。

「ユリアとは、何の話を…?」

「私に相談なんて、一つしかないと思わないかい?」

 う、と言葉に詰まる。やっぱり、そうなのか。

 俺のことですか、と聞けば、兄上は優しく頷いた。

「詳細は話せないけれど…ユリアも、ランゼルのことをたくさん考えていたよ」

「…」

 嬉しい。でもきっと、それはユリアを悩ませてしまっているということでもある。

「それで、ランゼルは何を話しに来たのかな」

 兄上の問いに、答えを迷う。

 ここへ来たのは衝動的で、どうしようもない思いをどこかに吐き出したいという程度の気持ちしかなかったのだけれど————ユリアが兄上に相談するほど悩んでいるというのなら、その解決に繋がるような話がしたいと思った。

 兄上の目を見て、思いを言葉にする。

「…ユリアのことが、好きなんです」

 うん、と柔らかく頷く兄上。

「でも、ユリアの幸せが一番だから…望みが叶わなくてもいいって、思っていて」

 ユリアが友人を俺に望むのなら、それを叶えてあげたい。それは紛れもない本心だ。でも、本質的にそうなるのは、もう無理なんだと分かってしまった。ユリアのことを好きだと思う気持ちは消せないから、どうしたって友人のフリにしかならない。ユリアと同じ気持ちで接することは、もう不可能だった。

「ユリアも、たぶんそれに気付いていて…だから、困ってるんだと思うんです」

 ただ友人として側に居たいのに、それ以上の思いを向けられて。

 自分のせいで気に病ませるのは、絶対に、嫌だった。

「…最近、また笑ってくれるようになったんです」

 兄上はただ相槌を打った。

 俺は心の懺悔を曝け出すように、ただ吐露を続ける。

「あの笑顔を大切にしたい…それを曇らせることは、もう絶対にしたくない」

 騎士学校に入って、ユリアから笑顔が消えていったあの頃の記憶は、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。その瞳から光が消えてしまった時の絶望だって、片時も忘れたことはない。

 どうすればユリアを幸せに出来るか、それだけを考えて生きてきた。それだけが、ずっと俺の望みだった。

「これは…ユリアを花騎士に選んだ俺の、果たすべき責任だと思っています」

 兄上は俺の目をじっと見返して、静かに微笑んだ。

「なら————もし、ユリアを花騎士に選んだ時に戻れたら、ランゼルはどうする?」

「え…」

 あの時に、戻れたら。

 あの選択を、変えることが出来たのなら。

 ————『僕を選んだこと、後悔してるの』

 いつだったか、ユリアに投げられた問いが重なった。

 あの時俺が何も答えられなかったのは、自分の気持ちが分からなかったからだ。

 後悔してないとおかしい。だって、そのせいでユリアをあんなにも苦しめたのだから。でも、どうしてか頷けなかった。

 今ならば、その理由が分かる。

 だって、結局、俺は。

「…ユリアを、選びます」

 この未来を選択してしまうから。

「その選択がどれだけユリアを苦しめるのか分かっていても…今の幸せを、俺はもう手放せない」

 ユリアが花騎士として側に居てくれること。笑いかけてくれること。この日々はあまりに幸福だった。

 なんて自分勝手で強欲なのだろう。嫌気がさすけれど、でも————。

「それが、ランゼルの答えというわけだ」

 兄上の言葉に、頷くことしか出来なかった。

 結局、俺は俺の幸せを捨てられない。本当にユリアのことを思うのなら、愛しているのなら、最初から花騎士になどしないのが正しい選択なのに。

「…」

 俯いていると、ランゼル、と優しく名前を呼ばれた。

 顔を上げる。兄上の美しい双眸がこちらを見ていた。

「ユリアは、ランゼルとは違って答えをまだ見つけられていない」

 心の整理は出来ているのに、自分の思いとも向き合えているのに、ずっと同じ場所で迷っている————兄上は、そう語った。

「ユリアはとても理性的で、頭が良い。だからこそ、論理的に説明がつかないことにぶつかるとどうすればいいのか分からなくて、立ち止まってしまうのだろうね」

 何となく、言わんとしていることは分かる気がする。

 理解する能力が高いから、何でも理解しようとしてしまう。それが足枷になっているということなのだろう。

「おそらく、今のユリアは、感情に囚われて身動きが取れなくなってしまっている」

 感情に囚われる。身動きが取れない。

 具体的に何を指しているのか分からず困惑していると、兄上はにこりと微笑んだ。

「きっと、ランゼルなら、それを解いてあげられるよ」

「でも、どうやって————」

 ————『たぶん、君が壊さないと何も変わらないよ』

 唐突に、その言葉が脳裏に蘇った。

 壊すという物騒な表現が、今は妙に腑に落ちた。

 ユリアの長所である理性的な思考は、時にユリアを縛り付ける。それを、今は無理やりにでも壊す必要があるのかもしれない。

 ユリアがどういう感情に囚われているのか、どうしてその正体まで分かっているのに論理的に説明が出来ない状態なのか————分からないことだらけではあるけれど、それを打開することが俺に出来ると言うのなら。

「…ユリアのところに、行ってきます」

「うん。話をしておいで」

 兄上に背中を押され、部屋を飛び出した。

 ユリアはまた訓練場に行ったようだった。ここからだと少し遠い。

 早く、話がしたかった。

 ちゃんとその声を全部聞かせてほしい。俺も、全部話すから。罪悪感がずっとあること、幸せになってほしいと思っていること、それでも手放せないこと、そして何より————ユリアを、心から愛してること。

 俺も聞かせたくないこともあるし、ユリアも聞きたくないこともあるかもしれない。それでも、全部ぶつけよう。

 ずっと逃げてきた感情と向き合う時が来た。これは、俺にとっても、ユリアにとっても、きっと前に進むために必要なことだ。

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