第3話
「子供の頃から、自慢できることがなかったんですよね。何にも。勉強も運動も、面白い話だってできないし、流行に敏感ってわけでもなくて、容姿も見ての通り冴えない感じで、ずっとずっと、毎日毎日、毎分毎秒、誰かに劣等感を抱きながら生きてきました」
クラスの中心にいることはなくて、いつも端の方で自分は談笑しているクラスメイトの一員であるという細やかなアピールをするだけで、注目を集めようともしなかったし、緊張しいでもあり赤面症だったりもしたので、注目されると逆に何も言えなくなってしまう子供だった。
「だから、学生時代で楽しい思い出はひとつもありません」
ひとつくらいは誰にでもあるだろうと言われるかもしれないけれど、本当にひとつも思い当たらない。ひとつも。話す相手はいたけれど、友達はいなかった。学校では話し相手はいたけれど、休日は誰とも遊ぶことはなかったし、こちらから誘うこともなく、相手からも誘われない。
義務教育を終えて、高校に進学しても、大学生になっても、その状況は変わらなかった。
自分から行動を起こさないからだと叱られそうだけど、でも、俺みたいなユーモアの欠片もない、センスの欠片もない人間が、積極的に交友関係を広げていこうとするなんて烏滸がましいと思っていたから、日常会話だけならできるけど、いつも遠巻きから楽しい学校生活を満喫している奴らを見ていた。
「仕事を始めてからもそれは変わりませんでした。場所が変わっただけで、自分の無能っぷりは全然……」
むしろ、自分が如何に無能であるのかということをまざまざと思い知らされたようなものだ。
初めての就職先は、企業相手にソフトウェアを売る営業の仕事だった。
相手がこちらに対して好意的だったらまだ話すことはできるけれど、大抵はあまり興味がなさそうに適当な相槌しか打たないし、「何言ってんだかわかんねーよ」とか「なんでちゃんと説明できないのに売り込み来てんだよ」とか、攻撃的なことを言われると、俺は何も言えずに涙が浮かんできて、ただ無言で頭を下げることしかできなかった。
当然売上はゼロを更新し続け、居づらくなってしまったので三ヶ月程で退職した。最後まで自分が何を売っているのかさえ理解していなかったことが情けないとも思ったし、でも同時に俺はこんなもんだからしょうがないんだろうなと自分の能力の限界を感じていた。
それでもめげることなく、次は寝具メーカーに勤めることができた。
大手だったこともあり、CMをバンバン打っているメーカーだったので、商品は客も何となくでも知っていたし、説明する手間が省けてよかったと思っていたけれど、ここでも俺は躓いてしまう。
簡単に言うと、上手く接客ができず、客からのクレームが何度か入った。その内容は、商品知識が希薄なのと、表情が固くて怒っているのではと感じた等だった。更に、他の社員とのコミュニケーションも苦手だったこともあって、お局様的なおばさんを中心にいじめを受け始めた。
我慢してやっていれば慣れてくるだろうと強引に楽観視してたつもりだけど、やっぱり我慢できずに三ヶ月くらいで退職した。
その後はいくつか職場を転々としてきたけれど、どこに行っても俺は無能を実感させられただけだった。
運送業では配達物の紛失や誤配送、挙げ句事故を起こしてしまい、もう社員は諦めてバイトや派遣に切り替えた俺は次にルーチンワークがメインであると思われる工場やカジュアルな場での接客業を選択した。でも俺は当然上手く仕事を熟すことができず、ライン工をやれば一日に何度もミスをしてしまい、キレた上司に殴られるし、清掃員でもファミレスでもコンビニでも、全ての場所で無様な姿を晒してきた。
もう働くのも嫌になって、引き籠もりたくもなったけれど、一人暮らしをしているからには生活費を稼がねばならない。
最後に俺が選んだバイト先はプールの監視員だった。
小学生の頃にスイミングスクールに二年程通っていて、最低限の泳法は全てマスターしているし、監視員だったら緊急時に対応すればいいだけだろうから、基本的には接客することもないだろうと考えたからだ。
実際働いてみると、想像通りに緊急性のある出来事は起きず、背の高い椅子に座りボーっとしていることが殆どだった。
他のバイト達は俺よりも若い男女が多くて、俺はそこにも溶け込めずにいたけれど、もう諦めているから無理して仲良くなろうとも思わなかった。そこは市の温水プールだから冬場もやっているし、当分はここでヌクヌクと働いていこうと決めた矢先、客の揉め事に巻き込まれ頭の悪そうな若い男に殴られてしまう。「揉めているので助けてほしい」と客の一人に連れて行かれた先には、これ見よがしにタトゥーを入れた金髪の男三人が女子高生っぽい女の子に絡んでいた。
うちのプールはタトゥーの人は断っているので、その旨を伝えてやんわり帰るよう促した俺に「他のプールでは禁止されてねーぞ」と一番馬鹿そうな男が突然殴りかかってきて、その後は三人に何発か殴られて奥歯が折れてしまう。他のバイトが警察に通報したお陰で何とか助かったが、その数日後の仕事中、いつものように椅子に座りボーっとしていたら、溺れている子供に気付かずにいて、結果、その子は亡くなってしまった。
訴えるという母親を上司が何とか宥め賺して、結局訴えられることはなかったけれど、その上司は誰もいない所で「マジ死ねよ、おめー!」と叫びながら俺を殴りまくった。
「今は監視員やってるってさっき言いましたけど、ほんとはその後クビになったんです。殴られた怪我が治ってからまた仕事探さないとなってその時は特に深く考えてなかったんですけど、顔の腫れが引いてくるにつれて、もうどこに行ってもこんなことになるなら働かなくていいよなって思って」
俺は気付いた。
俺はいるだけで迷惑をかける人間なんだ――と。
無能な俺は、誰かを不快にすることしかできない人間なんだ――と。
「俺、思うんですよ。よく、『死ぬべき人間なんて一人もいない』みたいな、耳障りの良い言葉がドラマとか漫画とかで使われるじゃないですか。でもあれ、嘘なんですよね。生まれてきちゃ駄目だった奴って、実際いるから」
そう、生まれるべきではなかったんだよ俺は、そもそも。
誰かに迷惑をかけることしか出来ず、俺自身も嫌な思いをして、痛い思いをして、日々生きていくのに精一杯の金額しか稼ぐことができない俺が生きてて何になるんだ。
「死ぬべき人間だから死ぬ。自分が如何に生きていてはいけない人間なのかを思い知らされてきたから、だから死ぬんです」
こんなに明確で簡潔で否定しようのない自殺の理由ががあるだろうか。
毎回履歴書の志望動機欄を書くのが苦痛だったことを思い出し、これから自殺しようとしている死亡動機はこんなにも簡単に思い浮かぶんだなと苦笑してしまう。
「それだけです。長々話しましたけど、俺の人生はクソでした。俺はクソ野郎でした。だから今日はここに来て、死ぬことにしたんです」
恐らく大野さん以上に猫舌な俺でも一気に飲み干せるくらいにすっかり冷めてしまっているコーヒーに視線を落とし、こんなに誰かと話したのはどれくらい振りだっただろうかと記憶を辿っていると、不意に大野さんは「それが君の全部?」と訊く。
「そう、ですね。俺の全部です。駄目なとこしかないですけど」
大野さんは俺より二十歳以上歳上で、きっと酸いも甘いも噛み分けながら生きてきたんだろう。そんな大人が、俺の甘っちょろい言い訳まみれの戯言を聞いたら、憤慨してしまうだろうし、まさかとは思うけれど、大野さんも俺のことをぶん殴るかもしれない。
でも、それならそれでいいかとも思う。胸の内を誰かに打ち明けて、少しだけスッキリしたのか、気持ちは死に向かっているものの、後ろ暗さみたいなものは感じなくなった。
「なるほど。大体理解した。なんで死にたいのかも、なんで死ぬことを考えるようになってしまったのかも」
大野さんは顎に拳を当て、うーんと唸り目を瞑る。どんな説教をしたら俺の心に響くのか……みたいなことを考えてるんだろう。
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